テレビと新聞への不信はここまで来てますよと:なぜ週刊誌報道が期待されるのか?

2024-02-14 11:49:37 | 感想など

 

 

昨日はセレン龍月というVtuberの契約解除とそれに伴う炎上事件の背景にはにじさんじENという組織への大きな不信がありそうだ、ということ企業・組織への「信頼」について書いた(この案件は昨日2/13に急速な進展を見せたので、一度触れた手前近いうちに再度取り上げるつもりだ)。ここでは、一度話を戻し改めて大手メディア不信と週刊誌報道に期待が集まる背景について、触れておきたいと思う。

 

「報道しない自由」といった言葉でマスメディアの姿勢が揶揄されるのはいつの事だっただろうか。先進国の中において、比較的メディアの内容に信頼を置いていることが統計データからわかる日本であるが、今やその状況も急速に変わりつつあることは論証の必要すらないだろう。

 

その大きな転換点は、やはり2023年におけるBBCのジャニーズ問題告発であり、またそれによって大手マスメディアが同企業とズブズブになって様々な隠蔽・忖度を行ってきたことが、白日の下に晒されたことだろう。「権力者がその地位を悪用して未成年への性犯罪を繰り返していた」という一切擁護の余地がない行為が大きな批判の対象となるのは言うまでもないが、大手マスメディアはタレントの出演といった便宜をはかってもらうために、それらの疑惑を見て見ぬふりをするどころか、文春報道とその裁判、あるいは国会でその問題が取り上げられるという、言わば「中立にファクトを報道しうる状況でさえ沈黙した」ことによって、自らその死亡診断書にサインをしたと言える(なお、この問題を否認・擁護し、あまつさえ告発者たちを誹謗中傷する「ファン」たちもいるわけだが、それは問題を鎮静化するどころか、かえってジャニーズというものの狂信性・異常性を浮き上がらせたし、またそれと同様の動きをした山下某など著名人のムーブは、芸能の世界が「御恩と奉公」的な因習が残り、閉鎖的で浮世離れしている自浄作用なき空間だということを自ら世に知らしめたと言える)。

 

なお、『セクシー田中さん』騒動で批判の目が向けられている小学館の編集者たちの声明もあって、「組織の中には心ある人もいる」との反論もあるかもしれないが、それらがあったとしても、別のセクションへの配慮・忖度によって結局身動きがとれないとか、縦割りで横のことが全くわからないというセクショナリズムが横行している官僚主義化した大組織にあっては、そういう個別事案は自浄作用の点でほとんど意味をなさないことにも注意を喚起しておきたい。

 

さて、このようなにして十二分に不信の薪がくべられた状態において、さらに24時間テレビの寄付金着服問題、水ダウの無礼な取材企画、松本・吉本の週刊誌報道に対する及び腰な姿勢など、ほぼ毎日のように燃料が大量投下され続けているわけで、言ってしまえば深刻な病に侵された病人が、禁忌とされる行為をくり返し、その死期をどんどん早めているようなものである。

 

 

 

 

上記動画で指摘されるように、かかる状況下で週刊誌報道へモノ申しても、「そもそもお前らテレビや新聞が全く話にならんからそっちが期待されてるんや。『本当は延焼したくないから黙ってたいけど、スポンサーや世間の反応的に報道せざるをえないんだよなあ・・・』とへっぴり腰で週刊誌報道に乗っからざるをえないヤツらが、一体どの口で言ってんの?」という具合で、批判する度にブーメランでさらに自分たちが火だるまになるという状況なのである。

 

念のため言っておくが、無謬な人間がいないように、無謬な組織も存在しえない。そしてだからこそ、チェックアンドバランスによる永遠の微調整が必要になってくるのだが(=閉鎖的組織が腐敗を免れえない理由)、じゃあそういうロジックで今のマスメディアの状態が肯定されるかというと、全くそんなことにはならない。なぜかと言えば、自分たちもまたワイドショー始め多くの番組や記事で、企業の不祥事や個人の犯罪などをスキャンダラスに取り上げてきたわけで、そういう告発行為を実践する自らを「第四の権力」などとも僭称してきた以上は、一般企業より遥かに厳しい目で見られるのは当然のことだからである。

 

ちなみに、大手マスメディアの中でもより一層終焉が見えているのは新聞だろう。それは売り上げの続落を見れば明らかであるが、今社会で大きく問題視されている案件で、新聞発信のものなど存在するのだろうか・・・?というレベルで「空気」になりつつある。その構造はプレジデントオンラインの「『新聞の影響力は地に落ちた』ジャニーズ、松本人志問題…新聞が社会を揺るがすスクープを出せない根本原因」の記事などが参考になるが、そもそもウェブが強くなっている状況の中、さらにAFPBBやBBC、The Gardian、朝鮮日報など海外の記事もすぐに見ることができ、さらにYou Tubeなども日々多くの情報を流しているのに、一体「紙媒体でなければ示せない独自の価値」とは、そしてそれを読まなければならない理由とは何だろうか?

 

つまり、競合勢力が数多くいる以上、その圧倒的価値を示すような骨太な報道がないのであれば、見限られるのはまあ当然のことであり、むしろ何で生き残れると思ったの?と聞きたいぐらいである(もちろんこの話からも予測できるように、新聞の勢力減退は日本だけに限った話ではない)。ま、でも改革は無理でしょうな。クロスオーナーシップ制度や記者クラブ制度で守られて、もはや横並びしかできない「官僚組織」に、生き残りのための身を切る改革などできない相談で、病状が悪化して壊疽した箇所を切断するかを聞かれても、坐して死を待つしかしないわけである。というわけで、オワコンのあなた方は、まあ大人しく不動産業でもやってろよ(・∀・)という話である。

 

というわけで、何度も言うけど、今週刊誌報道の問題点を取り上げている人たちは、その意見自体はビートたけしのフライデー報道でも述べたように全くのところ妥当なんだけど、それと同時に「大手メディア不信」に言及して、そこをどう手当てしてくかも考えないと全く意味ないっすよという話である(いくらソテツに毒が含まれているとわかっていても、食うもんが他にないならそれに手を伸ばさざるをえないのが人間[もっと言えば動物]である。それが問題だと言うなら、ソテツの毒抜き方法=情報との付き合い方を徹底して教えるか、あるいは別の食料=その他の信頼できる情報源を提示するしかない)。

 

そしてまた、今のマスメディアへの不信から、あたかも全てを焼け野原にすれば問題は解決するかのように考えるのも愚の骨頂である。その先は、日々垂れ流しされる真偽不明の情報に踊らされ、もはや「言葉は通じるけど話は通じない」状況が惹起し、それは社会運営にも深刻な影響を及ぼしていくと予測されるからだ(まあこの点では国会襲撃事件などの起きたアメリカという国の症状がわかりやすいが、遅かれ早かれああなっていくよという話である)。

 

以上。


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