昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

原木 春の日のデート 前編

2024-04-11 08:00:56 | 物語り

 春眠暁ヲ覚エズ 処処啼鳴ヲ聞ク 夜来風雨ノ声 花落ツルコト知ル多少

 という名詩にもあるように、春の夜明けは眠いものである。
今日もまた私は、暖かい床の中でウツラウツラしていた。
外は少し風があるらしい。カーテンが揺れている。
窓が半開きになっている。母の苦肉の策である。
風で揺れるカーテンの隙間から、時々光が射し込むみ、その明るさで目を覚ます。
春休みの故郷での一幕である。

 見覚えのあるような無いような中年の女が、私が帰り行く家の方向からやって来る。
誰なのか思い出せない。私は首をかしげながら近づいて行った。
もしかすると、関係の無い人かもしれない。
「よくかえってきたネ。ゴクローサン。疲れただろー」と、傍に寄るなり私の鞄を取ろうとした。
私の心に警戒心が起こり、思わず鞄を持つ手に力が入る。

“何て図々しい奴だ、馴れ馴れしい口をきいて。しかも鞄を取ろうとするとは。”
“私は、あなたを知りません!”。そう言ってやろうとかとも思ったが、止めた。
が、それ程不快ではない。何かしら、暖かいものが伝わってくる。
いい人かもしれない。お義理の声ではない。
私は“ああ、故郷に帰ってきたんだ”と、感じた。

 そんな私をよそに、その中年女は私にピタリと寄り添い色々と尋ねてくる。
”向こうの水はどうだとか、食べ物は新鮮かとか、下宿の小母さんはどんな人だとか、勉強はしているかとか、…”
 よく口のまわる人だ、まったく。
そんな私を驚かせたのは、私の帰郷の理由を知っていたことだ。
横の畑を指さし、今年の麦の収穫高について話しかけてくる。
父の死後、畑の世話が疎(おろそ)かになり、結構減収になったらしい。
私自身は、父を重視してはいなかった。
それどころか、時には軽蔑の念さえ抱いていた。
しかし、いざ父の死に出会うと、悲しみの前に後悔の念が先に立った。

 父が亡くなる年の春、私はいつものように故郷の土を踏んだ。
手紙では、体が弱り畑仕事が辛くなったと愚痴をこぼしていた。
が、元気に迎えてくれた父を見て、素直に喜べた。
 その日の夜、いろりの前で父は上機嫌であった。
珍しく顔を赤くしていた。いつも以上に酒が進んだようだ。
1年に数えるほどしか会わなくなると、お互いに優しい気持ちになる。
が、顔を合わせるとどうしても邪険にしてしまう。

「のう、お前に教えてもらった漢詩じゃったかのう。わしも作ってみたぞ」と、チラシの裏に書いた物を取り出してきた。
中学卒業で終わった父にとって、私が大学に進学したことが余程嬉しいらしく、「わしも少し勉強をしてみるか」と、漢詩に勤(いそ)しみだした。
戦時中、満州にいた影響かもしれない。

   倉破れて米残り 財布春にして借金多し 
   時に感じては腹が減り 別れを恨んでは水を欲す
  絶食三月連なり おにぎり万金に値す
  米びつかけば更に少なく 全て空腹に堪(た)えざらんと欲す

 一同、どっと大笑いした。しかし私はムッツリと口をへの字にしていた。
杜甫作春望の贋作じゃないか! と、馬鹿にしてしまう。
中卒の父のヒガミかと思ってしまった。
今思えば、唯々恥じ入るばかりだ。
「学歴の無い者には、この詩の良さがわからないのかナ」と、皮肉たっぷりに言った。
父の顔は勿論のこと、居合わせた家族(母・妹・弟・叔母)の顔が険しくなり、その目は私を非難していた。
私はいたたまれず、その場を去った。
その足で部屋に戻り、寒い寝床に入った。
その寒さは、私を孤独感で襲い絶望の世界に誘った。
そしてその翌年の春父が他界した。



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