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堕天使ルシファーの謎

http://web.archive.org/web/20161007172626/http://www.geocities.co.jp/Technopolis/7978/k-p2.htm

途中次枠がづれていますので原文を参照ください

堕天使ルシファーの謎

 

SINCE 1998.4.13


PART2

 

光と闇の壮絶な戦いの結果「堕ちた天使」が誕生した!!

天使の世界にも「闇」の部分は存在する!それはいったいどのようにして生まれてきたのか?そこはかつて、神々と悪魔との壮絶なる戦いがあった!

 



天使軍団による反乱が勃発!

 

天使のなかで、もっとも力を持った天使は、いうまでもなく天使9位階のうち、最高位「熾天使」である。

かつて、熾天使のなかでも、さらに熾天使長ともいうべき、ひとりの天使がいた。彼は天使中でもっとも神に近い存在である。

神が光であるように、彼もまた光の天使であった。天使名は「ルシフェル」──「光を運ぶ者」という意味だ

ルシフェルは、神を除けば、この世でもっとも力をもった存在である。これがルシフェルの慢心を生む。

もし、神がいなければ、自分がこの世を支配できる。自分が神になることができる。ならば神を倒し、自らが神になろう。ルシフェルは、そう考えたのだ。

「イザヤ書」には、こうある。
「かつて、お前は心に思った。「わたしは天に上り、王座を神の星よりも高く据え、神々の集う北の果ての山に座し、雲の頂に登って、いと高き者のようになろう」と」(イザヤ書第14章13節)

自分の価値観が絶対的な真理であると信じるルシフェルは、天使としての使命を忘れ、堕落した。神学では、堕落した天使を特別に「堕天使」と呼ぶ。

天使の名前はミカエルやガブリエルのように、神聖さを表す「エル(神という意味)」を末尾につけることが多い。

だが、堕天使には、この「エル」はそぐわない。そのため、ときに堕天使としてのルシフェルを「ルシファー」と呼ぶことがある。

ここでは、これを採用したい。さて、自らの力を過信する堕天使ルシファーは、仲間の天使たちを次々に誘惑する。

もともと最高位の熾天使のトップであったルシファーの言葉に、多くの天使が戸惑い、大混乱へと発展。

天界の天使の3分の1とも、半分ともいう天使がルシファーに従うまでになる。こうして一大勢力となったルシファー軍は、ついに絶対神に戦いを挑む──!!

もちろん、ルシファーに惑わされなかった天使もいる。

筆頭が、かの大天使ミカエルである。彼らは、絶対神のもと、ルシファーたちに立ち向かう。
「さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦した」(ヨハネの黙示録第12章7節

ここでいう「竜」が堕天使ルシファーである。

しかし、相手は絶対神である。この世界を創造した絶対神である。

いくらルシファーいえど、所詮、天使。勝ち目はない。

戦いは反乱軍の決定的敗北で幕を閉じる──。

 

 





堕天使に下された厳しい処罰

敗れた堕天使たちに、絶対神の処罰は厳しかった。
「ああ、お前は天からおちた。明けの明星、曙の子よ。お前は地に投げ落とされた、もろもろの国を倒した者よ」(「イザヤ書第14章12節」)

この「明けの明星」「曙の子」とは、かつてルシファーが光の天使ルシフェルだったことを意味する。

が、もはやルシファーは光の天使ではない。堕天使である。堕天使は、みな地に落とされた。このときの様子を『新約聖書』は、こう記す。

「勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろとも投げ落とされた」(ヨハネの黙示録第12章8~9節)

一読してわかるように、地に落とされた堕天使は、みな悪魔「サタン(神に敵対する者という意味)」となった。

これが、「光の超常生命体(天使)」に敵対する「闇の超常生命体(悪魔)」の正体だったのである!!

