ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。
ハンドメイド作品も販売しています。

秋篠宮殿下 能登へお見舞いに

2024-04-19 07:00:00 | 皇室報道

 正直、こんな事メディアで取り上げる必要があるかわかりませんけど、

「日赤で愛子様は具体的にこんなお仕事してます」が発表されました。

 赤十字奉仕団や個人ボランティアに関する情報誌の編集

 ボランティアに向けた研修会の運営などを担当

入社して1か月も立たないのに、もう編集とか運営とか?

でも一番言いたいことは「新規採用された同期の職員と同じように先輩職員と一緒に仕事をしていて、元気に過ごされている」って事ですね。

わざわざ発表しなくちゃヤバイ何かがあるのかな。

日赤の人、「本当は違うのに」って思ってるかも。

秋篠宮さまが、さらりと能登の穴水町へ行き、被災した農家を励まされました。

ぶどう農家の前田さん。

殿下が総裁の大日本農会で表彰された方なんですね。

前田さんの義父が輪島で亡くなった事を聞くと

大変でしたね。おつらかったですね」とお言葉を。

殿下「ご自宅から外に出るのも大変だったでしょう」

輪島の米農家の川原さん「命があっただけでも幸せだったと思いました

何というか、まさか直接いらっしゃるとは思わなかったと・・・それが単身でさらっと来て、「あなたの事を忘れてはいないよ」とメッセージを送る。

これは大事な事ではないですか?

片付けるのが大変でしょう」と格納庫の荷崩れを心配。

心が折れている前田さん方にとって。殿下の登場は「今一度」の励ましとなった筈で。

何が何でも今一度立ち上がらないといけないと。

今は心が一杯でも、そのうち、ふと思い出しては力が湧いて来る。

そんな印象の殿下のご訪問でした。

ちょい反抗期の息子?36歳、お辞儀の仕方を覚えようね。

やっぱりね。

両殿下でお見舞いにいけないのは、両陛下が「3度目」を狙っているからですよね。だから殿下は総裁職を利用してさらっと、行かれたのだと思います。

服装も、ワイシャツにジャケット。これが普通です。

共に椅子に座り、膝を交えて語り合う事が大事だと思います。

お弁当が入った袋を持ち、被災者を椅子に座らせ、自ら跪く、どこか卑屈な両陛下とは違うなと思うし、また服装も、ちょっとした事ですがタートルネックのセーターとワイシャツではまた違うと思います。

秋篠宮殿下と繋がった方は、このようにずっとその後も見守って貰える。

素晴らしい事です。

コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大人になりきれない愛子様 日赤は苦労する

2024-04-18 07:00:00 | 皇室報道

日赤が「愛子様に残業はさせておりません」と言われてから、ぱたっと、日赤での勤務風景の描写が消えた愛子内親王。

お仕事いってるんですか?私はもう飽きちゃってると思うんですけど。

八幡氏がPresident Onlineに書いておられるのでちょこちょこ引用しながら書きます。

「愛子様万歳」と叫ぶ人達にとっては

・愛子様美しすぎ

・神々しい

・頑張りすぎる

などという言葉をちりばめて褒めますが、私達普通の人間はもういい加減嫌になってます。テレビでコメンテーターが「すっかりお綺麗になられて」なんていうと、テレビ消しますよね。

なぜでしょうか?

そこに事実がないからです。

何人入れ替わってるかわかりませんけど、愛子内親王はどの場面を見ても「幼い」「あどけない(BY雅子)」には見えても「絶世の美女」には見えないでしょ。

どんなに美しかったダイアナ妃だってさすがに「絶世の美女」とか「神々しい」まで言われたことはありません。

 突如福祉に目覚めた内親王

愛子内親王の専攻は日本文学で、特に中世の歌人とか文学について勉強した筈なんですけど、日赤入社が決まった途端に「福祉に関心をお持ちだった」「人の役に立ちたいと思われた」と絶賛されました。

けれど、もしそうならコロナ禍で4年もの間、リモートやってますか?

「両陛下にコロナを移してはならない」使命感に燃えている事と、福祉に関心があるは相反した誉め言葉なんですよね。

 日赤への入社は親のコネ

そもそも、何の関係もないのに、突如親子3人で日本赤十字社を訪れて、さらに献花までするという、「滅多にない行動」をした方々。

恐らく、日赤への入社はこの頃から打診→命令になったのだと思います。

学習院大学の卒論も締め切りに間に合わず延長させた。その事を「何でも最後まで完璧にやり切る粘り強い内親王」と教授は褒めていたけど、これが一般人ならどうでしょうか?

ひっくり返せば「マイペースで相手の立場を考えない」人って事でしょう?

