只今の気温29℃ 生暖かい風、、、
エアコンのスイッチを押そうか?思案中です
「ききょうの里」から「谷性寺」へ・・・
「招福門」から
谷性寺はこぢんまりとしており、その境内には光秀の首塚があります。丹波を平定した光秀は谷性寺の本尊である不動明王を厚く崇敬し、織田信長を討つべく本能寺へ向かう際には「一殺多生の降魔の剣を授け給え」と誓願したそう。(観光協会HPより)
小さな庭園があります
半夏生が!
庭園の先に・・・
そして見事信長を討った光秀ではあったものの、山崎の戦いに敗れ坂本城へと逃れる際に襲われてしまいます。光秀の介錯をした溝尾庄兵衛は光秀の首を近臣に託し、生前に信仰していた谷性寺へと運び葬ったとされます。首塚はそんな光秀の怨念を鎮めるべく幕末に建てられたもの。
「谷性寺」
そんな光秀をしのび、境内では明智家の家紋である桔梗がいつからか植えられるようになったとのこと。夏になれば境内は桔梗一色に染まることから桔梗寺と呼ばれるようになったのです。
「明智山門」
桔梗紋が見えます。
境内には首塚の他に「明智山門」と呼ばれる門があります。この門は、元は亀山城下にあった西願寺の門。昭和51年に廃寺になる際、谷性寺に移築されたもの。
内側にも「桔梗紋」
右に
戸は閉まっています
外からお参りをして・・・
左に
「光秀首塚」
光秀を偲んで・・・お参りします。
「鐘楼」
既に没後400年を数える明智光秀は、歴史上「謀反人」「三日天下」など悪いイメージを持たれがちですが、ここ亀岡においては少し違ったイメージを持たれています。ききょうの里にある「光秀の砦」には光秀の馬上像が設置されていますし、谷性寺の本堂には光秀の像も安置されています。そこにはネガティブな要素はなく、武人でもあり文化人でもあった光秀を偲んで作られたものなのです。
実は亀岡において明智光秀は善政を行った名君主であり、その遺徳をしのんで1972年には日本国内最初の明智光秀公顕彰会が結成されています。毎年5月には「亀岡光秀まつり」が開催され、ここ谷性寺の首塚墓前で追善供養が行われたあと、光秀主従の武者行列が城下町を練り歩きます。
亀岡においては光秀は現在の町の基礎を作ったともいえる存在であり、今も愛される存在だったのです。そんな光秀ゆかりの谷性寺で光秀の面影をたどってみてはいかがでしょうか?(観光協会より)
見ごろのアジサイも!
梅の実
大河ドラマ「麒麟がくる」が始まる前から、丹波地方の「明智光秀ゆかりの寺」巡りから「福知山城」へと訪れて
明智光秀の思いと業績を偲んでいます、、、
今回、首塚をお参りし光秀の無念を共感した単純な私です、、、