本ブログではキリスト教がVernal Equinox Precession(春分点歳差)であることをHamlet's Mills(ハムレットの水車小屋)を通して解説してきた。しかしその懐は限りなく深い。ものみの塔やモルモン教も解説した。残るのはあの Jesuits(イエズス会)である。イルミナティとは切り離して彼らの修行について解説してみよう。とは言ってもローマ銀行設立から現在のFRBまでの仕組みを考えるとSatan/Lucifer軍団であることは間違いないのですが決して早とちりをしてはいけません。BLACK POPEは二人いるのです。
イエズス会の入門宣誓書はイルミナティの宣誓書と同じである。つまり表の顔と裏の顔があるということ。
聖書を隠れ蓑にするのは統一協会も同じである。
Hamlet's Mill 原文テキスト
アニマ・クリスティ(キリストの御魂よ)
キリストの御魂よ,わたしを聖化してください
キリストの御体よ,わたしを救ってください
キリストの御血よ,わたしを酔わせてください
キリストの御脇腹の水よ,わたしを清めてください
キリストの受難よ,わたしを強めてください。
慈しみ深いイエスよ,私の願いを聴きいれ,
御身の傷のうちにわたしをかくまい
御身から離れることのないようにしてください。
陰謀をたくらむ敵から,わたしを守り
臨終のときにわたしを呼び寄せ
御身の御許に行かせてください。
すべての聖人とともにいつまでも
御身を讃美することができますように。
霊操(れいそう)とは、イグナチオ・デ・ロヨラによって始められたイエズス会の霊性修業、またその方法を記した著作。(ナチ親衛隊の教育に使われたとの記述もある)
『ヒムラーの側近の情報部長ワルター・シェレンベルクは、ニュルンベルク裁判で、ヒムラーはイエズス会の創立者イグナチウス・デ・ロヨラの「霊操」すなわち心霊修行と緊密に結びつけられた「僧兵軍隊組織」を、もっぱら志向していたと証言した。
また、ヒトラーはヒムラーのことを「わたしのイグナチウス・デ・ロヨラ」と呼んでいたという。
イエズス会を模した組織として成長したSSは、SA(突撃隊)隊長レームの副官カール・エルンストなどから「黒いイエズス会」と揶揄されていたが、ヒムラー自身はその呼称を愉しんでいるようだったという』
上記は黒い騎士団SSとSS長官ヒムラーの野望より
あなたはZeitgeist Refutedを見てどう感じるだろうか?
「体操」で身体を鍛えるように「霊操」は霊魂を鍛えることを目的とする。修業の到達点においては神と深い人格的交わりを持つ=神の御意志を見出すことが目指される。
霊操以前にもキリスト教の修道会では祈りや霊的読書などの修業が行われていたが、方法は整備されていないものが多かった。ロヨラは霊操でそれまで修道会に伝わってきた良心の究明、黙想、観想、口祷、念祷などの修業の諸要素をはじめて本格的に体系化し、自身の独創を加えてまとめあげた。霊操の中では指導者、修行者それぞれに対する注意点、修業の手順、規則、霊の微妙な動きを感じ取る方法などについて詳細に記されている。
霊操(観想)は1回1時間を毎日5回行う。その進行は四週間に分かれる。つまり5時間×28日が霊操に要する時間である。
第一週 罪の認知と痛悔
第二週 キリストの救済活動の観想
第三週 キリストの受難の観想
第四週 キリストの復活の観想
伝統的な修業階梯の三区分浄化、照明、一致では第一週が浄化、第二、第三週が照明、第四週が一致に相当する<Wiki>。
本記事はイグナチオ・デ・ロヨラ著 門脇圭吉訳 岩波書店『霊操』などの解説・要約・編集である。
Bank of Rome参照。Above,LIEola before POPE Paul Ⅲ in 1540。
ローマ銀行そのぼろ儲けの秘密その1(その1,その2はここから)
ローマ銀行そのぼろ儲けの秘密その2