なかでも、堕天使長ルシファーは、サタンの中のサタン、サタンの大王、大魔王グランド・サタンとなった。

悪魔となりし堕天使は、絶対神の怒りにより、さらに地獄の底へと突き落とされる。
「神は、罪を犯した天使達を容赦せず、暗闇という縄で縛って地獄に引き渡し、裁きのために閉じこめられました」(「ペトロの手紙2」第2章4節)

 



光と闇は天使と堕天使の戦い

 

『旧約聖書』の「創世記」の冒頭に、こんな記述がある。
「神は言われた。『光あれ』こうして光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた」(「創世記」第1章3~5節)

多くの人は、昼と夜という表現から、神が初めに創造した「光」を太陽であると考えがちだ。が、実は、そうではない。

この光の創造は第1日目であるが、太陽の創造は第4日目なのである。
「神は言われた。『天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ』そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた」(「創世記」第1章14~16節)

となると、だ。初めに神が創造したという光とは、いったい何なのか。

一般に、これは光そのものであると解釈される。つまり、物理学的エネルギーとしての光(フォトン)である。

神学では、光にも霊があると考える。一説には、光の霊こそ、光の天使であり、熾天使ルシフェルであるという。

神が最初に創造した光の霊であるがゆえ、ルシフェルは、もっとも神に近い存在だというわけだ。

実際のところ、こうした解釈は、結構多い。しかし、これは根本的に間違っている。

この光の霊は、イエス・キリストである。人間として生まれてくる以前の霊としてのイエスなのだ。

これは筆者の独自の説ではない。イエス自身が語っていることなのである。
「イエスは再び言われた「わたしは世の光である」(「ヨハネによる福音書第8章12節」)」

絶対神が最初に創造した光の霊がイエスであるがゆえに、イエスは自らを指して「神の子」と称しているのである。

そうすれば、先の記述の意味も解けるだろう。

光の創造の後、神が光と闇を分けた。これはイエス・キリストに従う天使とルシファーに従う堕天使の戦いを物語っているのだ。

つまり、天使が光、堕天使が闇なのだ。

光と闇の戦いは、そのまま天使と堕天使の戦いであり、その結果、堕天使が地に落とされる。光の霊であったイエスは、このときの一部始終を見ている。
「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた」(「ルカによる福音書第10章18節」)

ここで重要なのは、『聖書』が一貫して、天使と悪魔、あるいは光と闇の対立を描いているという点である。

そしておもしろいことに、この徹底した二元論は、実は、世界中の神話伝説に見られるきわめて普遍的な思想なのだ。

 



天使の戦いは世界中の神話にある

 

