鎮魂行を行うことによって、様々なことを得られる
では、それらの体験はどのようなものだろうか
「神道の神秘」は、現在もロングセラーで、鎮魂法だけでなく、非常に有益な情報が数多く掲載されている、おすすめ書籍
故山蔭基央氏は戦後の日本を憂慮しておられた
僭越ながら一助となるべく
山蔭神道家第79代故山蔭基央氏の著書「神道の神秘」春秋社
心より哀悼の意を表し、敬意を持って引用させていただく
p207
内なる心を見据えることが鎮魂
繰り返して言えば、鎮魂とは、心を身体の中心たる丹田に鎮め、四魂の乱れを調整して、わが心の内なる神の分霊=直日霊を輝かすことである。そしてその内なる神との対話を通じて、神の光を受け取り、その慈愛と調和を体得し、自らの霊魂を浄め育てていくことである。
したがって、鎮魂とは、あくまで自らの心に向かったものでなくてはならない。外側の形式にとらわれたり、何ができたとか何を体験してとかの自慢をしてはならない。また霊能力の獲得をめざしたり、その力を他者と比べたりすることも不可である。霊的修行にとらわれ、霊的修行の過酷さを喧伝したり、霊験力を競うような天狗的な驕漫さには、陥ってはならない。
どんなことを実現させるにも、それにみあった体力が必要となる、鎮魂行を正しく行えば、まず体の状態を良い方向にしてくれる、これだけでも、行う価値は十分ある、さらに精神性も研ぎ澄まされ、その先に覚醒が起こる、真の自分が現れる
こう聞くと、何か凄い特別なこと、のように思われるかもしれないが、太古の日本人は生活と共に鎮魂があり、当たり前に神との対話があり、それによって生活協同体や国までも動かしていた、まさに「まつ(祀)りごと」だった
つまり日本の文化は神と共にあった、霊魂の存在を語ること自体をマイナスなイメージにしたのは、戦後百年にも満たないわずかな期間のこと、数万年単位のご先祖の霊魂の正しい使い方の蓄積をあたかも封印するかのごとく
封印されたまま、そのような霊魂の正しい知恵を簡単に捨て去って良いものだろうか?日本に生まれ、日本人に生まれ、日本語を話すなら、覚醒は目と鼻の先にある
(後の記事で掲載予定だが、鎮魂の先には、一般に考えられている程度の霊力などではない力が発揮できる、カタカムナ人の覚醒において、「日本語の発見」は始まりに過ぎなかった、その先には私たちの想像を絶する力の獲得があったはずなのである)
山蔭基央氏の師である中山忠徳卿の解説では「四魂の力=霊力」という、鎮魂行により四魂の状態を改善するわけだから、霊力も強くなる
霊力が強くなれば、その霊力を使って特殊な能力を発揮することも可能にもなるが、霊力獲得が目的化するのは邪道らしい
さて、秘宝の探検団において、秘宝のありかまであと少しのところに、金貨や財宝の山があって、秘宝の価値をよく理解していない者が、それらに目がくらみ秘宝までたどり着けない、というのは探検もののストーリーでは、お約束だ
山蔭神道の鎮魂法は、秘宝を示した地図、その秘宝を獲得できる者は、その真価を信じ、現代に蔓延する物質主義をもろともせず、秘境に分け入る勇気ある者、そしてほんの一握りの選ばれし者
「一体、誰が、何のために結んだご縁だろう?」
確かめられるのは、あなたしかいない
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「瞬きまたたきの谷間」を体験できる山蔭神道鎮魂法のやり方は?
鎮魂法は「その11」からはじまる
カタカムナとカタカムナ理論の実践
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