Jのレコンキスタ:正しき伝統に回帰し、日本の少子化を解決せしめんとす

2021-06-29 11:19:19 | 不毛漫画

 

 

わたくしは伝統なるものを称揚する人間を基本懐疑的に見てゐる。その理由は、一体何を、いかなる所以で伝統とみなし、また称揚するかが極めて恣意的と感じるからだ。

 

試みに性愛を考えてみよふ。もし仮に、伝統への回帰を訴へる者が「異性愛こそ正常である」と主張するなら、其れは無知の誹りを免れなひ。といふのも、武士や宗教界に広く見られた衆道の存在を等閑視しておるからだ(折口信夫翁も草葉の陰で泣いておろう)。

 

しかも、さういう人間に限って、たいていは新渡戸的「武士道」なるものの価値を喧伝していたりする。選択的欺瞞ここに極まれりと言えよふ。思ふに、それらの人間が思い描く伝統とは、明治維新から戦前にかけての社会であり、其れは急速な欧米化・近代化で日本の旧来の姿を人工的に変換した時代に他ならない。しかしそれにもかかわらず、捏造された伝統を理想と言つて憚らないのは、畢竟「あの強大な帝国よもう一度!」といふ希求と、その復活によつて己が自尊心を満足せしめんとする、さもしくあさましき心性が根底にあるからだろふ。

 

さて、かかる虚構と虚栄を捨て去り、歴史を虚心に見るならば、我らが参照すべき伝統、少なくともその一つは「夜這ひ」である。其れは「村落共同体において主に未亡人が青少年に性の手ほどきをする行為」を指してゐたが、晩婚化・非婚化・少子化が進む今日におひては、それを広義のものとして適応し、未亡人のみならず有閑マダムなどを含めた熟女と、ショタ・青年のマッチングシステムとして復権させるに如くはなし、と主張したひ。

 

かかる伝統の復権がいかに素晴らしいかを実感させる作品こそ、冒頭に掲載した万華の「人妻にラブレターを送ってみた」である。一度見れば人を虜にするその魅力は、もはや「あやかし」の域にあるとさへ言つてよひが、ここで詳らかにその内容を開陳することは避けたい。というのも、まさにこの作品の魅力こそ、「Seeing is believing.」というマキシムそのものと考えるからだ。

 

なお、藝術工房たる万華には他の作品もいくつか存在するが、残念ながら衆生の心を掻き立てるには些か物足りない出来である。とはいへ、衆道の広く行われたる薩摩が生み出した示現流が示すように、一撃にて太刀を折り汝がこうべを陥没せしめるならば二の太刀は不要であって、つまり人が回心するには一つのマスタアピイスで充分なのである。

 

この傑作が世に喧伝されるならば、熟女によつて日本が再征服される日もそう遠くはないことだらう、と予言しつつ筆を置くこととしたひ。


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