イエス・キリストをメシアと認めないユダヤ教にも、堕天使の思想はある。

ユダヤ教神秘主義「カバラ」では、堕落した天使の筆頭を「サマエル」とか「サタナエル」と呼ぶこともある。

なんでも、サタナエルからエルが取れて、サタンになったという。

同じく『旧約聖書』を聖典とするイスラム教でも、基本的には同じだ。

「コーラン」によると、アダムへの礼拝を拒否した天使イブリースが地に落とされる。

クルド族の神話では、原初、この世界に7人の天使がいたという。そのうち、もっとも最初に生まれた天使は悪魔であり、その名を「孔雀天使」という。

孔雀天使は、絶対神に反逆し、そのかどで地に落とされたという。

非常に興味深いことに、『聖書』の堕天使説とまったく同じ構造を持った神話がペルシア神話にある。

ペルシア神話における、最高神の名は「アフラ・マズダ」。光の神である。アフラ・マズダと敵対する神に「アーリマン」なる神がいる。

あるとき、アーリマンはアフラ・マズダの光に嫉妬。これを破壊して、自らが至高の存在になろうと戦いを挑む。

その際、アーリマンは配下に悪霊を従え、迎え討つアフラ・マズダたちは天使たちを従える。

しかし、アフラ・マズダの前にアーリマンは敗れ、地獄へと落とされる。ここに大魔王アーリマンは誕生する。

どうだろう。まさに『聖書』が描く堕天使ルシファー伝説そのものではないか。しかも類似性は、これだけではない。

地に落とされたアーリマンは、しばしば「蛇」と表現される。堕天使ルシファーが蛇や竜と呼ばれているのはいうまでもない。

また、『聖書』が描く天使と全く同じ天使が存在すると同じように、悪霊も存在する。

悪魔は「ダエーワ」という、これが悪魔を意味する「デーモン」「デビル」の語源になる。

さらに、だ。ペルシア神話には、「ミスラ」という名の神が登場する。これは古代には、最高神アフラ・マズダに並ぶほどの神格をもっていた。

ミスラは、ローマにおいては「ミトラス」、ヒンドゥー教では「ミトラ」、ジャイナ教では「マイトレーヤ」、そして仏教では「弥勒」となる。

驚くべきことに、ミスラは契約、友情、そして救世主という性格を持った光の神なのだ!!

これはまさに、キリスト教におけるイエス・キリストであるといってもいい。

先に見たように、イエスは絶対神とともに、光の存在として、闇の存在と戦った。同様に、ミスラもアフラ・マズダとともに、アーリマンと戦ったのである。

このように、ペルシア神話では、明らかに『聖書』と同じ堕天使伝説が存在する。

ペルシア神話は、そのままアーリア人の神話であり、同じアーリア系の神話である北欧神話、ヒンドゥー神話、ギリシア神話、ローマ神話、ヒッタイト神話などと基本的に同じ構造を持つ。

すなわちアフラ・マズダは「オーディン」であり、「ジュピター」「ゼウス」なのである。さらに、古くなれば古くなるほど、それら神々の名は一致し、堕天使伝説も明確になる。

ちなみに、アフラ・マズダは仏教に取り入れられて、「大日如来」や「阿弥陀如来」となる。



闇の霊となった堕天使が地上に!

 

北米のインディアン、イロクォイ族の神話では、主神が「善なるカエデの芽」。

挑戦するのは、「悪なるタウィスカロン」。戦いの結果、タウィスカロンが敗れ、死者の国の王となる。

中米のアステカ文明では、この世の創造主にして主神「ケツァルコトル」が、破壊と残虐の神「テスカトリポカ」と戦う。

テスカトリポカは敗れて、魔となる。古代エジプト神話では、父「オシリス」を殺した弟「セト」と兄の「ホルス」の抗争が描かれている。

やはり、最後にホルスが勝利を得て終わっている。ちなみに、この悪神セトを、サタンの語源とする説もある。

日本神話の最高神と言えば、いうまでもなく「天照大神」。これに反逆するのが、スサノオである。

敗れたスサノオは神々の住む高天原から追放。闇の世界「根の国」に下り、そこを支配する。

とにもかくも、こうした光と闇の対立を描く神話は、世界中に分布する。

なぜ、かくも似た神話が存在するのか。もちろん、民族の移動や流入によって、神話も影響を受けた可能性はある。

実際、アカデミズムは、『聖書』の堕天使伝説は、ゾロアスター教の影響を受けたのではないかと考える。

しかし、古代の人間が受け入れたと言うことは、それが事実であると認識していたことにほかならない。

彼らは、本気で神が存在すると考えていた。神に従う天使も、敵対する悪魔の存在も信じていたに違いない。

逆に言えば、信じるにたるだけのことが堕天使伝説にはあったということがいえる。

すなわち、実際に、この世には天使が存在し、また堕天使も存在するのではないか。

地に落とされ、闇の霊となった堕天使が、この地上を徘徊しているのではないだろうか。

もし、そうなら、ことは重大である。これまで空絵事と思われていた悪魔の存在を、今一度、考えてみることが必要だ。

次章では、神学に対する悪魔学に踏み込み、彼らの実体に迫っていくことにしよう。

 


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PART3

 