Satan/Luciferの組織図(注:消去されている)
"Black Pope" is a light-hearted name given to the Superior General, usually by the media (and never used by the Jesuits themselves). The name comes partly from the color of the plain black priest's cassock, worn by members of the Society, including the Superior General and partly from a past concern, (most prominent around the 16th and 17th centuries), amongst Protestant European countries, concerning the relative power of the Jesuits within the Roman Catholic Church.....。
上の組織図ではイエズス会総長,別名Black PopeがおりますがBlack Popeは選挙で選ばれるPopeとそうではないPopeがいてその正体はDVD(DEUTSCHE VERTEIGIGUNGS DIENST)なのであります。彼らはまたホワイトハウスの上に聳え立つブラックハウスでもあるGerman Black Intelligenceなのです。これがイルミナティの正体です。
イルミナティの最高位階ルシファーの花嫁参照ください。でもあまりお勧めはできません。
その中で元イルミナティの女性はこう述べています。『イルミナティとはLUCIFERを崇拝する悪魔主義者のことでオカルト主義者でもあります。オカルトの考えは<悪魔の狂気の論理>以外は全く論理的基盤を持っていません』とありますが現在の世界的な金融メルトダウンは彼らによって計画され次のステップに進もうとしていることをこのブログで警告しているのです。悪魔の狂気の論理だから怖いのです。これはクリストファーさんのHPですが唯一ひも付きでない内容です。ホワイトハウスがアルカイダに資金援助していたとスッパ抜いたのは記憶に新しい。この前電話で話した時「留守電に拳銃の発射音が三発残されていた」と笑っていましたが心配です。
イエズス会総長一覧ですが現在の総長は元上智大学の先生です。ですから決してイエズス会の総長=イルミナティではないのですよ。イルミナティは選挙で選ばれないBLACK POPEのことです。
『サタンの教会への攻撃
1.迫害 初代キリスト教会に対して取った手は迫害であった。ユダヤ人とローマ帝国によって無数のクリスチャンが殺された。ネロの迫害では十字架につけたキリスト教徒に松脂を塗り,火をつけたので夜のローマの町が明るくなったという。
2.懐柔 コンスタンチヌス大帝によって公認されたキリスト教は次第に権力を握るようになり,堕落していった。迫害以上に危険なことになった。
3.権力化 キリスト教は中世においてヨーロッパで最大の権力となった。富と力の集中は教会をサタンの巣窟とした。
4.混乱 宗教改革とルネッサンスによって人間性が開放されたが,それは人間中心主義による混乱に導かれた。その結果,フランス革命や共産主義など過激な思想がはびこることになった。
5.浸透 現在の攻撃は巧妙な浸透である。ほとんど見分けが付かない形で,キリスト教会の中心部に浸透している。はっきり言って,今,これらの霊的な影響を受けていない教会,教派,教団はほとんど無いといっていい。しかも,それは最近とみに激しさを増し,アメリカでも最も活動的で最大の勢力は「新しい秩序に従わないものは排除すべきだ」とさえ言い出している。こんなことは歴史上一度も無かった。「新しい秩序」だって!
