タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

≪ 日本プロ野球名球会 ≫

P1030771 中日の山本 (昌) 投手が、7月27日、阪神戦で5回を投げ勝利投手となり、通算199勝を挙げた(7月28日付『讀賣新聞』第19面〈スポーツ〉、写真を転写)。彼が、いわゆる<名球会>入りを目指して四十歳を超えて投げ続けてきたことにケチをつけるつもりはないし、200勝は立派な目標である。
 しかし、名球会は、金田正一が中心となって設立された私的な組織であって、その実態については芳しくない噂が多い。「“金田の金稼ぎ”組織にすぎない」(フリー百科事典『ウィキペディア』)と批判されることもある。
 私の脳裏には、名球会会員資格を目指すあまり、引き際を誤り、選手として老醜をさらした松岡弘と加藤英司の姿が未だにこびりついて離れない。最近引退を表明した元大リーガー・野茂英雄投手には、金田の私物名球会など眼中になかっただろう。PhotoPhoto_2
 松岡弘には、何とか、と同情したが、加藤英司には、「無様(ぶざま)」という言葉を投げつけてやりたい。
 昭和40年代に、当時の阪急ブレーブスは、日本シリーズで六回巨人と対戦し一度も勝てなかった。昭和50年代前半は逆に阪急の黄金時代で、阪急は、山田・山口・足立の好投手を揃え、打線も活発で三連覇を達成した。昭和52年の日本シリーズで、加藤英司は、「巨人なんかコテンパンにしてやる」と豪語したのである。
 その後、力が落ちた加藤は阪急を放出され、広島・近鉄を渡り歩いて昭和61年に巨人に拾われる。いくら二千本安打まで数十本とはいえ、九年前の言葉を忘れたか?
 結局、加藤はあと13安打で一年で巨人を首になり、西本監督の温情により南海で目的を達成し引退した。そこまで醜態をさらして、金田に名球会入会のブレザーを着せてもらいたいとは情けない男である。名球会に野球人生を賭ける価値はない。
 ■ 野茂と松岡の写真は、フリー百科事典『ウィキペディア』から転載 ■

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