肉体を持たない「悪魔」たちは超常現象を通じて心に入り込む

悪魔というと、われわれはすぐに凶悪な姿を思い浮かべる。しかし、本当の悪魔は、そのような姿はしていない。

ねじまげられた悪魔像を、ここで検証してみよう。



奇怪な姿で描かれる悪魔たち

 

神の真理を追究する学問として神学があったように、悪魔の素性を追求する学問に「悪魔学」なるものがある。

天界から追放された堕天使は、かつての天使の姿から醜い獣のような姿へと変わった。 それは見るからに妖怪変化と言った姿をしている。

では、堕天使は、いったいどんな姿へと変わったのか。

具体的に見てみよう。まず、筆頭は、やはり大魔王ルシファーだ。もっとも一般的なは、頭が山羊で手は熊、狼のような鳴き声を発し、背中には飛翔用のコウモリの翼を持つ。

尻には、長い動物の尾がついている。この他に、紅顔の美少年であるとか、いまだに光の天使の姿を装っているとかいった説もある。

また、ルシファーには妻があり、その名を「リリス」という。下半身が蛇の姿をし、アラブの伝承では、アダムの最初の妻であったという。

『聖書』のなかで、ルシファーは「蛇」「竜」とも呼ばれたが、同様に巨大な竜の姿をした悪魔が「レヴィアタン(レヴァィアサン)」である。

その全身は、燃えるような真っ赤な姿をしている。

ルシファーに次ぐほどの力を持ち、かつ有名な悪魔に「ベルゼブル」という悪魔がいる。

「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ」(マタイによる福音書第12章24節)

悪霊の頭と呼ばれるように、地獄の最高君主であると、多くの悪魔学者は考える。

事実、その名は「住処の王」、すなわち地上の支配者という意味である。また、似た名前に「ベルゼバブ」があり、両者を同一視する傾向もある。

名の意味は「蠅の王」。まさしく、その姿は巨大な蠅の姿をしていると考えられる。

『旧約聖書』において、もっとも登場するのは「バール」である。悪魔学では、地獄の大将とも呼ばれる。その姿は、まさに異形。顔は3つあり、老人の顔の両脇に、蛙と猫の頭。下半身は蜘蛛で、数多くの脚を持つ。

さらに忘れてならないのが、地獄の大侯爵「アスタロト」だ。

コウモリの翼に爬虫類の手足、左手にはマムシを持ち、耐えがたいほどの悪臭を放っているともいう。

このほかに像の姿をした「ベヘモス」、フクロウの頭を持つ「アンドラス」、黄金の子牛で偶像崇拝の対象となった「アモン」、いつも酒に酔って醜態をさらす「ベリアル」、角がある馬「アムドゥシアス」など、まさに無数の悪魔が存在する。

ユダヤ教の教典『タルムード』によれば、その数は同時代の人間の数よりも、はるかに多いという。

 

 





異説の多い悪魔社会の階級制

悪魔軍団は、ただ烏合の衆のように存在するわけではない。

天使に階級が存在するように、堕天使=悪魔にも階級がある。17世紀の「セバスチャン・ミカエリス」は、天使の階級と同じように、3位階9階級のヒエラルキーを想定する。

上位位階は、最上位を「ルシファー」、第2位を「ベルゼバブ」、第3位を「レヴィアタン」が構成する。

中位位階は、第1位を「ヴェリーヌ」、第2位を「グレシール」、第3位を「ソネイロン」が構成する。

だが、これが悪魔学の定説かというと、実は、そうでもない。

天使に比べ、その階級には非常に異説が多い。たとえば、今でも多いが、普通名詞である「サタン」に、一個の独立したペルソナ(人格)を与え、「サタン」という魔王が存在するとする説だ。