この時も父陛下がワゴン車に乗って学習院へ。

山岳会への出席をしたみたい・・と言われていたけど実際は面接だったんじゃないかと私は思ってます。

 なぜ「働く」のか

内親王には就職の義務も留学の義務もありません。

卒業後はいわゆる「家事手伝い」でお見合いしまくって降嫁するというのが、愛子内親王にとって最もふさわしい選択肢であったと思います。

なぜなら。

小さい頃から、やれピアノを弾いた。漢字が書ける、相撲が好き、チェロを習っている、スペイン語が得意、ネイティブな英語が話せると褒めまくりですが、国民は一度もその姿を見た事がないのです。

翻ってみれば、愛子内親王には人生の「テーマ」がないんですね。

好きな事、やりたいことがない。

それは母皇后もそうで、バブルの時代、親のコネで外務省入りしたら、学生でいる事を楽しみ、海外旅行を楽しみ、スキーをして贅沢する。そういう事が好きだから、天皇のクラシックやオペラ好きにはついていけない。

学ぼうともしないし、恐らく本当は本を読むのが苦手なんじゃないかと思います。

同じように内親王も、先日の雅楽鑑賞でも「衣装が素晴らしいですね」とおっしゃったそうで。3回目だよ?さすがにそれはないでしょう・・・せめて「私、雅楽の装束が大好きで」とか「楽器に触れてみたい」とか言うんじゃないか?と思うんですけど。

恐らく東儀秀樹氏の名前すらわからないんだろうなと思われます。

 

皇族というのは、人権がないです。

その代わり許されるのが「研究」です。

近代の皇族、特に男子皇族はいわゆる「オタク」っぽく学問を究めて霞を食べているような人が多々いました。

では女性皇族は?というと、多くのお妃が上流階級における社交と福祉に力を注いだわけです。紀宮殿下は盲導犬に興味を持ち、また鳥の研究もされていましたね。

眞子様は美術、佳子様は手話で今やネイティブな手話がお出来になります。

それだけ集中的に学ぶ時間と機会に恵まれているということです。

紀子妃殿下も子育てをしながらも学問を究め博士号を取られました。

では愛子内親王は?

恐らく、親としてはこれ以上勉学させても、本人がついていけないし嫌がっているんだろうという思い、頭を抱えていたろうことはわかります。

留学させようにも海外で「将来女帝になるの」と言っても納得されないだろうし、受け入れて貰えない。

ならいっそ働かせる・・・という選択肢になり、そこでコネの効く日赤に入ったと思われます。

好き嫌いもなく親の言う通りに就職(あくまで嘱託)してしまう内親王には「自立心」というものが一切みられません。

「自分」がないのです。

与えられるものに反応はするけど、「これが好き」というものがない。

反抗も出来ない。恐らく就職の交換条件としての「静養」があるんだと思いますけど。

そもそも「5日間も連続して出勤された」と爆上げされる事が異常。

内親王と同い年の人達は、当たり前にやっている事。

なんなら就職だって自分で探している。

週刊誌が書くように「毎日外に出ることがすごい」状態の内親王ですから、+明治神宮参拝や雅楽鑑賞は前代未聞の「頑張りすぎ症候群」という事になるでしょう。

 

 日赤では・・・

ここから八幡氏の文章を引用すれば

関係者によると、愛子さまの場合は厳重警備のため、最初の1週間、通用門の一部閉鎖、夜間の裏口の閉鎖、宅配業者などの立ち入り禁止、勤務されている部署への一般人立ち入り禁止などが実施され、現場では戸惑いがあるようだ。

その後、宅配便の扱いなどは少し緩和されたようだが、いまのままの状態は続けられず、バランスをどこで取るか苦慮しそうだ。  

現状では、同じ部署の同僚との接触に留まっているそうだが、せめて、他の職員も気軽に声をかけられるようにしないと、愛子さまが気の毒だ。」

となってます。

これって学習院とすっかり同じ状況ですね。

なぜこういう事になるかと言えば

 愛子内親王の実情を知られたくない

 天皇の一人娘だから格が違う扱いをしろ

こういう事なんですよね。

学習院の子や親なら「しょうがない」で済むけれど、同じ職場にいる人達にとっては迷惑千万。

あっという間に退職しますよ。

今の人達は躊躇しないから。

無論、同じ職場の人が全部どこかの学会の人なら「苦行」と思って耐えるんでしょうけど、大人がこんな閉じ込められた空間で仕事が出来るかって思いませんか?