もはや,キリスト教会はその内実においてキリスト教会ではない。
かつて人類は堕落天使との結婚によって純粋なDNAがほとんど壊滅した。ただ,ノアだけが「完全な」人間だった。そのために神は洪水を引き起こしてノア以外の混血人類を滅ぼした。これは,最近ユダヤ教の高位の人々が言っていることである。今や,純粋なキリスト教は壊滅状態にある。正真のキリスト教のDNA が失われつつある。これらの背景となっているのは「聖霊の第三の波」や「繁栄の神学」また「教会成長論」などである。日本ではこれまで教会がなかなか成長せず,多くの牧師はフラストレーションになっている。それだけにサタンの罠に陥る可能性が多い。それに比べると韓国の場合,教会が強いので今のところはあまり影響を受けていないようだ。
さて,ではこれからどうなるのだろう。まず第三次世界大戦による惨劇によって,「繁栄の神学」や「教会成長論」は消し飛ぶだろうと思う。さらにアメリカに起こる大迫害によって(注:FEMAのこと),浮かれ騒いでいる教会は泣き叫ぶことになるだろう。何時の時代でも,キリスト教が正常になるのは悲痛な痛みの中だけなのだ。しかし,間もなく,人間が”善悪を知る木の実!を食べ終わったとき,神は行動を起こされ,世界に本当の平和をもたらすだろう。
現在,サタンはイルミナティという組織を通じて,世界を統一し始めている。これはかつてはフリーメーソンと言う組織の上部団体であったが,今,フリーメーソンはほとんど意味をなさなくなっている。本当に,ロータリークラブと同等の友愛団体程度の機能しか果たしていない。欧米の指導者たちは100%イルミナティである』<以上小石牧師の「再臨」より許可を得て要約・解説>
しかし,そうは言っても13世紀のキリスト教がユダヤ人を弾圧し隠れマラーノを生み出した。
第二イザヤはトインビーによると「千年期・the Milleniumの間支配する王は,まだ神自身ではなく,単に別の代理者,すなわちメシアにすぎない。しかし,この世界が”別の世界”によって取って代わられるまでの間,”この世界”に出現する奇跡的な”至福千年期”=エデンの園(神の国ではなくて地上の楽園)の思想は,異なっているばかりでなく,結局において互いに相容れない二つの思想を妥協させようとする支持しがたい試みである。第一の思想,すなわち,第二イザヤ書の思想は,奇跡的に改善された未来主義的な現世王国の待望である。第二の思想は,”神の国=CIVITAS DEIは時間のうちに存在するものではなく,別な精神的次元に置かれているものであって,このように次元を異にしているからこそ,かえってわれわれの現世生活の中に浸透し,それを変貌させることが出来る,という思想である.......千年期の終末観思想が不可欠な思想的はしごの役目を果たしたかも知れないが,一度上に登ってしまえば,もうそのはしごはなくなっても差し支えない」(トインビー注;千年期が俗に未来の”黄金時代”の意味で用いられるのは,ここからきているのである)
キリストが王として統治する王国は,アカイメネス朝の王をユダヤ人の王に変え,おまけに未来に投影した,世界征服者としてのメシアによって打ち立てられるいかなる王国とも,同じ標準で計ることができない。ピラトに,「あなたの言うとおり,わたしは王である」と答えたのち,「私は真理についてあかしをするために生まれ,また,そのためにこの世にきたのである」<ヨハネ福音書,18・37>。この思いがけないことばは,あるいは無視することも出来よう。
このCIVITAS DEI(神の国)がいやしくも時間の次元に入ってくる限りにおいては,それは未来の夢としてではなくて,現在に浸透する精神的実在としてである。もしわれわれが,実際にどうして,神のみこころが天に行われているとおり,地にも行われるようになるか,ということを問うとすれば,その答えは,神学特有の表現を用いて言えば,神の遍在という概念の中には,超現世的平面における超越的存在だけでなしに,現世における,また,現世に生きるあらゆる人間の魂の中における内在が含まれる,ということになる。
キリスト教の神観では,神の超越的な面(あるいは”ペルソナ”(三位一体の神のおのおのの位格)は”父なる神”のうちに現れ,内面的な面は,”聖霊としての神”のうちに現れる。しかし,キリスト教の信仰の独特の,かつもっとも重要な特徴は,神が二元的存在でなくて三位一体であること,そして”子なる神” としての面において他の二つの面が統一され,この神秘によって,人間の頭では理解できないが,人間の胸ではっきりと感じることのできる一つのペルソナを形成していることである。”まことの神”であると同時に,”まことの人間”であるイエス・キリストのペルソナのうちに,神の社会と現世社会は,この世ではプロレタリアートの間に生まれ,罪人として死ぬが(注:バラバかイエスかという意味で),別の世界では”神の国”の王,神そのものであるところの王となる, 共通の成員をもつ。一方は神的で他方は人間的な二つの性質がどうして単一の人格のうちに同居しうるのだろうか。この問いに対するいくつかの答えが,信条の形で,キリスト教父の手により,ヘレニック社会の哲学者の専門語を用いて作り上げられている。
