満州人が日本人に対し反発していたのは、日本人自身の姿にもその原
因はあった。
史料には、現地での日本人の姿を
「或ハ泥酔徘徊シテ醜悪ヲ満人民衆ノ環境ニ曝スモノ多ク現下非常時局
ニモ不拘全満各地ノ歓楽施設特ニ花柳界ハ之等ノ為変則的好況ヲ呈シ日
本内地ヨリノ視察者ヲシテ唖然タラシメアリ甚ダシキニ至リテハ司直ノ手ニ
暴露セラレタル官吏ノ不正事件ハ其ノ大部ガ日人官吏ニ依テ行ハレアリ」
(121頁)
とあり、「大東亜共栄圏をリードする日本人」とはほど遠い姿であることが
わかる。
だがこれは軍も同様であった。アジア・太平洋戦争が始まっても、東南ア
ジア方面では軍が内地より料亭を招聘し、酒を飲んでの大騒ぎの日々で
あった。しかしこの史料は軍が作成しているため、満州国内での日本軍・
日本軍人の様子が抜けている。
また、満州人の日本人への反発は、日本人同士の相剋にも原因があっ
た。
「即チ一般日本人ハ固ヨリ国民ノ師表ノ地位ニアル官吏協和会職員特殊
会社幹部ニ於テモ彼等ハ出身別ニ学校別ニ官庁別ニ会社別ニ或ハ其ノ
他ニ於テ派閥ヲ構成シテ排他的傾向強烈ナリ殊ニ一部官吏ニアリテハ自
己派閥外ノ官吏特ニ建国ニ功績最モ多キ陸軍出身者ヲ極度ニ嫌忌排斥セ
ントスル傾向濃厚ナリ」(122-123頁) 。
これらにより満州国内での日本人に対する反発は強く
「日満人共同組織体ニ於テ日本人幹部排斥事件ヲ生ジ或ハ満人商人ガ
日本人婦女ニ侮辱的悪戯ヲ為ス等満人側ノ攻勢的摩擦ヲ示現スルニ至リ
特ニ甚ダシキハ背乱ニ当リ何レモ「日本人ハ殺スベシ」ト叫ビアルノ状況ナ
リ其ノ他開拓民等ニアリテモ県毎ニ割拠シテ反日嫉視シ闘争ヲナセル事例
少カラズ」(124-125頁)
という状況であった。しかし重要なのは、前述の如くこれら満州人の反発
の原因をつくっているのは、その多くが日本人であることである。
では、満州人の反発にあった日本人はどのような態度をとったのか。
「周章狼狽シ適切ナル処置ヲ講ジ得ザルノミナラズ人心ニ動揺ヲ来シ流
言蜚語ヲ発シ又ハ之ガ因トナルガ如キ言動ヲ敢ヘテ為スモノ多ク又一般ニ
身ヲ以テ現地ニ止ルノ覚悟ナク危険迫ラザルニ他ニ避難引揚ゲセントス
ルガ如キ行為ニ出デントスルモノ少カラザル現況ニアリ」(134頁)
満州国へ行った日本人達がなぜ「危険」な目にあったのか、なぜ「避難引
揚ゲ」しなければならなかったのか、
そもそも満州とは誰の土地であったのか、日本人にとって満州とはなんだ
ったのか。満州人からの反発という現実を前にしてもう一度考えなければ
ならない。