もう来ないでよ~~状態だと思います。

 

次に来るのは「パワハラ」「モラハラ」で出社拒否になる事でしょうかね。

誰がターゲットになるだかという感じですが。

お疲れで「出社できない」方が世間の為だと思います。

 

22歳にもなって「自己」を持たない女性を箱入り娘とは言わない。

親の操り人形になっている内親王が気の毒ですね。

 

 

 

 

コメント (12)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皇統は男系男子に限るのです

2024-04-17 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

21世紀の今、当たり前のことをあらためて言わないとわからない連中がいると言う事に腹が立つし、いわゆる「嫌がらせ」でそういう事やってるんだなと思えば、罰が当たれと思ってしまう。

どういう経緯かわからないけど、最近の「愛子天皇派」の言い分は

 愛子様の方が人気があるし品があるし綺麗だから天皇になってくれたら嬉しい

 秋篠宮家はいやだけど愛子様なら天皇にふさわしいと思う

 男の子を産んだからってティアラを被れるのが不思議。男尊女卑

これらは全部悪口なんですよ。

天皇家への悪口と言うのは、実は今が初めてではありません。

1970年代から1980年代くらいまでは「天皇制廃止論」系の本ばかりが並んでいました。

全部昭和天皇の戦争責任を問うものばかりで、むしろ昭和天皇を讃える本を探す方が大変だったくらいなんですよ。

若かった私には昭和天皇の「戦争責任」がよくわからなくて、今でもよくわからないよねという感じ。

一般人はみんな昭和天皇の事を敬って「日本のおじいさま」と思っているのに、なぜ本屋へ行くと、こんなに批判と悪口ばかりの書籍が並ぶのかなと思ってました。

 

そして今は秋篠宮家バッシングです。

ネットに書き込んだり、週刊誌の記者達はどうせ皇室がなんたるかなんて知らないし、関係ないし、実際、実生活には関係ないから平気で罵詈雑言が言えるんだろうと思います。

その昔は「古事記や日本書紀は全部嘘」論がまかり通っていた時代だったので、古代の天皇を全員なかった事にして、「天照大神」なんていないじゃんと悪口を言っていたのですが、今や「愛子様こそ天照大神」とか分けわからんことを書き込むわけですね。

同じ事を何度も書くのはどうかと思うんですけどね。

 もし日本に天皇がいなかったら

確実に日本は朝鮮半島のように同じ民族が争う事になり、やがて中国に侵略されていたと思う。

天皇というのは、日本列島に住む人、そして渡来人も含めて、全ての部族の統合的存在で、その中心に伊勢神宮があり、天照大神を祀る天皇がいる。

天皇の役目は「鎮護国家」に尽きます。

日本の安泰の為に祈る。あらゆる手を尽くす。そういう存在です。

政治は主に政治家がやる。

日本にも部族同士の争いはあったのです。でもそれをやってると国が亡びると考えて平和的な方法を見出した。それが「天皇」という存在なのです。

 元号は文化遺産

役所以外で元号を使う人はもういないけど、元号はその時々の祈りがこもっているものだし、時代を象徴する言葉です。

かつて中国にも元号はあったし、ヨーロッパにもあった。でも、今や日本くらいしか使わない。だから大事。歴史も考古学も知らない、必要ではないと考える人も多いですけど、歴史を知らないと世界で恥をかくし、その国独特の文化を持つ者は尊敬されます。

明治になって「1天皇1元制」になりました。つまり元号は天皇の人生そのものなんです。だからこそ、安易に退位してはいけないんですよね。

歳をとった、ボケた、歩けなくなった・・・そんな世俗的な事はどうでもいい。天皇というのは、それでも国の安泰、国民の幸せを祈る存在であるから。

今の天皇が尊敬されないのは、そういう「元号を背負った重み」を感じていないからでしょうね。

 皇統は男系男子に限る

と、皇室典範に書いてあります。

みなさん「憲法9条」の改正にはやたら反対するのに、皇室典範の改正には「早く女性、女系天皇を認めろ」とせかす。これっておかしくないですか?

憲法9条はアメリカから与えられた思想で、日本潰しの条項です。これに縛られる日本を馬鹿にしているのもまたアメリカ。

しかし、そのアメリカも旧皇室典範から戦後の典範への変更はあまりなかった。

「皇統は男系男子に限る」という部分は変えなかったのです。

また、どこかの教授が「後桜町天皇」を例に出して、直系長子じゃないとダメ云々と書いていますが、教授の肩書がついているのにその知識量のなさに呆れます。

江戸時代の天皇の即位は常に吊り橋状態、いつ綱が切れてしまうかわからない状態での継承が行われて来ました。

後桜町天皇は嫡出の皇女ですが、非嫡出の弟宮が即位後、さっさと亡くなってしまったので仕方なく践祚。しかしそれは、次の天皇たる男系男子に繋げる為の中継である事ははっきりしています。

