http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/12/2645.htmlより一部転載
『室町時代に出来た伏見殿配下の各種の特殊技能集団(高等忍者)を皇統奉公衆という。その一部は、室町時代からオランダを拠点として海外活動をしていて、毎年数人の奉公衆がライデン大学に派遣されて西洋学術を学んでいた。奉公衆の活動分野は西欧のみならず、当時全く無主の原野であったシベリアで砂金や貴重鉱物の採取をしており、日本に莫大な砂金を招来した。
皇統奉公衆には真贋の二種があり、「真」はアマテルを拝する大峰山系修験で、「贋」はスサノヲを拝する大江山系霊媒衆である。
大江山系霊媒衆という呼び名からも伺われるが、皇統奉公衆には丹波者が多く、維新直後から満州に進出して現地人と化し、馬賊になっていた者が多いと云う。
折から世界的な大航海時代に入り、伏見宮ネットワークはこれに同期して世界に広がり、オランダに恒久的拠点を設ける。伏見殿がオランダのライデン大学に送り込んだ代々の要員が採集した海外情報が常時日本にもたらされ、伏見殿を通じて天皇に届けられるルートが完成し、室町時代から江戸時代に移っても続いた。
従って、江戸幕末の皇室は、幕閣を上回る海外情報を常に得ており、これを判断基準として、列強の恐喝に屈して不用意な軽挙妄動に陥ることなきよう、幕閣の対外政策を監視していた。
まとめると、
非人(朝鮮半島からの流入民や国内の逃散農民)に対する社会政策を、加茂役君小角(役行者)を源流として西大寺が担っていた。彼ら非農業民(非人)の収入源は専ら市場(散所)活動であり、その上納金が西大寺に貢納され、西大寺基金となった。南北朝時代になって、偽装死去した南朝護良親王とその末裔である伏見殿(裏天皇)が西大寺-極楽寺ネットワークを取り仕切るようになる。折からの市場(散所)経済の興隆によって、西大寺の事業は莫大な収益を上げ、それを財源として、伏見殿(裏天皇)は港湾を整備するとともに海外進出をはじめ、諜報部隊である皇統奉公衆(高等忍者)を海外に派遣する。この説で南朝系の伏見殿(裏天皇)の諜報組織の源流となっているのは、朝鮮半島からの流入民や国内の逃散農民の社会政策を担っていた役行者(役小角)である。役行者は修験道の開祖と云われるが、その正体は何か?あるいは修験道とは何だったのか?』
関連記事:九州高千穂のホホデミ王朝と神武東征
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/845.html
(百済)長州~(秦氏)薩摩を前提にすると.....スサノオ(後の出雲族)は朝鮮半島経由で....スメラミコト(後の大和族)は海路経由で九州高千穂に上陸で整合性がとれる。
サンカとゴシェン その1
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/297.html
サンカとゴシェン その2
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/298.html
サンカとゴシェン その3
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/302.html
サンカとゴシェン その4
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/303.html
『古代日本には大海原や広大な大陸を踏破し、東洋の端の島国へと辿り付いた民族が幾つもひしめき、互いに覇を競っていたのである。
彼らは各々の伝統と文化、習慣、信仰を携え、異民族と出会う度にそれを取り込んだり排除したりしながら、日本という島の中で次第に融合していったのだろう。
その中にはヒッタイト帝国を築いた民族がおり、イスラエル王国やユダ王国の流れを汲む人々がおり、南洋系や北方系の人々が居たのであろう。
現在のアメリカのように人種の坩堝(るつぼ)の様な状況を呈していたのかも知れない。その多くの人種の中でもヒッタイト系の人々が最初に支配権を握っていたのかも知れないが、その覇権は転々と各部族の間で移動したのだろう。
聖徳太子と呼ばれる人物も、恐らくはその中の一人であったろうと思われる。
つまり伝承を見る限りは、蘇我氏と結託して旧勢力であった物部氏を急襲して滅ぼしてしまう。そして、その時に物部氏に伝わっていたであろう多くの史書を焼き捨てたのだ』
二人のハツクニシラス天皇(スメラミコト)
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/2782
日本人が知らない日本
http://www.thinker-japan.com/thinkwar.html
『薩摩藩と長州藩の両者が結び付いた軍事同盟である薩長同盟の結果、倒幕運動が功を為し、明治維新に至ったとされています。』
