2才に交通事故に遭い、
農業トラクターにひかれて、
片足の切断が余儀なくされた。
義肢を付けていないのはお金がないからかもしれないが、
その代わりに松葉杖が意のまま使えるようになった。
就職活動もしたが、
足が不自由だから採用してくれる企業が全くなかった。
差別で溢れる世の中に怯えることなく、
いろいろ苦労して、二十代の時、やっと屋台を出して、
なんとか食べるようになった。
こんな苦しみの多い人生を生きてきたが、
ある女性に見込まれて、幸せな結婚を実現した。
今の夢はと聞かれると、夫婦と一人の小さな子供の生活を支えるよう
毎日頑張ることと答える。
平凡だが平凡でもない人の素晴らしい人生には驚嘆するばかりだ。
最近、上野千鶴子さんの『女嫌い』を読んでいるが、
女は男個人よりもその人の男性集団でのポジションに
「発情」するみたいな論断をされたのが印象的だが、
先の例を見ると、
主人公の男はお金も権力も顔もない
社会の隅っこに忘れられるほどの哀れな存在に違いないが、
女性がこんな人までに惹かれること自体が
上野さんの論点を否定しているのではないか。
大体、社会学者や哲学者などは経験から
あるパターンを模索しようとするのだ。
人類の行動を判明するには、
そのような解読が効果あると否定的ではないが、
連続的なスペクトラムのようなものを
無理して2分化するトライも多いことも忘れられない。
理屈を付けて天地を裁くような
無理難題を提起して
それを天下に広めようとするのは
社会学や哲学に従事している人の仕事ではないか
と思う時もある。
一見して問題なさそうな「発見」でも、
後になって、辻が合わなくなり、
破綻してしまうケースがよくなる。
例を挙げると、地主が圧迫者で悪いものとすると、
全ての土地所有者が打倒される結果に繋がり、
ソビエットや毛時代の中国のようなとんでもない大惨事に発展するかもしれない。
女性主義もそのような傾向があるのではないか。
ひょっとしたら、利害関係を入れずに他人を温かい目で見れる
人性の善があることは軽視されるかもしれない。
先週は体の検査を行うため
南の大都市に向かった。
MR検査リポートが正式的に出ていないうちに、
免疫治療専門の先生に外来で訪れて、
PCで画像を見ていただいたが、
5ミリと書いたモノクロ写真をじっくり見て、
「当分問題ないだろう。様子見ていい」とおっしゃってくださった。
10ミリ以上の結節がこの度5ミリまでに小さくなったか、
と喜びの感情が湧いたが、
次の日、リポートが出て前とほぼ変わらない事実を知らされて
ぬか喜びであることに気付かされた。
より驚いたのはその先生がMR画像の読み取れないことなんだ。
大都市の有名な医者でも
CT、MR画像がうまく読み取れる人とは限らない。
それは前もって密かに覚えてきた。
普通、病院に通い、処方を頼むときも、
リポートの結論ばかり読んでて、
生の撮影写真を全くクリックしない医者がたくさんいる。
確認の素振りをして患者に聞かれる前に
画像画面をすぐ閉じてしまう医者もいる。
(去年まで参加した臨床試験の責任者に当たる先生は
残念ながらそういう人だった。
患者をマウス扱いにしてて、
人間としての温かみが欠けている若手医者のイメージがある。
同じ免疫療法を受けている人は
免疫性肺炎を患い、ICUに搬送される羽目になる人もいれば、
はや天国に行ってしまう方もいる。
しかし、そこまで行く前に
臨床試験の先生は本当にやってくれないじゃない?
という質問が湧き、不信感が高まる。
データのみに関心があることが分かった日から、
その臨床試験を脱退することを決めた。
今から考えると、難しい決断だけど
正しいことをした。
新薬を受けていなくても
当面無事に生きている。
別の病院にセカンドオピニオンを求めておく。
親切で責任感のありそうな女先生に出会う。
次回の検査も予約して、
今後の治療などを預けるつもりなのだ。
*季節*
キワタの鮮やかな花がポタポタ落ちる季節になった。
長袖シャツ一枚を着て歩くと少し汗をかく程に天気が暖かくなって気持ちが良かった。
*盗難*
帰りの電車に、うがい薬を一本誰かに盗まれてしまった。
こんなものを盗んで儲けるやつが居るもんか。
下らないものまでパクりたいやつはどれほど不幸な人間なのか。
朝、このことに気付いたとき、本当に腹が立った。
しかし、クレームを付ける訳でもないし、
犯人を突き止めることもないだろうと諦めるしかなかった。
ボトル一本でイライラする自身の心の脆弱さに気付かされた。