非嫡出だった弟君、桃園天皇はいわゆる皇后の「嫡子」とみなされたので、本来内親王宣下を受けない後桜町天皇も地位が上がっただけです。

結果的に桃園天皇→後桜町→後桃園→光格となるわけで、光格天皇は閑院宮家出身です。

後桜町天皇の実力が発揮されるのは、皇位から降りた後で「国母」と言われるようになったんですね。

 次世代天皇は秋篠宮悠仁親王です

これは決定事項であり、「好き嫌い」「向いている」とかで言われる事ではありません。

「ふさわしい」かどうかで天皇が決まるのなら今上はいません。

綺麗だ、品がある、可愛い、人気があるでは天皇は務まりません。

22歳にしてやっと一人で雅楽鑑賞が出来るようになった内親王が、母親が祭祀を全く重視していない時点で、本来なら皇籍はく奪ものです。

 

何度もいいますが、天皇のもっとも重要な役割というのは「祭祀」です。

国家の為、国民の安泰の為にひたすら祈るのです。

その大前提があっての被災地訪問であり、赤十字であり、福祉活動であり、各公務であると言う事。

 

上皇夫妻が昭和天皇のすねをかじりながら、ブルジョワ的生活を謳歌したために、小和田雅子は「皇室に入れば贅沢できる」と単純に考えたのかもしれませんけど、守るべき伝統を守らない時点で失格です。

 

男子が生まれない皇太子家に遠慮して12年も出産を控えられていた秋篠宮家。

GOサインが出た時はすでに40近く。

しかもリスクを抱えてのご出産。そして日嗣の皇子はお生まれになったのです。

 どこまでも愛嬌のあるお顔で、ちょっと細くて小っちゃくて泣き虫なこの親王をどれ程待ち望んできたでしょうか。

トンボが大好きで、ご両親からもお姉さま達からも愛されて、笑顔がとびきり可愛らしくて。

それなのにどうでしょ。

伊勢神宮や武蔵野陵を参拝する時はドキっとするほど大人びて、学者っぽくて、

神様も喜んで殿下をお迎えになっていた・・・・

大人びて、そんなに早く大人にならなくていいと思いつつも、殿下のめざましいご成長に日本にも希望があると思う私です。

 今や立派な学者さんです。

あるべき皇族の姿を体現されているのが悠仁親王殿下。

18歳のお誕生日も、それから加冠の儀も楽しみですが、式年遷宮にはきっと大切な役割を果たされると思っています。

こればかりは「練習」してどうなるものではないので。

やがて来る、悠仁天皇の御代まで生きていたいものです。

 

 

コメント (14)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上皇陛下と島津家

2024-04-16 07:00:00 | 皇室報道

もう色々な方がブログで書いていると思うので、改めて書く事もないのではとは思うのですが。

4月13日、上皇夫妻と秋篠宮両殿下・佳子様は霞会館で開かれた「島津家ゆかりの会合」に出席。

今までも出席されてきたとは言われていますが、報道は初めてではないでしょうか。なにゆえに、報道されたのかと思います。

島津家・・・というのは、香淳皇后の母君、俔子妃殿下の御実家になります。

当時は公爵家。

 非常に大礼服が似合う方。でも小柄なのかな。

頭上に輝く三日月のティアラはどういうものなんだろうなと思った事があります。

一見して裕福そうに見えますけど、久邇宮家は賊軍の家柄に当たりますので、結構「お手元不如意」と言われていました。

上皇陛下は香淳皇后の息子ですので、外祖母に当たるのが俔子妃という事になりますね。

戦後は皇籍を離脱。昭和31年に亡くなられました。

後に、清宮様が島津家に嫁ぎ、絆はより強いものになったと思います。

このいお二人は「はとこ」の関係なんですよね。

 

つまり、皇室の中には脈々と島津家の血が流れているという事になります。

ところが、この会に招待されなかった人達が。

そう、天皇家の3人です。

前日に能登へ行ったとはいえ、そんなに「疲れて死ぬわ」って程でもなかったのに、お断りしたのか最初から招かれなかったのか。

霞会館の方々からしたら「来なくてほっ」でしょう。

ようやく、雅な一日を過ごせるわ~~という感じで。

佳子様のお見合いが含まれていたらいいなと思うのは私だけかしら?

 

しかし・・・今回、これが報道された背景を深読みすると、何となく見えて来るものがありませんか?