21世紀の薩長同盟を結べ
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/575
南朝革命
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/2179
疑史76回
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/1041
『開国後の政体を見通された孝明帝は「堀川戦略」を立てられた。その時期はおそらく、帝の義弟・徳川家茂が上洛した文久三年ではないかと推測する。因みに、この年に長崎のグラバー邸が完成している。「堀川戦略」の骨子は想像するしかないが、おおよそ次のようなものではなかったか。
六条堀川の日蓮宗本圀寺の境内に秘かに堀川御所を設ける。
孝明帝は時期を見計らって崩御を装い、そこに隠れる。
皇太子・睦仁親王は遁世して堀川御所に隠れ、新天皇には南朝系人物が入れ替る。
孝明帝の女官らの多くは新天皇に仕えず、堀川御所に入る。
公家と少数の女官らが皇居で新天皇に仕える。
この事態に対応するため、新天皇の宮廷を改革して女官を遠ざけ、閑院宮皇統の徳大寺実則が側近として近侍し、事情を知るごく少数の武官が侍従として警護する。』注:本圀寺(ほんこくじ)は、京都府京都市山科区にある、日蓮宗の大本山(霊跡寺院)であり六条門流の祖山である。山号は大光山。
大室寅之祐の出自と明治天皇
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/bakumatuootyokotaico/oomuroco.html
新天皇は長州藩の「奇兵隊天皇」大室寅之祐で、父は南朝の血を引く地家作蔵、母は浄土真宗興正寺派の娘と巷間報じられるが、尊皇倒幕派の政治理念として南朝皇統復活の声が高まっていた時宜に最も適う選択であった。そもそも「万世一系の皇室」とは、南北両統の連合体を謂うのだから、違和感はない。教科書歴史は、東京遷都は此の頃は未だ決まらずとするが、新帝の御所が京都御所ならば堀川では近すぎる............
太田氏は更に新説を紹介し、次のように述べている。
概要「北朝系に代えて南朝系の明治天皇として即位した大室虎吉→寅之祐は、母の代に連れ子で大室家に入籍しており、南朝皇室系とされている大室家の血筋を引いていない。正確には地家作蔵の血統である。更に、大室家の家系図も大室家として辿れるのは4代前辺りまでであり、大室家が南朝の末裔であるとの確証の裏づけも無い。いずれにせよ、大室虎吉→寅之祐は南朝云々とは関係がない、と言うことに成るであろう。この説については、今後、検証して行く」。
これらに付随して、次のような奇説も発表されている。れんだいこは、あまりなこと故に判断を留保するが安易には退けがたい。
「明治天皇は大室家から出たのみ ならず、昭和天皇は大正天皇の子ではなく、大室近祐の息子徳川恒孝の子である。更に、大正天皇は、東久邇宮稔彦の息子三笠宮崇仁の御子である。大室系を南朝と呼び、(実は水戸斉昭の子である)中川宮朝彦系を北朝と称する」。
「橋本龍太郎の父龍伍は橋本卯太郎と大室ヨネの間の子である。大室ヨネは大室寅之祐の弟庄吉の娘であるから、 橋本龍太郎は明治天皇(従って今の皇室)と同じ家系云々」。
南北朝秘史 その1
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/290.html
南北朝秘史 その2
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/291.html
秦氏と日本の中の伝統文化
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/2771
八咫烏が言っている『賀茂氏=レビ族』
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/1921
「ヤタガラス」とは、裏神道秘密組織「 ... その正体はイスラエル12氏族の内、祭祀を つかさどっていたレビ族の末裔で、「賀茂氏」と呼ばれる「秦氏」の一派だといいます。http://ascensionnote.blog.shinobi.jp/Entry/41/
陰陽師、安倍清明やそのライバルの蘆屋道満はもちろん、そもそも陰陽道の開祖である役小角も「賀茂役君小角」と呼ばれる「賀茂氏」の一員であったそうです。
神道の祭祀氏族には中臣氏や卜部氏、猿女君氏、忌部氏などが存在しますが、天皇の即位式である大嘗祭のように、直接天皇祭祀に関わるトップが「賀茂氏」というわけです。
世界史掲示板(荊の紀氏・いばらのきし))
http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/?
