こんにちは~
きょうも雲の少ない青空が広がったいいお天気です~
新型コロナウイルスによる国内での死者数が、一万人を超えました、、、
そして、月曜日の感染者数としては、大阪府7週連続、京都府が6週連続、兵庫県が5週連続で増加。
5月11日までの緊急事態宣言も延長されそうですネ
それでは・・・昨日のつづきを・・・
「高田屋顕彰館・歴史文化資料館」開館は午前10時から!
9時半には周辺を散策していましたが、
奥が資料館
ブラブラ~していると、ごんすけさんが「入り口が開いてるから行こう!」
ダメもとで入って行くと、「特別にどうぞ~」と
初めに、2000年12月にNHKドラマスペシャルで放映された「菜の花の沖」を観賞。
波乱に満ちた人生を知りました、、、
高田屋嘉兵衛(たかたやかへえ)は1769年(明和6年1月1日)淡路島 都志本村(つしほんむら)(現・洲本市五色町都志)に6人兄弟の長男として生まれ、幼名は菊弥。
28歳で冬至国内最大級の千五百石積の舟「辰悦丸」を建造。
まだ寂しかった箱館(函館)を廻船問屋として商売の拠点としました。
幕府の要請を受けて、択捉と国後間の航路を発見し新たな漁場を開くなど、北方の開拓者として活躍しました。
左手の階段を上がって2階へ
円形に展示されて
ロシア皇帝艦ディアナ号のゴロヴニン艦長が日本側警備隊に拿捕されるという事件があり
救出に来たリコルド率いるディアナ号が日本側の攻撃に遭い一旦帰国。
その翌年再び来航し、艦長の消息を聞き出すために、偶然通りかかった嘉兵衛の舟が捕らえられカムチャッカへ連行抑留されます。
そこで、リコルドと同じ部屋で寝起きし、ロシア語を教えてもらうのです。
そして、仲介役としてゴロヴニン釈放に至る和解を成し遂げました。(簡略しすぎてますが・・・)
妻おふさは巡礼に出ていたのですね、、、
たくさん展示されています
錨です。
1階へ下りて行きます。
晩年の嘉兵衛は、故郷淡路島へ戻り、港や道路の修復など郷土の為に力を尽くし、文政十年(1827)自宅で静かにその生涯を閉じました。
色んな船が展示されてます。
中庭
淡路島は瓦の生産地
新しいことを知り、また!知識が増えました~
そして、ブログに載せることで、記憶に残り脳を働かすためにもいいです
芝生広場では鯉のぼりを揚げる準備中!広い広場に揚がった鯉のぼりを見たかったのですが、つぎの予定が!!!
後、1回つづきます~