そう。11日に小和田家が皇居に招かれて愛子内親王のお祝いをしたというニュースです。

徳仁天皇にも島津の血は流れている筈。それは愛子内親王にもです。

しかし、今回、その血筋からは完全に排除され「今上一家は小和田家の血筋」と決まったように見えてしまいました。

 

元鹿児島藩主で公爵家の島津家と、久邇宮家。元華族と皇族の中に天皇一家は入らないと言う事です。

これは誰が考えたんでしょうね。

実は美智子様は、平民の正田家の血筋で、やんごとない家とはかかわりがない、新興ブルジョア出身です。

だから、当然、入内の時には大反対されたし(今なら私も反対する)

お蔭で美智子さまの「旧皇族・旧華族嫌い」はすさまじいもので、完全にその人達からはそっぽ向かれて、ゆえに黒田清子さんの嫁ぎ先も決まらなかったという経緯があります。

それ以上に「血筋を誇る家が大嫌い」なの雅子皇后で、3代前が不肖であり、小和田はまだしも、江頭家の血筋というのは世界的に認められていない。

 

小和田家が皇居に招かれた直後に「島津家とのゆかりの会合」に参加された上皇夫妻には何等かの意図があり、それゆえに一層天皇家は孤立するでしょう。

 

正直、退位後、こんなに大事にされないというのは美智子さまの中にはなかったと思うんです。

二重権威と言われても、「私達は天皇より上」という意識は高かったと思うし。

だから最初は一般参賀にも出たし、天皇夫妻もしょっちゅう仙洞御所に挨拶に行っていた。

しかし、今年からはそういう事もなく。むしろ、雑誌にバッシングされた事で余計に外に出にくくなった。まさに「美智子さま封じ」に成功した小和田家なんですよ。

こうなると伝家の宝刀っていう感じですかね。

しかし、上皇后陛下。せっかくの会合なのに平服というのはどういう事でしょう。「和服の方が楽」だったんじゃないですか?

せめて洋装でも明るい色を着るとか。

まるで着たきり雀になっています。

そういうマナー力も衰えてしまったんだろうかと思うとね。

でも会合に参加した人達からみれば「美智子様は私達を軽く見てるわけ?」って思うでしょうね。

「盛装なんかしない。平服で十分よ」と思われているんじゃないかと内心ではカチンときたひと多数だと思います。

 

色々なお遊びに出たり出なかったり、全然整合性がとれなくなってきた上皇夫妻ですけど、仙洞御所は広すぎるのではありませんか?

 

コメント (10)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宙組の再開

2024-04-15 07:00:00 | 宝塚コラム

 やっと・・・宙組の再開が決まりましたね。

この期に及んでもぐちゃぐちゃ悪口いう輩の事は気にしなくていいです。

よかったとしかいいようがありません。

正直、スケジュール的にどうするのかと思っていたんです。

例えば、大劇場の場合、月組公演が5月12日まで。

で、宙組がその次だったんですけど、このままでは間に合わないなと思っていました。

しかし、今回、新しいスケジュールによると、

6月20日から30日まで・・・宝塚大劇場

7月20日から8月25日まで・・・東京宝塚劇場になりました。

新たな始まりという事と、稽古期間が十分に取れない、メンタルの問題等をふまえ、ショーの一本立て。

タイトルは「ル・グラン・エスカリエ」(大階段)です。

斎藤吉正ですから、さぞや元気が出るショーだろうなと期待します。

一般売りは未定。恐らく各ファンクラブ限定の作品になるのかも。

配信はあるかなあ・・・・おかしなマスコミが入り込まない様に色々策を講じる必要があり、誰が見ても「宝塚ってすごい」と思わせなければならないので、出演者にとっても作家にとっても、非常に重い公演になる筈です。

トップコンビは変わらず。

休演中の亜音有星はどうする気なんだろうか。一禾あおもそうですけど、出演する気がないのに在団し続けると言うのはおかしいと思います。

亜音有星は非常に有望な男役で期待もしていました。

103期でもあった。休演していなかったらどうにかなったかもという気持ちもあるし。真風の退団後は最初から休演を決めていたようで、今まで体調不良や怪我以外で「休演」がまかり通る世の中になったんだなと、びっくりしたのを覚えています。

 

問題は宙組が、この作品で求心力を発揮できるかどうかにかかっています。

もともとまとまりがない組だったし、他の組に比べると今一つ努力が足りないなと思う事も多々あり、目を見張る若手が出てこないのも、仕方ないのかと思いました。

芹香斗亜は学年的にかなり上ですし、大人の対応で突き進んでいかなければなりません。年末のように今にも倒れそうな風情では困るのです。

また組子も、きちんと上級生に学ぶべき所は学び批判をしない事が大事だと思います。

 

宙組は入る事によって、大幅なスケジュール変更がなされ、

雪組は夏から秋への公演。

星組は、東京千秋楽が12月1日という何とも中途半端。

そして永久輝せあの披露目の花組は、年末から年をまたぐという初の試み。

今までは年末に終わって、めでたい正月公演からだったのに、正月を越えちゃうわけですからね・・・

それぞれの組ファンも、仕方ないとはいえ「え~~」って思わない事はないと。

ジェンヌさん達からすると思わぬ長期休みで旅行も・・って所かもしれませんけどね。

 