どこまでも時間の流れの中にとどまる運動としての再生を考えるならば,それこそイエスがニコデモに説いている再生である。「だれでも新しく生まれなければ,神の国を見ることはできない」<ヨハネ福音書3・3> また,他の箇所で,かれが肉身をとって生まれてきた最大の目的と宣言しているところのものである。「わたしがきたのは,羊に命を得させ,豊かに得させるためである」<ヨハネ福音書10・10>
かつてヘレニック文明がはなやかに開化したときに,ムーサイ(ギリシャ神話の芸術を司る九人の女神)がアスクラの羊飼いヘシオドスに歌って聞かせた神誕歌のアンティフォ二が,解体期のヘレニック社会が動乱時代の断末魔の苦しみをし,世界国家の昏睡状態におちいりつつあったときに,天使たちがベツレヘムの羊飼いたちに歌って聞かせた別な神誕歌である。天使たちによって告げられた生誕は,ヘラスの再生でもなければ,ヘレニック社会と同種の社会の新生でもなかった。それは"神の国”の王の肉身による生誕であった。
エドワード・ギボンの「ローマ帝國衰亡史」を読むまでもなく,神を求めることによって自己の魂を救う努力をすることと,隣人に対する義務を果たす努力をすることとが対立することはない。<マタイ福音書,22章37~39節>
しかし不可知論者に神を冒涜する機会が与えられた。勝利者となる宗教は通常,競争相手の主要な特徴のうちのあるものを引き継ぐことによって勝利を獲得するからである。勝利を得たキリスト教のパンテオンにおいて,マリアの,神の偉大なる母への変貌という形で,キュベレやイシス(ISIS)の姿が再現しているし,また戦うキリストのうちにミトラなどの面影が認められる..............なぜキリスト教は,ユダヤ教の,神は愛であるという洞察を承認し,宣言した後に,それと相容れない,ユダヤ教のねたむ神の概念をふたたび取り入れるようになったのか。それ以来絶えずキリスト教に大きな精神的損害を与えてきたこの逆行は,キリスト教がカイサル崇拝との生死にかかわる争いにおいて勝利を得るために支払った代価であった。教会の勝利によって平和が回復されたのちも,互いに相容れないヤーウエとキリストとの結びつきは解消するどころか,かえって一層強化された。勝利の瞬間に,キリスト教殉教者の非妥協的態度が,異教や異端を迫害するキリスト教会の不寛容に移行したのである。(注:特に13世紀のスペインで顕著であった)
ロックフェラーは隠れマラーノと呼ばれるがそれらは13世紀に起源がある。
13世紀,スペインを支配していたマホメット教徒は北から攻めてきたキリスト教徒によって追放され,スペインはキリスト教国になった。次いでスペインを完全なキリスト教国としようとしたフェルナンドとイザベラによってユダヤ人はスペインを追放されることになった。ただ,キリスト教の洗礼を受けてクリスチャンになれば許された。...この頃,キリスト教に改宗するユダヤ人が沢山いた。その中には本当に改宗したものもいたが,表向きだけの者もいたのである。この偽のクリスチャンをマラノ(スペイン語で豚)と呼んだ。恐らく改宗者のほとんどが表向きだったに違いない。
一方,本気でクリスチャンになったという連中は自分の忠誠心を見せつけるために,激しく同胞のユダヤ人を迫害した。その一番有名な者がトマス・トルケマーダで,彼の異端審問所の残酷さは背筋が凍るものである。私はこの男こそ実は最も熱心なユダヤ教徒ではなかったのだろうかと思っている。本当のクリスチャンは絶対にそんなことはしない。「敵を愛し迫害するもののために祈れ」と言ったキリストが許さないのだから。これは,しかし,ユダヤ人の歴史の同情すべき片面である。確かに彼らは迫害され,どこにも住むところなく悲惨な歴史を背負っている。マラノはこのように強制され,いやいやながらクリスチャンにならされた民族の悲劇である。ユダヤ人は豚を食べないからわざわざ豚をたべさせて調べた事からも来た名前のようである。<マラーノは小石牧師談>
闇は真の光に対抗するために、光を偽装して戦力を集めようとする。しかし、見極める目を養えば、真の光と、光を偽装する闇とを区別することは可能である。
Please bear all this in mind, if you will, in the momentous days which lie close at hand.
(クリストファー・ストーリー&管理人共同声明)