以下は同じ管理人さんです
日本古代史掲示板(荊の紀氏)
http://8628.teacup.com/toraijin/bbs
こんな記事もあります
http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/3574
物部守屋はイルミナティだった?
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/1592
参考:
落合秘史
投稿者:Piyorina 投稿日:2013年 8月21日(水)11時27分50秒
大室帝と裏天皇家については、現在私も解読中なのですが、落合莞爾氏の「国際裏天皇と数理系
『シャーマン」(今月12日に出版されたばかり)等の落合秘史シリーズが更に参考になるかと思います。
落合氏は、吉薗周蔵手記に始まり、「さる筋」「その筋」からの断片情報を分析し、古来日本に存在してきた数理学系測量屋集団と、欧州「ワンワールド勢力」とを繋げる「伏見宮海外ネットワーク」の存在をつきとめています。 歴史的な背景知識などがないと少し理解するのに難しいのですが、鬼塚氏が望んでいらっしゃる天皇家の裏事情を世に明かし、日本人が目覚める契機となる貴重な情報が書かれていると思います。
また、HAARPについても同氏の著書「金融ワンワールド」付章P256~「HAARP計画については、大手マスコミは全く報道せず、インターネットで検索する以外にありませんが、本稿はこれにはタッチしません。 プラザ合意とは、各国の協調介入でドル高を潰し、その結果円高になった日本を困らせて「円売りドル買い」という反対行動に追い込み、過剰流動性を強制してバブルを発生させる意図に行われたもの、と観るべき筋合いになります。
そこで地価高騰から狂乱株価となった日本に、日経225株価指数の先物取引を創設して、大蔵省の指導で生保はじめ機関投資家に買わせ、反対に外資系証券会社にこれを売らせて、外人売り邦人買いのポジションを作り、平成二年の三重野暴落によって、一挙にレーガンに贈呈したわけです。日本のバブル崩壊で得た資金を、レーガンはHAARP計画に回します。・・・」以下略
このようにしてHAARPの資金を意図的に確保してきたことが書かれています。また、HAARP基地は現在アラスカではなく、空撮画像から完全に隠ぺいし見た目にはわからなくしてしまっていますが、カナダ・ディクソン島に存在しています。 地図には載せていないDVDのダハウと同じですね。』
注:日本の真相ビデオ
http://www.youtube.com/watch?v=igJ12gwRtvQ&list=PLMA8BWNvBdz-29sRtVJgysWMcX_586YDt#t=14
大和朝廷成立前後
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1918
裏天皇の正体 その1
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/09/002604.html
裏天皇の正体 その2
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/09/002607.html
裏天皇の正体 その3
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/10/002608.html
裏天皇の正体 その4
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/10/002615.html
裏天皇の正体 その5
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/10/002616.html
上のリンクで裏天皇の正体 その6 その7 その8 その9が抜けていました
裏天皇の正体 その6
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/12/2645.html
伏見宮海外ネットワークはここを参照(その6)
裏天皇の正体 その7
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/12/2669.html
裏天皇の正体 その8
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2014/01/2646.html
裏天皇の正体 その9
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2014/01/2647.html
なぜか10~13がなくて
裏天皇の正体 その14
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2014/03/2713.html
裏天皇の正体 その15
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2014/03/2715.html
裏天皇の正体 その16
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2014/05/2716.html
落合秘史
http://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A7dPifg4LBxUMyEAO76JBtF7?p=%E8%90%BD%E5%90%88%E7%A7%98%E5%8F%B2&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=&afs=
考明天皇 大室天皇の真実
http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2013-05-06
裏神道高官のナマの声をあげましょう。
http://ascensionnote.blog.shinobi.jp/Entry/41/
われら忌部は秦氏である。
秦氏には色々な職業、家系がある。
例えば、政治関係を担当した秦氏は藤原家がある。
経済担当は三井家があり、三井家が神宮遷宮時の費用を捻出しておった。
武家担当の秦氏には源平等がある。
よろしいか?