とにかく、9ヶ月は長すぎましたよ。

今後は強きで頑張れと思います。

 

 

 

 

コメント (7)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皇室ウィークリー

2024-04-14 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

4月5日・・・天皇陛下 → 通常業務

4月9日・・・ 両陛下 → 明治神宮参拝

4月10日・・・愛子内親王 → 明治神宮参拝

       天皇陛下 → 通常業務

4月11日・・・天皇陛下 → 勤労奉仕団に会釈

 

皇嗣家

4月6日・・・殿下・悠仁親王 → 玉川大学視察

      

妃殿下 → 「昭憲皇太后百十年祭記念国際シンポジウム「受け継がれし明治のドレス」聴講

4月7日・・・佳子内親王 → 「第25回記念全国高等学校女子硬式野球選抜大会」観戦

4月9日・・・両殿下 → 明治神宮参拝

4月10日・・・妃殿下 → 「圓照寺門跡山村御流いけばな展」を見る

 せめてなあ・・・愛子内親王だけでも勤労奉仕団に会釈すればいいのに。

そして、4月9日は上皇夫妻も明治神宮参拝

 

この姿を見て私は思いました。

平成の天皇退位に何の意義があったかと。

なかったんではないでしょうか。

「天皇の役割が果たせない」から退位したのではないでしょうか。

いくら認知症と言えど、足腰が弱っていても、このように明治神宮参拝が出来ると言う事はお元気ですよね。

上皇は毎月のようにハゼの研究に皇居に通っているというし。

弟の常陸宮殿下、妃殿下も現役で公務を続けていらっしゃいます。

ご本人達は、「令和6年まで生きる事は出来ないわ」とお思いだったのかもしれませんが、とんでもないこと。100歳過ぎても元気でいらっしゃる気がします。

なんせ今年の4月10日はスターサファイア婚だったんですしね。

 

そうなると、一体何の為の「退位」だったのでしょうか。

よく「秋篠宮家に皇統を受け継がせる為」との意見を聞きますが、実際どうですか?

「愛子様を天皇に」の声の方が高まっているではありませんか。

皇太子夫妻時代には、批判も多かったのに即位してからは「北の将軍様」のような扱いを受け、何でも「速報」

愛子内親王は動けば讃えられ、神々しいだの涙が出るだの。

週刊誌に踊る見出しを見る度、背中が寒くなる。(書いた人は恐らく見たくないでしょう。顔から火が出るくらいの嘘だから)

こんな時代にする為に、上皇はわざわざ「上皇」になったのなら、結果的に今上夫妻を神格化させる手助けをした事になります。

これが果たして予定通りなのかそうでないのか。

悠仁親王成人まであと少しの段階で「悠仁天皇より愛子天皇がみたい」などと雑誌に書かせること自体もう、狂ってるとしかいいようがありません。

 

判断能力に疑問があっても位にい続けて、皇太子を摂政にすべきでした。

そしたらまだましだったかもしれないと思うのです。

上皇・・・というより美智子さまの中で、これは予定内だったのか、予定外だったのか、ここまで今上らにほっておかれるとは思わなかったのでは。

今回の明治神宮参拝も、存在をアピールする為のものとしか思えないし、今年はとうとう正月から黙っている・・という沈黙している。

その沈黙を「招待してくれない」と被害者になりきって仙洞御所にいかないんですよね。

美智子様は何をしたかったわけ?

高輪では狭いと文句をつけ、秋篠宮家が入る予定の東宮御所を二人で占拠。

本来、東宮御所は国賓等を迎えるにふさわしい場所なのに、公にも使わせず、秋篠宮は相変わらず宮邸か赤坂東邸で公務をされています。

こんな意地悪、どこから思いつくのか私にはわかりません。

老害にも甚だしい。

上皇も上皇后も親としてあまりにも徳仁親王に甘過ぎました。

そして文仁親王と清子内親王に冷たすぎました。

「悪い姑」になりたくないばかりに、序列より皇太子妃優先が、今の雅子天皇状態を作った責任を取って頂きたい。

 

上皇陛下におかれては、東京裁判のトラウマがずっと心に残って、父君、昭和天皇と心を通わせることが出来なかった。亡くなるまでずっと。

そして自分の誕生日にA級戦犯が処刑されたという恨みつらみは全部父君に向けたのではありませんか。

ゆえに「このような皇室はなくせばいい」と思っていたのでは?

