つらつら日暮らし

「居家戒」という表現について

以前、【「居家」という表現】という記事を書いたときに、いわゆる仏教の在家信者を示す表現として「居家」があることを示した。ところで、そうなると、例えば「居家戒」という表現があるのかどうかが気になったので、ちょっとだけ調べてみた。

 問うて曰く、若し居家戒ならば天上に生ずることを得て、菩薩道を得る。亦た涅槃に至ることを得るは、復た何ぞ出家戒を用いんや。
 答えて曰く、倶に度を得ると雖も、然し難易有り。居家、業に種種の事務生ず、若し道法に専心せんと欲すれば、家業、則ち廃すべし。若し家業に專修せんと欲すれば、道事、則ち廃る。取らず捨てず、乃ち応に法を行ずるは、是れを名づけて難と為すべし。若し出家して俗を離れれば、諸もろの紛乱を絶して、一向に專心して、行道、易きと為す。
    『大智度論』巻13「釈初品中讃尸羅波羅蜜義第二十三」


すると、上記の通り、どうもこの一節しか見当たらないようなので(中国の文献にも1箇所あるのは見付けた)、これを挙げておきたい。なお、「居家戒」とは「在家戒」や「優婆塞戒(優婆夷戒)」と同じ意味であるので、それを探ってみると、こちらはたくさんある。

 善男子、仏の説く所の菩薩二種の如きは、一つには在家、二つには出家なり。
 出家菩薩、名づけて比丘と為す。
 在家菩薩、優婆塞と名づく。
 出家菩薩、出家戒を持し、是れを難と為さず。
 在家菩薩、在家戒を持し、是れ乃ち難と為す。
 何を以ての故に、在家の人、多くの悪因縁、纏繞する所なるが故に。
    『優婆塞戒経』巻3「受戒品第十四」


この一節を見ていくと、先に引いた『大智度論』と同じ趣旨の文章であることが分かる。つまり、菩薩には二種類があって、在家と出家であるというが、その内、出家菩薩を比丘(或いは比丘尼)とし、在家菩薩を優婆塞(或いは優婆夷)とし、出家菩薩は出家戒を持し、在家菩薩は在家戒を持すという。

この内、出家菩薩は「難」とはしないとし、在家菩薩は「難」であるという。後者の理由としては、様々な悪因縁(この場合の「悪」とは、仏道修行に直結しない因縁の意味である)に纏わりつかれるため、「難」であるというわけで、ここが『大智度論』と同じ趣旨になるわけである。

そうなると、『優婆塞戒経』でいうところの「在家戒」と、『大智度論』でいうところの「居家戒」が同じ意味であることも理解出来たのである。一応、前者は曇無讖(385~433)訳で、後者は鳩摩羅什(一説に344~413)訳とされるので、時代的には重なるものの羅什三蔵の方が早く生まれた人とされる。

もしかすると、この辺の詳細な先行研究もあるのかもしれないが、とりあえず、上記一節に関連性が見られることは明らかで、在家者の戒の位置付けについて、比較的に論じられたことは理解出来よう。

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