ぶらり一人旅と趣味の世界

気まぐれ日記
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長州とは

2012-04-26 | 歴史

いったい、いつから?  

関が原・・までは、地方(いわゆる国)の名前ではなく収めている家名で、毛利藩という言い方が一般的だったように思います。
関が原以後の国替えで、毛利はそれまでの広大な領地を没収され、長門・防府の2国になり・・・いわるる萩藩という言い方が一般的だったかも?
萩藩=毛利藩・・・これは正しいでしょう。
しかし、幕末ころになると・・・いつのまにか長州藩というように変わってしまいます。
でも、長州藩というのが本当に正しいのか、いったいどこのことをさしているのか、はっきり説明できる人はいないようです。
萩藩=毛利藩=長州藩・・・これは正しいとはいえないでしょう。毛利藩≠長州藩 萩藩<毛利藩<長州藩・・・のような感じでしょうか?

長州というと、それは雲州、遠州、薩州・・などとまた地方(国)のような感じか・・・?

 

岩国藩(吉川家)に対しては、幕末までは独立した藩とは毛利は認めていなかったようです・・・支藩扱い。

戊辰戦争は、長州など外様藩にとっては、関が原の恨みをはらす・・・戦いだったのかもしれません。

いかに、徳川家康の力が強くでも、遠くの毛利や島津を滅ぼすことは無理だったんでしょう。

豊臣・加藤・福島・・・さんなどは因縁をつけられ・・・滅ぼされ・あるいは皆殺しになってしまったんですが。

会津では、戊辰戦争のとき、官軍を西軍といっていたらしいです。 


歴史の裏話

2012-04-25 | 歴史

なかなか、教科書にはない載っていない、いろいろな出来事が・・・ぶらぶら旅していると、発見できます。
・・・追記・・・

幕末の色々の出来事・・・それぞれ、その地方ではありましたが、実際に行かないと・・・

会津・長州の怨念・・・まだ、解消されていないようです。
来年のNHKの大河ドラマは、会津のジャンヌ・ダルク・・・新島八重に。これで、1年もつのかとも思いますが、幕末の会津藩を中心に描き、さらに明治になってからの、新島譲との出会い・・から・・・なかなか楽しみです。歴史の裏側を見れるかも?

 新島譲も、函館からアメリカに渡り、帰国して同志社を設立したことぐらいしか・・・ほとんど知りませんでしたが、このあいだ、倉敷から玉島に行ったとき、新島譲が、備中松山藩の玉野にに立ち寄ったという碑がありました。玉野は備中松山藩の飛び地だったらしいです。
ここに松山藩の屋敷があり、幕末官軍がきて、松山藩の家老が切腹して、玉島は官軍の攻撃を免れたという・・・屋敷が残ってました。
玉野はちなみに、昔の面影が残る町で、三丁目の夕日・・などの映画・ロケ地です。
新島譲は、吉田松陰が失敗したので、わざわざ遠き北の函館から上海経由でアメリカに渡ったらしいです。