秦氏は歴史から姿を消した。
それは改名したに過ぎない。
役割分担をはっきりさせると共に国体の護持の為に秦氏は改名したのだ。
われら忌部は秦氏の中でも祭祀を専門に担ってきた。
よろしいか?
われら忌部は秦氏の中で祭祀を職に持つ者。
よって、われら忌部は秦氏と同族である。
しかして、われら忌部は物部に祖がある。
物部氏の中でも祭祀を担当するわれらの祖先が後に神武天皇と共に渡来した秦氏と婚姻を結び、現在秦氏としての忌部がある。
貴殿が申される「「新撰姓氏録」によると斎部氏が忌部氏の祖であり、元々は斎部と書いたそうですが
どうなのでしょうか?」に対しての答えは新撰姓氏録が編纂された時に物部系忌部から秦氏系忌部に変わっただけの事。
秦氏系忌部を斎部と名乗る事もある。
秦氏系忌部は神宮、熱田、諏訪、宇佐、高良等の大社の祭祀をしておる。
しかして、物部系忌部は出雲、伊雑、籠、石上、大神神社等の古社の祭祀をしておる。
祭祀支族の太祖に、天細女命、天児屋命、天太玉命などがある。
天細女命は猿女氏、天児屋命は中臣氏、天太玉命は忌部の太祖である。
よろしいか?
記紀の奥義の一つに、全ての神道祭祀が開始されたのは、「天岩戸開き神話」からとある。
「天岩戸開き神話」において、祭祀の中心は天児屋命、天太玉命である。
天児屋命が太祝詞言を奏上し、天太玉命が五百津真賢木に鏡、勾玉を飾り付けて自ら持った。
この時の祭祀が神道祭祀の始まりである。
天児屋命の子孫、中臣氏の「中臣」は神と人の間という意味がある。
中臣氏の中でも亀トを専門に行うものをト部氏と申す。
現在、広く知られている神宮、宮廷祭祀を担当するのはこの中臣氏である。
後に中臣氏の中で政治を担当する者は藤原と名乗った。
この藤原氏の中で一般向けの祭祀を行う者は斎藤と名乗る。
天太玉命の子孫であるわれら忌部は太祖天太玉命が五百津真賢木に鏡、勾玉を飾り付けて自ら持った。
とある様、神器を直接扱う事が赦された者である。
天太玉命の太祖は高皇産霊神であり、その娘である万幡豊秋津師比売命が生んだ子なり。
天太玉命には5人の配下が存在し、それぞれが天太玉命とは別に忌部の祖となった。
阿波忌部の祖「天日鷲命」讃岐忌部の祖「手置帆負命」紀伊忌部の祖「彦狭知命」
出雲忌部の祖「櫛明玉命」筑紫・伊勢忌部の祖「天目一筒命」
また、安房忌部の祖は「天富命」である。
賀茂氏は忌部の中でも最高の祭祀支族である。
大祭司は賀茂氏であり、忌部の中の忌部である。
よって、賀茂氏も秦氏である。
神宮の祭祀は中臣氏であるが、それは表の儀式。
陰陽道は裏表がある。
裏の祭祀で神宮の心御柱を直接奉蔡されるのは賀茂氏。
賀茂氏の中でも陛下直属の賀茂氏は戸籍と姓名が無い。
戸籍の無き賀茂氏をわれらは「漢波羅」と呼ぶ。
表の陰陽師を陰陽師、裏の陰陽師を漢波羅と申す。
この漢波羅が神道奥義を握っておられる。
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