ふつうは大魔王サタンを大魔王ルシファーと同一視するのだが、なかには、両者は別々の存在であると説くものもある。

そうなると、どちらがヒエラルキーの上位なのか、判然としなくなる。ある学者は大魔王サタンの下に副将軍ルシファーがいるとし、まTある学者は、その逆であるとする。

一度、悪魔に関する本を読んでみるとわかるが、実際、そこには、はっきりとした定説など存在しない。

いや、そもそも欧米のキリスト教における悪魔学が提唱する悪魔像に、大きな問題があるのだ。



偶像崇拝=悪魔という解釈

 

古代のメソポタミア文明に少しでも詳しい方なら、ここに出てくる悪魔の名前に、聞き覚えがあるはずだ。

実はキリスト教が想定する悪魔のほとんどは、みなメソポタミア地方の神々なのだ。キリスト教からすれば、異教の神々として描かれているのである。

バールやアスタロトなどは、みなフェニキアの宗教の神。もっといえば、そのルーツは、シュメールの神々である。

なかでも徹底的に目の敵にされたのが、太陽神バール。嵐や雷を操る主神である。ちょうど、ギリシア神話のゼウスに相当する。その名の意味は「主」または「王」本来は、普通名詞であった。

そのため、『旧約聖書』でも、絶対神を象徴するときに、この「バール・ペリテ(契約の主)」という名前を用いたりしている。

バールという名は転訛して「ベリ」「ビリ」「ビール」などといった名前となる。そういう視点で、悪魔の名前を見てみると、これらを含んだものが少なくない。

天使の名前の末尾に「エル」がつくように、悪魔の名前には「ベル」がつく。

たとえば「ベル・ゼブル」「ベリ・ト」実は、これらはみなバールの分身にすぎない。バールに修飾の称号が付加されて、一見すると違う名前に見えるだけである。

つまり、違うように見えるために、別な存在として考えられてしまったのだ。

またアスタロトは、もともと「アシュタルテ」という女神であった。これがギリシア神話に入り、「アフロディティ」、シュメールでは「イシュタル」、エジプトでは「イシス」と呼ばれた。

同様のことは、この日本でもあった。安土桃山時代、カトリックの宣教師達がやってきたときのことだ。

彼らは、鎌倉の大仏を見たとき、とっさに、これを悪魔の像だと考えた。そして、豊満な胸をあらわにして、男を誘惑する淫らな目を持つ(アルカイックスマイルのことか?)女悪魔を日本人は崇拝しているという報告をヴァチカンに送っている。

何かの歴史的偶然が重なれば、日本の大仏も、悪魔軍団のなかに加えられていた可能性があったことになる。

まりは、『聖書』に記された絶対神以外の神は、みな神ではなく悪魔なのである

悪魔が神々と称して人身を惑わしているのだ。それが欧米のキリスト教の伝統的な解釈である。

比較神話学の立場からすれば、これほど理不尽なことはない。独善的だという印象も否めない。

だが、よくよく読めば、『聖書』はバールやアスタロトを悪魔とは呼んでいない。異教の偶像にすぎないと主張しているのだ。

偶像はあくまでも偶像であり、それ以上の存在ではないし、悪魔のような超常能力も持っていない。それを強調するかのように、預言者エリアは、バールを崇拝する異教徒と対決。

本当に神が存在するなら、奇跡を起こせるはずだと迫った。その結果、イスラエルの絶対神は奇跡を起こせたが、バールの反応は何もなかった。

もし、バールが堕天使なら、何らかの超常現象を起こせたはずである。

それがないということは、緒戦は、たんなる偶像にすぎないのである。よって、偶像をもとにした悪魔の姿が、蠅であるとか、蛇であるとか、はては3つの頭を持っているとかいった説に、現実的な意味は何もない。

コウモリの翼など、たんに闇のイメージを想起させるために創作されたにすぎない。

しかも、だ。もし悪魔が実在するとなれば、こうした伝統的な解釈に縛られていては、本当の姿を見失う危険がある。

先に見た悪魔像は、みな欧米のカトリックの神学者が想像したものだ。噂に尾ひれがついて広まるように、想像が想像を生み、本来とは、まったく関係のないものを作り上げてしまったのである。

 



本当の悪魔は肉体を持たない!