 

美智子様に洗脳され、「戦前の全否定」と長男至上主義に毒されてしまった。

せっかく秋篠宮家が40年ぶりに親王をあげて下さったのに。

眞子様の件でも本当の意味で眞子様の為にならない事をなさった。

本気で許せなくなってきましたよ。・・・・すでに昭和34年から皇室破壊は始まっいたんだと思うと、日本の崩壊も近いのかもしれません。

コメント (13)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佳子様 明治神宮参拝

2024-04-13 07:00:00 | 皇室報道

 さあ、オオトリは佳子様です。

ギャラリーの数が全然違う。暖かいっていうのもあるけどやっぱり

「佳子様みたいっ!」って感じですよね。

佳子様もにこやかで、お帰りの時はギャラリーにご挨拶されて・・・美しい。

参拝の仕方も非常にシンプルっていうか、変にお辞儀をしすぎないっていうのが大事なんですね。

私も行きたかったなあ・・・佳子様の美しさを肌で感じたい。

しかも玉串を奉納する時に、葉っぱが舞い踊って非常に神様に愛されているなと感じました。

「神々しい」とか「涙が出る」という表現は佳子様にこそふさわしいと思います。

 

 

さて、その頃紀子様は・・・・近くの明治記念館で「第56回愛育班員全国大会」にご出席。

能登地震について

多くの人々が命を落とし、今も困難な暮らしを送っている方々が数多くいらっしゃいます」

「講演をお聞きして、被災された子どもやその家族、また高齢者などへ思いをめぐらしていくことができましたらと考えております」

と、お言葉を。

 

 

ええっと・・・両陛下の能登行きの飛行機、機体トラブルで乗り換えだそうで。

2度目ですわね。大変ですね~~~

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今更「順番が違う」と言っても聞き入れない天皇家

2024-04-12 07:00:00 | 皇室報道

 皇室の話をする前にアメリカで岸田総理がやってしまいました。

共同記者会見で「同盟国の中国」と言ってしまったのです

単なる言い間違えでは済まない、国益を大きく損なう「大事件」です。

「あ。失礼」じゃない!「本当はそこなのね」と誰もが思う。そういう事をやった総理が大きな顔して帰国するなんて許せない。そのまま中国に送っておしまいと思います。

政治でも頭に来るのに、皇室でも思わず「カチン」とすることが。

天皇皇后の頭の中では「皇后の次に偉いのは小和田家。その次に天皇でその下に上皇夫妻」という事になっているのでしょう。

4月10日は上皇夫妻の結婚記念日です。

本来なら、天皇家がお祝いに仙洞御所に駆けつける所ですが、そうではなく、小和田家が皇居へ行って「愛子内親王の大学卒業と就職祝い」をやってしまったわけです。

運転しているのが恐らく池田礼子氏で隣がその夫。後ろにいるのは小和田夫妻。招待されての三代らしいですが、じゃあ節子さんはどうした?

やっぱり節子さんは噂通りなのか?

2時間、皇居に滞在して飲み食いしたらしいです。

雅子皇后の実家は、結婚する前から「尊大」で有名。

香淳皇后の弔問も、天皇より先に行って断られ、オランダ国王即位の時も日本からわざわざ行ったんだよね。

オランダ静養の時も、借りた城で飲み食いしていたというのは有名。

愛子内親王が生まれた時も、先に生まれた内親王の顔を見て。

全てにおいて小和田家が先なので、上皇夫妻は少なからず不愉快であったと言われています。

(でもあえて何も言わない。嫌味な姑とか言われたくなかったから。筋を通していたら今はないのに)

皇后の実家というのは、一歩控える必要があります。

正田家がそうであるように、川嶋家がそうであるように。津軽家ですらそうだった。久邇家だって・・

だけど、そういう「当たり前の常識」(重複語ですが)を無視して、「私が一番」を貫いているのが雅子皇后で、その後ろ盾が小和田家なんですから、もうこれは藤原家なんてもんじゃないですね。

愛子内親王はすっかり小和田家の孫、そんな方をどうして女帝に出来るでしょう。

あの光明皇后の実家である藤原氏は専横を極め、光明皇后は「民間妃」なのに、初の皇后になり、しかも皇后専門部署の「紫微中台」を置かれました。

これは何か「紫微」とは北極星の事です。

北極星は本来天皇でなければならないのに、聖武天皇より光明皇后の方が偉いというわけ。

聖武天皇は後年は藤原氏嫌いになったと言われていますが、徳仁天皇は未だに言いなりなんですよね。きっと。

 

そして11日。愛子内親王は大学卒業と就職決定の挨拶の為に仙洞御所を訪問。

昭和の格好なのか?と言いたくなるほど昭和30年代のバスガールって感じ。

それはいいけど、卒業の時は卒業の時で袴姿を「おじいさまとおばあさま」にお見せするのは庶民でも常識だし、その方が喜ばれるんですよね。

なぜ、今なのかさっぱりわかりませんけど、11日は日赤お休みなの?

