三日後の昼下がり、サキシアの家の前に一台の馬車が止まった。
馭者台から降りたギャンが、開け放された扉から中を覗く。
「サキシア!薪と酢を持って来たよ!何処に置くの?」
桶から手を上げ、サキシアがギャンを認めた。
「ギャンさん、今一区切りつけますから、少しだけお待ち頂けませんか?」
「ギャンて呼んでよ。薪と酢を持って来たのは『仕立て屋のギャン』だけど、ここに居る時は『同窓生のギャン』だから」
そう言いながら、ギャンは馬車から樽を下ろし、土間に置いた。
「薪は横の軒下だね?」
「少し待って下さいって。第一薪と酢なんてどうして?申し訳ないわ」
「いくらあっても足りないよね?様子を見に来るついでだよ」
「ついでって、こんなに沢山」
さっさと薪を運び始めるギャンの横に、家から出てきたサキシアが並んだ。
「材料は店持ちって言ったでしょ。現物でも良い筈だ」
「そういえばそうだったわね。色作りに夢中で忘れてたわ」
「やっぱりね」
ギャンが肩をすくめた。
「では遠慮なく頂いておきます。薪はうちのとは分けておいて下さい」
サキシアが荷台の薪に手を掛ける。
「俺が運ぶからいいよ」
「そういう訳には」
振り向いたサキシアの顎から、汗が滴った。
「力は俺の方がある。男が要らなくなったら、一体どうなると思う?」
ギャンが口を尖らせる。
「そのうち女だけで繁殖するようになるんじゃないかしら」
サキシアが真面目に答える。
「・・・そこまで飛ぶんだ・・・」
ギャンは驚いたが、呼吸二つで立ち直った。
「それはそうと、今日はやけに暑いから、火を焚きっぱなしで大変だったろ?少し休んでなよ」
「あら、汗臭い?」
サキシアが眉をひそめた。
「そこの川に行ってくるわ」
「臭くはないよ。汲んだ水は無いの?」
「あるけど。服のままで泳げば、一石二鳥よ」
「びしょびしょのまま、帰ってくるの?」
「夏は裾だけ絞っておけば、そのうち乾くわよ。涼しいし」
ギャンが今度は、呼吸一つで立ち直った。
「ずっと、そんなことしてたの」
「・・・母がいたら叱られたわ」
サキシアの微笑んでみせると、ギャンが、泣きそうな顔になる。
「とにかく俺が運んどくから、水浴びでも水泳でもしてきなよ」
「有難う。お言葉に甘えるわ」
今度はサキシアか、泣きそうに微笑んだ。
宣言通り、サキシアはずぶ濡れで帰って来た。
「お帰り」と言ってサキシアを見るなり、椅子に座っていたギャンが笑いだす。
「ただいま」
久しぶりにの言葉に、サキシアが懐かしそうに微笑んだ。
奥で手早く着替えると、服を絞って外に干す。
テーブルには木彫りの菓子鉢と素焼きの水入れ、大きなカップが乗っている。
「ああ、さっぱりした。本当に助かったわ。有難う」
サキシアがもう一つカップを置き、濡れた髪を背中にはらいながら、向かいに腰掛けた。
その指先は、染料で青黒く染まっている。
「どういたしまして。これ、お義母さんが焼いたクッキー」
ギャンは菓子鉢の蓋を取ると、サキシアの前に押しやった。
「まあ美味しそう。この前のタルトも美味しかったし、アルムさんはお料理上手なのね」
サキシアは水入れからお茶を注ぐと、ギャンの前に置いた。
「頂きます」
ギャンがお茶を一口飲む。
「スッキリするお茶だね。美味しいよ。クッキーも食べてみて」
「では私も頂きます」
サキシアが一つ摘まんで口に入れた。
「香ばしくってサックサク」
サキシアから笑顔がこぼれる。
「お義母さんって呼んだら、凄く喜んでくれたんだ。それで行くなら持ってけって」
「そう。良かったわ。今度は何て呼んでもらおうかしら」
サキシアはお茶を一口飲み、再びクッキーに手を伸ばした。
「お義母さんはちょくちょくお菓子を作ってお針子さん達に出すんだ」
「えっ?それを持ってきちゃったの?」
「まさか」
ギャンが笑った。
「別に焼いてくれたんだよ。でも、家に来てくれたら、毎回お菓子が食べられるよ。家の近くに竈が三つある貸家もある」
「ここは川も井戸も近いし、すぐそこが野原と山よ。染めに使う植物を探すにも、ここが便利だわ」
「じゃあ俺がこっちに住むよ。お菓子が出た日は持って帰って来る」
「お菓子の為に引っ越すの?お菓子がある時だけ持ってきてくれた方がましじゃない?いいえ。そもそもお菓子の為にそこまでって、私がどれ程食い意地が張っていると思っているの?」
サキシアが訝りながら二枚目を摘まむ。
ギャンの眉が八の字になった。
「俺が結婚申し込んでるの、分かってる?」
クッキーを入れようと口を開けたまま、サキシアが固まった。
ギャンがその指からクッキーを抜き取り、開いた口に放り込んで、下顎を上顎に優しく合わせる。
サキシアは反射的にクッキーを噛み砕き、飲み込んだ。
そして無意識にお茶で流し込む。
サキシアの目の焦点が合うのを確認し、ギャンが続けた。
「俺はサキシアと幸せになりたいんだ」