 

本当の悪魔とは、いったいいかなる姿をしているのか。

まず、忘れてならないのは、悪魔は堕天使であるということだ。

堕天使は、もともと天使であった。天使に肉体がないように、堕天使にも肉体がない。よって、悪魔に獣のような姿を想定すること自体、ナンセンスなのである。

詳しくは次章で論ずるが、基本的に、天使は人間のような姿をしている。

預言者の前に現れた天使は、多くの場合、「人」や「光り輝く人」として表現されている。

よって、天使は霊体であるが、その形は基本的に人間のような姿をしていると考えていい。

これは堕落した天使、すなわち堕天使でも変わらない。つまり、悪魔は人間の姿をした霊体なのだ。

これをひとつ覚えておいてほしい。「ヨブ記」では、サタンの姿を、こう描写している。
「風が顔をかすめてゆき、身の毛がよだった。何ものか、立ち止まったが、その姿を見分けることはできなかった。ただ、目の前にひとつの形があり、沈黙があり、声が聞こえた」(ヨブ記第14章15~16節)

肉体がないため、ヨブには、サタンの姿を見ることはできない。

だが、その存在だけは、なんとか確認できている。いわゆる気配がするとでも表現すればいいのだろうか。目をつぶっていても、そこに人がいれば、何らかの気配を感じるように、ヨブはサタンの気配を感じた。

さらに、興味深いのは、「ひとつの形があり」という部分である。目を閉じていても、手で触れば、なんとか形を把握することはできるだろう。

だが、ヨブはサタンに触っているわけではない。第六感とでもいおうか、特殊な感覚で、その姿を見たのだ。

それは、ある意味で幻影であるといっていい。

薄いホログラム映像のように、サタンの姿が見えたのだ。しかし、そこに他の人間がいたなら、その姿を見ることができなかったに違いない。

同様に、サタンの声も、他の人間には聞こえなかっただろう。まさに幽霊のようなものである。

いや、一般にわれわれが幽霊と呼んでいる存在の多くは、この堕天使=悪魔なのだ。

肉体を持たないが、超常現象を引き起こす力を彼らは持っている。それによって、人間の超能力ともいうべき感覚に訴え、己の存在を知らしめるのだ。

それゆえ、『聖書』では、悪魔のことを「悪霊」ともいう。

悪霊というと、すぐに質の悪い死んだ人間の霊であると考えがちだが、実際は、そのほとんどが悪魔である。

これが本当に悪魔の姿である。けっして妖怪変化のような姿をしているわけではない。われわれ人間と同じような姿をしているのだ。

ただし、その姿は見えない。ある特殊な感覚を持っている人間以外には、その形さえわからないのだ。

こういうと、おそらく多くの識者、神学者から、こう指摘されるに違いない。

もし、そうなら、なぜ『聖書』には、サタンが巨大な赤い竜であるとか、蛇のような姿で描かれているのか。描かれている以上、実際に、悪魔は、そうした姿をしているからではないのか──。

実は、これこそ、もっとも重要な部分である。「ヨハネの黙示録」の赤き竜としてのサタン。そして、巨大な竜レヴィアタンとしてのサタン──。これらは、みな「幻視」という形態をとって描かれている。

幻視による映像は、基本的に象徴である。象徴は、あくまでも象徴であって、実体ではない。多くの神学者は、この区別を曖昧にしている。

そのために、わけのわからぬ怪物としての悪魔像が流布することになる。

とくに絵画として描く場合、どうしても幻視の象徴そのものがモチーフとなる。一般の人間は、それがサタンの実際の姿であると考えてしまうのだ。実は、これは悪魔に限ったことではない。

天使についても、同様なのだ。次章では、いよいよ天使の実態に迫り、悪魔と天使の決定的な違いを暴露しよう!

 


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