この時期、樹木希林さんの会話を思い出しました。
「死ぬときぐらい好きにさせてよ」
「生きるのも日常、死んでいくのも日常」
晩年の希林さんがたどり着いた境地に
「うらを見せ おもてを見せてちるもみぢ」
(良寛)
「裏から始まるところがすごい。
年や経験を重ねても、人間は表裏を持ち続けているという本質を見抜いた人の句ね。
こうありたい」
また、良寛の次の句も好んだ。
「散る桜 残る桜も 散る桜」
誰にも等しく訪れる死に、人は一喜一憂するが、終わりが決まらないのに、そこに至る生き方が定まるわけがない。
という意味に
「そう考えると心強いわね。
でも、死ぬことは誰かの心の中で生き続けることなんじゃないかしら」
お釈迦様の弟子の一人に提婆逹多(だいばだった)がいる。
釈迦にたてつき、困らせるので、みんなが彼を遠ざけた。
だが釈迦は「役立つ人だけがいいのではない。
困らせる人は己を磨く上で必要だ」と説いた。
すると、希林さんは
「くっくっ」と笑いながら言ったという。
「そういえば提婆逹多は私にとっての裕也ね」と。
「死ぬことは
誰かの心の中で生きること。」
素敵な言葉です。
画像は晩年に住んだ良寛の五合庵です。
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