滝に打たれたり、真冬の海で禊をしたりするような荒行を行うと、修行としては最も効果がありそうな感じがするが、山蔭基央氏は著書のなかで、行を耐えうるだけの体力もなく、無理をして荒行を行っても逆効果と指摘されていた
なら、座ってできる鎮魂行はというと、例えば、体が弱っている、時間が無い、など何らかの理由で行えない場合がある
だからといって、鎮魂行の効果を考えれば、止めてしまうのもおしい
それが習慣化されてきた場合、修行が逆戻りしそうで、なおさらおしい
何とか休んでいる間も挽回出来ないだろうか
そんな場合の解決策をご紹介する
「神道の神秘」は、現在もロングセラーで、鎮魂法だけでなく、非常に有益な情報が数多く掲載されている、おすすめ書籍
故山蔭基央氏は戦後の日本を憂慮しておられた
僭越ながら一助となるべく
山蔭神道家第79代故山蔭基央氏の著書「神道の神秘」春秋社
心より哀悼の意を表し、敬意を持って引用させていただく
p206
祈りもまた鎮魂である
正しい祈りができるようになれば、自らの内なる直日霊も輝き、心の内に神の光が差し込むようになる。祈りもまた、浄化の行であり、鎮魂なのである。
金鈴の響きを聞くような清浄な祈りの境涯に入れば、神のご本質である「愛と調和と誠と平和」が心の内に波打って、まるで太陽が夜を破るごとく心の内の闇は消滅し、感謝と喜びが胸の内にみなぎってくる。天地を貫く神の生命である愛と善を身に受け、互いに憎んだり、諍いさかいを起こしている人間が、いかに無知であるかをわかるのである。
だから、すわって鎮魂をすることができない場合でも、祈りの時間を持つことが重要である。自分をとりまく雑事から離れ、自らの心の内に向かい、一心に神への思いを捧げることを、日々の生活の中で繰り返すことは、どんな激しい荒行にもまして、自らの霊魂を浄化し、神の霊威みいつを受けるためのよい方法なのである。