天皇皇后は「仙洞御所からの招待がないので」正月からこっち、訪問なし。

美智子皇后だって、嫌いであっても香淳皇后の元へはちゃんと通っていましたけど、雅子皇后は「呼ばれないからいかない」ですよ。

でも娘は行かせるという矛盾。

腹が立つ嫁だよ。全く。

女性週刊誌が、「愛子様は5日間連続で日赤にご出勤。20時まで残業も」と書いた事でXが盛り上がり、とうとう日赤は「そんな事実はございません」と回答しました。

これで終わるんでしょうか。

だって、秋篠宮家の場合、皇嗣大夫が否定しても、宮内庁が否定しても、殿下が否定しても、それでも週刊誌は「秋篠宮は豪邸に税金をつぎ込んだ」と書き続けていますよね。

誰が否定しても意に介さず秋篠宮家への誹謗中傷はするのに、日赤に「そんな事実はない」と言われたら、黙るんですか?

それとも謝罪文でも寄せるんですか?

愛子天皇派はそれでいいのかな?

だって、もしかしたら、本当に20時まで毎日いるかもしれないじゃない?

(何をしているのかはわからないけど)

日赤が否定したからって、それが全てと言えるのか?

ねえ。

否定したから「日赤じゃブラック企業ではありません」と言えるのか?

 

個人的には、天皇家の内親王が末端宮家の女王のように、がむしゃらに働くアピールする必要ないんじゃないか?と思います。

あくまでも嘱託なんですから。

 

 

 

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛子内親王 明治神宮参拝

2024-04-11 07:00:00 | 皇室報道

 結局、両陛下のイギリス訪問は観測気球である事は、八幡氏のプレジデント記事でわかりました。

平成時代、エリザベス女王が一度も日本を訪れなかったこと、平成の両陛下はそういう関係に危機感を持っていたこと。

ゆえに心臓の手術を早めてまでも無理に渡英したこと。

本来なら国王夫妻を招くべき所、まるで朝貢するかの如く、イギリスに行きたがる父夫婦と息子夫婦。

今や、イギリスは昔ような風景ではなくなっているんですけどね。

4月10日は上皇夫妻の結婚記念日です。ブルースターサファイア婚とかいうんですって。明治神宮参拝の時、上皇后が後ろにひっくり返りそうになったのに驚きましたが。

11日は愛子内親王が仙洞御所へ行く予定。

愛子内親王は10日、明治神宮を参拝しました。

後ろの髪がぐしゃぐしゃなのを除けば、母君よりよっぽどいいんじゃないか?と思うけど、とにかく目できょろきょろするのはやめた方がいいような。

テレビでは「神々しい」だの「美しい」だの言われていますけど。

日赤では皆勤賞で残業までしてるって?

日赤をブラック企業にする気なのかしら?

通常、研修期間及び試用期間で残業なんてないと思うんだけど。

マスコミは日赤に張り付いているんでしょうかね。

これからは皇居に引きこもらず、日赤に引きこもるんでしょうかね。

職場の評判は落とさないといいと思いますけど。

 

コメント (13)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

両陛下・上皇両陛下明治神宮参拝

2024-04-10 07:00:00 | 皇室報道

4月9日。昭憲皇太后110年祭にあたり、両陛下、上皇上皇后陛下、秋篠宮両殿下が明治神宮を参拝されました。

午前10時頃って、ものすごい雨と風で大変でした。

そんな時間に天皇陛下、そして30分後に皇后陛下が参拝。

寒いし、風邪強いし・・・傘は壊れるし。

そんな時間帯の参拝はお気の毒ですが、さすが雨男の陛下だなと。

皇后陛下は相変わらず緊張すると唇がゆがむというか、いつもいつも「初めて」って顔になるから不思議ですね。

 

11時半には上皇陛下、そのあと上皇后陛下が参拝。

まだ雨が降っていました。

祭祀になるとしゃきっとされる上皇陛下。

ガンダムスーツの上皇后陛下。

 

午後には秋篠宮両殿下が参拝。

雨・・・止んでますわ。

紀子様、お長服新調して下さい。お願い。

普段祭祀やらない人の方が新調なんてねえ・・・

 

昭憲皇太后と言えば、大礼服ですが6日にシンポジウムが行われて、紀子様がご出席されました。私も行きたかったなあ。

昭憲皇太后は日本近代化の先端を走る皇后陛下で、女官制度を改めたり、ドレスをお召しになったり、女子教育に力を入れたり、養蚕を始められたりと、小柄なわりにどんどん進んでいく人でしたよね。

あだ名は「天狗さん」だったとか。

偉大な皇后陛下でした。

 

10日は愛子内親王、12日は佳子内親王が参拝予定です。

 

コメント (5)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする