ソファーでくつろぐマー君。後方の襖の裏がマー君とスー君の寝室で布団も敷いてあり右の空間は開閉式で自由に出入りできるようになっている。スー君は写真には写っていませんが左側にある座布団を敷いたマッサージチェアが指定席。この写真と記事は関係がありません(笑)。
雨の日の夜,二人はご主人の書斎の窓から怪しげな人影がいないかチェックする。マー君は耳がよく,スー君は鼻が効くのでいいコンビだ。紀州犬のマー君はそのむかし狼だったので時々遠吠をする。薩摩ビーグルのスー君は麻薬探知犬としても活躍しているほどでスー君はモグラとりの名人だ。ところで最近二人はご主人にするどい質問をした。「鬼塚英昭さんや高橋吾郎さんはどうして逮捕されないのかと」.......主人曰く:もしそういうことになった場合,裁判所で証拠が出されたら困るからだろうね.......英国公文書館にもあるしね,と。二人はまた言う。3.11では核兵器が使用されたと。
核実験による人工地震は、核爆弾が一瞬で破裂して発生するため、地震波が高周波になる。(自然地震は規模が大きいほど、断層が長い時間にわたって長く割れることで、地震波は低周波になるそうだ。)
そういえば二人は小さいころから主人のお話をよく聴いていたっけな。
大東亜戦争の舞台裏も.....
※ 以下、抜粋
◆日中戦争をなぜ日本はしたのか、日独伊三国同盟をなぜ日本は締結したのか、「南進」と対英米戦争の道をなぜ日本は選択したのか、……などの謎は「戦犯容疑者」として裁かれる前に服毒自殺した近衛文麿の墓に道づれにされた。
日本の破局を運命づけたこれらすべての決定がなされたときの総理大臣はすべて近衛文麿であって、これらの国家の意思を決定した最高権力者は憲法上も実態においても近衛文麿だけしかいないからである。東條英機は、近衛が敷いたレールの上を走った、近衛の影武者にすぎなかった。
〈中略〉
◆米国のルーズベルトの周辺は共産主義者で固められていたのと同じく、日中戦争の早期講和を阻み「南進」を決行する日本でもまた近衛文麿首相の周辺は共産主義者の巣窟であった。
近衛文麿が積極的に側近に登用した共産主義者としては、書記官長(=現在の官房長官)の風見章(親ソ系のマルキスト)、ゾルゲ事件の首謀者の一人として死刑となった尾崎秀実(ソ連のスパイ)、日中講和の阻止に暗躍した西園寺公一(中国共産党系のマルキスト)や犬養健(中国共産党系のマルキスト)、朝日新聞の佐々弘雄、松本重治など挙げるときりがないほど多い。
◆太平洋戦争(日米戦争)に至る、日米それぞれの国家における開戦決定過程で、このようにソ連の影響や共産主義者が暗躍した事実から、日米戦争とは共産ロシア(ソ連)が誘導した戦争であった、といえる。ロシアこそが、日米間の戦争を欲して、それなりの努力(積極工作)に全力を投入して生じた戦争、それが日米両国の死闘を尽くしての太平洋戦争の裏面である。
みんなマー君とスー君みたいに仲良くね!この子たちは善も悪もない至高の世界にいるのです。邪念もないしね。日々これ好日なり。
大日本帝国憲法第一条
『大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す』
恭て按ずるに,天皇の宝祚は之を祖宗に承け,之を子孫に伝ふ。国家統治権の存する所なり。(伊藤博文・憲法義解22ページ)
当時の法制官僚・伊藤巳代の解説
日本の神聖なる王位は皇室の祖先から受け継がれ,子孫へ伝えられる者である。そこに日本国家を統治し支配する力が備わるのである。
山本七平・現人神(あらひとがみ)の創作者たち
トルーマンは原爆投下で心が痛まなかった....
ダモクレスの剣 その2参照
日本の一番醜い日
ここの記事でも何回も書きましたが吉田茂は逐一当時のグルー米国駐日大使にPODAMしていた。PODAMとは「吾通報す」の意味でPOは日本を意味しPO+JACKPOTは日本のギャンブルで大当たりの意味)。当然原爆投下の日時も把握していた。そして全ての情報は吉田ヨハンセングループより天皇に報告された。天皇は原爆投下の日時を正確に把握していたがその頃には天皇資産の移転は終了していた。終戦は聖母マリアが死ぬことなく、生きたまま天にあげられたことを記念する日・カトリックの聖母被昇天祭に合わされた。
8月15日の意味は?
上の阿修羅の記事の原文
吉田茂がCIAに情報提供していた事実
御前会議の内容をグルーにリークしていたのは誰か?
傀儡メディアが持ち上げる白州次郎
サンフランシスコ講和に向かう吉田茂と白州次郎。日本語は正文ではなかった。これはその後の米国への盲目的追従を意味する。
阿片王サッスーン
阿片戦争の舞台裏
動画・阿片戦争
上海にいたサッスーン、ジャーデイン・マデイソンというロスチャイルド財閥から援助され財をなした吉田健三は、ある長崎の女郎が生んだ子供を養子にする。吉田茂その人である。その子が長じて東大法科に裏口入学し、牧野伸顕の娘雪子と結婚する。満州利権を守るため、田布施の一族(管理人注:田布施とは朝鮮人部落のこと)と血の契りを結ぶ。のちにヨハンセン・グループを作り、天皇の承認のもとに、アメリカ大使のジョセフ・グルーに極秘情報を流し続ける。』
吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895~1988年)が、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれ、自衛隊や内閣調査室の創設にかかわる内部情報を提供していたことを示す資料を3日までに、有馬哲夫早大教授(メディア研究)が米国立公文書館で発見した。
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日本に圧力をかけるシオニスト組織・SWC
「私は今回の記事で解任されたものの一人である。なぜ、あなたがたは『マルコポーロ』に直接抗議せずに広告主に圧力をかけたのか。これは卑劣で恥ずべき行為だと私は考える。」
「あなたがたは『マルコポーロ』廃刊は、文春が自主的に反省した結果と考えているかもしれないが、それを信じるほど私はナイーブではない。私は編集者になって18年になるが、この間、最も大事にしてきたのは、言論には言論で対抗するという原則である。間違っても暴力や言論以外の力で対抗するべきではない。
しかし、それをあなたがたは守らなかった。
こうしたあなたがたの卑劣で恥ずべき行為こそが新たなファシズムを招き、第2のアウシュヴィッツに繋がるのではないか。」
「もう一度聞く。なぜ反論しなかったのか。必要なのは事実であり、プロパガンダではない。あなたがたの行為こそがネオナチである。」
※ この発言が終わったとき、セミナーの中にいた文春社員の一人は次のような感想を持ったという。
「私は彼の発言を聞き終わり、彼に対して拍手したい気持ちで一杯だった……」
各国赤十字は軍の医療部隊に組み込まれていった。また,第二次世界大戦中には,赤十字の歴史上の汚点となる問題が起こった。というのは,赤十字国際委員会は,1938年にドイツ赤十字からユダヤ人が追放されること,1939年にはドイツ赤十字メンバーがナチスの人種政策研修講座の受講を承認したこと,そして,1942年末にはアウシュビッツで絶滅用ガスが使用されていることを知っていた。
しかし,赤十字国際委員会は何ら行動を起こさず,ナチスのユダヤ人虐殺に「沈黙」をもって答えたのである。
原爆はトルーマンによる人体実験だったので日赤の看護婦はスイス赤十字が治療をしようとすると治療を拒否する場面もあったそうだ。
第1に、原爆の惨状についての報道を禁止し、『人体実験』についての情報を独占することだった。
第2に、史上前例のない火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者のケロイドの皮膚や臓器や生存被爆者の血液やカルテを没収することだった。
第3に、日本政府をして国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否させることだった。たしかに、『実験動物』を治療するのでは『実験』にならない。そこでアメリカ軍は全力を尽くして被爆治療を妨害したのである。
第4に、被爆者を『治療』せず『実験動物』のように観察するABCC(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置することであった。加害者が被害者を観察するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか。」
1998年,英国のBBC放送は,対戦中の赤十字とナチスの関係をつぶさに検証した番組を制作した。(NHKBS1『国際赤十字の光と影』1999年1月11日放送)この番組によると,大戦中,ドイツ赤十字はナチスの支配下に置かれ,収容所に派遣された医師にはユダヤ人の生死を決定する権利が与えられた。また,1944年6月には,赤十字国際委員会にナチスからチェコにある収容所への招待状が届いた。収容所では招待客を迎えるべく,草花が植えられ,芝生が敷き詰められ,建物のペンキが塗り替えられた。押し込まれていた囚人たちの多くは他の収容所に送られた。快適な環境で囚人たちは草花に水をやり,音楽界を楽しんでいた。もちろん,これらは世界の目を欺くための巧妙に仕組まれた茶番劇であったが,赤十字国際委員会は口を閉ざした。このときのユダヤ人生存者たちは,きっと誰かがナチスの意図を見破ってくれると期待していたと後年,語っている。しかし,彼らの期待は裏切られ,何事もなかったように招待客は収容所から引き上げて行った。生命の危機という最大の苦難のなかにいて助けを求めている人々を赤十字は見放したのである。
ところで終戦時の天皇家の財産は現在のGDPとの比較ですれば現在は500兆円だから天皇家の資産は64兆円から100兆円だったと考えられる.....と天皇財閥の著者:吉田祐ニ氏は言っているが国に没収されたなどとお門違いなことも言っているノー天気さだ。
この新聞記事を読めば誰でも没収されたと思いますが,真の物語はここから始まったのです。
Behind The Myth その1に答えがある
『天皇は(表面的には皇后名であるが)、執拗にこの寄付に力をそそいだものと思われる。この紛争は1946年6月、極東委員会と連合国軍総司令部(GHQ)にゆだねられた。極東委員会はこの年の10月、「ICRCの主張に根拠はない」として送金禁止を決定した。マッカーサーの決定ですべてが終わったかにみえた。しかし、赤十字はアメリカの弁護士を雇い、マッカーサーに脅しをかけた。マッカーサーは解任の動きを知る。この問題がからんでいると私は推測する。しかし、今のところ確証はない。
そしてついに極東委員会も、この問題に反対し続けた英国政府も、赤十字の工作に敗北宣言を出した。』(管理人注:ここでいう赤十字は日本赤十字のこと。)おそらく島津忠承あたりが黒幕だったのでしょう。香淳皇后は旧薩摩藩主島津忠義侯爵の孫。戦前はマネーを仕切るのは宮内省でしたからね,つい最近まで宮内庁長官を務めた藤森昭一氏が日赤総裁でした。
第五皇女であった清宮貴子内親王は島津家へ嫁いている。おたかさんという愛称で皆から愛されている。その優雅な気品さはおなじおたかでも土井たか子とは月とスッポン。
近衛文麿が青酸カリ自殺をしたことは管理人はそうは思わない。天皇マネーを知りすぎた近衛文麿が極東軍事裁判でペラペラ喋られては困るからである。知りすぎた人間は殺されている。近衛文麿家=摂家
日本の赤十字の人物一覧
日赤は天皇財閥の最大の企業
日赤と天皇の関係
日赤と天皇財閥の闇
イエズス会と長州
JR東と革マル派
公安警察トップは......?
(文鮮明師が創設した)勝共連合の運動の歴史の中で、私が一番感動を覚えたのは、1978年の京都蜷川(にながわ)革新府政を打倒した時の、知事選における勝共連合の壮烈な闘いぶりであった。当時、28年も続いた「京都蜷川革新府政」は、「京都共産王国」とか「人民共和国蜷川府政」とかマスコミ界で騒がれていたのである。(中略)ところが、78年の府知事選で、この日本革新政治の灯台の火は消されてしまった。この蜷川体制崩壊を目の前にみた不破書記長は、次のような談話を発表している。「自民党陣営は、その別働隊として国際勝共連合を使い、この選挙戦で、全く謀略と非道の限りをつくして杉村陣営に攻撃を加えた。(中略)くり返しての抗議と申し入れにも拘らず、政府と関係当局は彼らを放任し、この点では、京都府は無法地帯と化するに至った(中略)」と。すなわち、蜷川共産王国が倒れたのは、自民党よりむしろ国際勝共連合の(中略)選挙戦活動によるもの、というのが日本共産党の受け取り方である。(中略)国際勝共連合の「共産主義に勝つ」活動も決して日本国民だけの問題ではない。我々は勇気をもって、この闘いを益々強めなければならない。
▲弘津恭輔(元公安調査庁第一部長、元総理府総務副長官、元警察大学校長)
公安は隠れ統一が多い。もしこの空恐ろしい記事が本当なら,日本はもう終わりだろうな。何も知らない若者が可哀想だ。
オルタ通信は隠れ統一ともY新聞情報部の隠れPODAMとも言われている。その彼が一日中部屋に篭もって送られてくるファックスを記事にしているのである。「真実を知らせるのに金はとらない」と公言しておきながら今はメルマガで金をとっている。英国公文書館のF0369にあるとした下の記事はF0368の最終ページにあることから推察するに自分自身では英国で調べたのではないことがすぐわかる。
以下の記事を転載する。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/73148617.html
2007年12月16日
武器販売促進のため第二次世界大戦を起こした武器密輸商人=天皇
『天皇は、第世界大戦二次中、日本軍が使用する武器、燃料を、敵国の米国から密輸し、物資の欠乏する日本軍に高額で「売り付け」、利益をスイス銀行に隠し、蓄積していた。スイス銀行には、明治時代以降、天皇一族が日本人女性を誘拐し、売春婦として海外に「売却」した50万人の女性の「売却代金」も蓄積されている。
「天皇は、米国の軍事産業と一体化」し、日本と米国の間に戦争を起こし、米国軍事産業は米国政府に武器を売り、武器密輸商人=天皇は日本政府に武器を売り付け利益を上げ、日本人を戦争で大量虐殺した。天皇一族こそ、日本人大量虐殺の犯人であり、最も悪質な売国奴であり、戦争犯罪人である。天皇一族こそ、日本民族の敵である。
1945年8月、天皇は、スイス赤十字社に1000万スイス・フラン=現在の時価で約33億円を手数料として支払い、数兆円の天皇一族の隠し資金を、赤十字社名義に「書き換える」要請を行った。これは、天皇一族が人身売春、武器密輸で蓄積した貯金を米軍に没収される事を恐れ、赤十字社名義に書き換え、不正な資産「隠し」を行うためであった。要請は、紆余曲折の末、受理された。
戦争で日本国民全体が1日3度の食事さえ不可能になり、広島、長崎に原爆が落とされ、その治療のために少しでも資金が必要な1945年8月に、数兆円もの資金を天皇はスイス銀行に持ち、預金の名義書き換えのため「だけ」に、33億円もの「手数料」を支払い、自分の財産隠しを行っていた。日本人が多数餓死している最中に、である。
その預金の名義書き換えは受理され、戦後60年、利息が利息を生み、巨大化し、現在も、不正に蓄積され続けている。武器密売と、天皇一族に誘拐された日本人女性の人身売買の「利益」である。これは、戦争で天皇一族に殺害された、膨大な数の日本人の「命そのもの」である。
天皇が、この不正蓄財を隠すために、赤十字社と必死で交渉しているアサマシイ姿は、天皇のアサマシイ要請の扱いに困惑した戦勝国・英国の外務省と赤十字社との間で交わされた、正式な外交文書としてロンドンの公文書館で、誰でも閲覧する事が出来る(ファイルNO. FO369 / 3969 及び FO369 / 3970)。
この天皇(一族)が2007年、米国ロックフェラーと会談し、日本を支配しないで欲しいと日本人のために要請した等という、フォーブス元アジア支局長の主張がデマ宣伝の情報操作である事は、こうした点に明確に現れている』転載終わり
このファイルNO.はF0369ではなくF0368の最終ページにあり1945年8月ではなく1945年4月が正しい。また天皇からでなく皇后陛下からであり公文書の手紙では受け取った当局が困惑している様子がうかがえた。スイス赤十字に1000万スイスフランの送金は事実。だれでも閲覧可能ですが手続きがややこしく一階で荷物や帽子などをロッカーに預けてから二階へ行き面接をしてリーディングルームへ入る三年有効のカードをもらう。写真も撮られる(カードは写真つき)。英語の出来ない人は無理。館内にいる職員に教えてもらって閲覧したいファイルNOをパソコンに記入して30分ぐらいで厳重な警備員にカードを見せて中でファイルを受け取る。待ち時間の30分は一階で軽食でも取れる。
日本赤十字(略称「日赤」)。おそらくその名前は誰もが一度は聞いたことがあるだろう。しかし、意外に実態は知られていないのではないか。
前回のなんで屋劇場で話題となった「イルミナティ」や「貴族」の実態について調べていると、赤十字という慈善救済活動の裏で繋がる世界の皇族たちの姿が見えてきた。
以下、るいねっとより
>2001年8月13日、共同通信社はスイス政府とスイスの赤十字委員会(ICRC)の1945年8月、終戦直前の公文書を報道した。その内容を記すことにする。簡単にわかりやすく解説する。
終戦直前の8月、昭和天皇の皇后(良子)の名で一千万スイス・フラン(当時と現在のスイス・フランの購買力を単純に比較しても約33億円)の巨額な寄付をするとスイスの赤十字国際委員会(ICRA)に提示した。これに対し、連合国である対日政策決定機関の極東委員会が、この寄付申し込みを受け入れるなと赤十字に通達を出した。しかし、赤十字はこの極東委員会の提案を覆し、1949年5月に秘密裡に送金を受け入れた。この寄付は横浜正金銀行がスイス国立銀行に保有していた「日本の秘密口座」と呼ばれた「特別勘定」から拠出された。皇室はスイスの国立銀行に秘密口座を持っていたし、現在も持っている。どうして天皇が自分の名前でなく皇后名で横浜正金銀行からスイスに送金したかは不明である。
しかし、推測してみよう。2001年の評価額で約33億円の金を赤十字に寄付するということは、赤十字と何らかの秘密取引をしたとしか考えられない。寄付の数十倍ないし数百倍の秘密預金を、赤十字の名前を借りるか、その力添えでスイスの国立銀行の秘密口座に入れたということであろう。
終戦直前の8月7日、東郷茂徳(当時外相)が、赤十字の駐日代表に皇后名で一千万スイス・フランの寄付を申し入れた。赤十字は応じた。しかし、スイス政府は8月16日に英米などとの合意に基づき、日本資産を凍結した。
1949年に赤十字が英米による圧力下の日本資産凍結の圧力を覆し、一千万スイス・フランの寄付を正式に認めたということは、横浜正金銀行の天皇の「秘密口座」の資金の凍結を解除するための努力の見返りであったといえよう。正確な金額は把握できていない。前述のマニングは昭和天皇の秘密資産の一部について次のように書いている。
「天皇はハイテク電子工業とホテルへの適切な投資で得た推定五千万ドルを公認の手持ち資金として個人的に東京で貯蓄することができた。この投資を可能にしたのが、スイスにある推定30億ドルの秘密資産である。この秘密資産の一部をさまざまな一流企業に融資した天皇は、投資の機会を得て、かなりの額の利益を得たのである。」
<中略>
天皇は(表面的には皇后名であるが)、執拗にこの寄付に力をそそいだものと思われる。この紛争は1946年6月、極東委員会と連合国軍総司令部(GHQ)にゆだねられた。極東委員会はこの年の10月、「ICRCの主張に根拠はない」として送金禁止を決定した。マッカーサーの決定ですべてが終わったかにみえた。しかし、赤十字はアメリカの弁護士を雇い、マッカーサーに脅しをかけた。マッカーサーは解任の動きを知る。この問題がからんでいると私は推測する。しかし、今のところ確証はない。
管理人注:良子女王はのちの香淳皇后で旧薩摩藩主島津忠義侯爵の孫)
そしてついに極東委員会も、この問題に反対し続けた英国政府も、赤十字の工作に敗北宣言を出した。
<(以上、引用終わり)
では、ここで天皇とスイス(国際金融の中枢)を繋ぐ役割を担っていた「赤十字」(国際赤十字社・日本赤十字社)とは、一体どんな組織なのか?
ウィキぺディア「日本赤十字社」リンクによると、日本赤十字社の前身は大給恒と元老院議官で後に伯爵となった佐野常民らが1877年の西南戦争時に熊本洋学校に設立した博愛社。この博愛社は国際赤十字とは無関係に創設されたものだったが、1886年ジュネーヴ条約に調印した政府の方針により、翌1887年に日本赤十字社と改称した。
当時西欧の王室、皇室は赤十字活動に熱心であり、近代化を目指す日本でも昭憲皇太后(明治天皇皇后)が積極的に活動に参加し(正式紋章「赤十字竹桐鳳凰章」は昭憲皇太后の示唆により制定された)、華族や地方名望家が指導的立場に就いた。現在、日本赤十字社は厚生労働省の管轄下にあるが、名誉職には皇室メンバーが就いており、その関係はいまだに深い。
そして、日赤の上部組織である国際赤十字の創設には、「赤十字の父」と言われるジャン・アンリ・デュナンの活動が深く関係しているが、彼はスイスの実業家であり、1901年にはこの功績を認められて第1回ノーベル平和賞(参照:210211)を受賞していることも考え合わせると、「人道・公平・中立・独立・奉仕・単一・世界性」という欺瞞的な7原則を掲げる赤十字の活動とイルミナティあるいは金融資本家たちによる世界戦略との結び付きを考えずにはおれない。
この赤十字については、もっと鮮明にその活動を調べていく必要がありそうだ。
そんな天皇マネーの海外への移転をたくらんでいる最中1945年5月29日横浜大空襲は起こった。写真は横浜黄金町。その頃管理人は母のお腹のなかにいた。すぐ近くにいたそうだ。母の実家は伊勢崎町。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84%EF%BC%9D%E3%83%93%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%8A%E3%82%A6%E5%BC%B7%E5%88%B6%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80
赤十字国際委員会(ICRC)とドイツ赤十字(DRK)
まずは「赤十字国際委員会(ICRC)」と「ドイツ赤十字(DRK)」の違いを簡単にでも知る必要がある。ICRCは中立性を重視した赤十字組織で、世界中の紛争地域へ介入を行うことを目的とした国際機関であり、本部はスイスのジュネーブに置かれている。一方DRKは、ジュネーブ条約締約国のドイツに設けられた各国赤十字組織であり、活動の中心はドイツ国内である(「日本赤十字東京支部」に概要)。特に、戦時中の両者はまったくの別組織であり、ホロコーストを研究するにあたっては、どちらの赤十字が作成した資料かを見極める必要がある。
輝かしい歴史のなかの汚点 (ICRC)
スイス人技術者などは戦時中もドイツ国内を自由に移動でき、強制収容所内の細部についてはさておき、1938年頃より後にもたらされたドイツに関する情報はICRCが注視せざるを得ないものであった。各強制収容所に数多くの援助物資を送り続けるが、ナチスの非人道的な行いの調査と実効的な手段による行動については消極的であった。理由として、本部の依拠するスイスと当事国であるドイツが国境を接し、産業でも強く結びついていたことにより、永世中立国と言えどもナチスの動向には敏感にならざるを得ない状況であったこと、赤十字の活動には原則当事国の承諾が必要なため表立った非難は状況をさらに困難にすると考えられていたこと、さらにはジュネーブ条約の条項に一般市民(文民)保護に関する規定がなかったことなどが挙げられる。特にスイスの国益に関する問題は大きな足かせであった。1942年当時、ICRC委員でもあったスイス大統領フィリップ・エッターは、断固たる態度を示すことに反対し、ICRC委員長のカール・ブルクハルト(de:Carl Jacob Burckhardt)は、ファシズムよりも共産主義の拡大を恐れ、その防波堤となるナチスと国際社会の良き仲介者であろうとした(カール・ブルクハルトがドイツ系スイス人であったことも関係)。このような状況下で強制収容所に送り込まれた視察員は、意図してつくられた平和的な光景に惑わされることになる。ICRCが実効的な手段を執るようになったのは、ドイツの敗色が濃厚になり、いよいよ残りすべての被収容者を処刑しはじめようとした1945年から。主だった強制収容所にICRC委員を"常駐"させ監視できるようになったことで、それまで送り続けていた援助物資が被収容者に確実に届きはじめ、併せて消えかけた命も救われた。
1995年、ICRC委員長コルネリオ・ソマルガは、アウシュヴィッツ解放50年周年式典に出席するにあたり、当時の対応に誤りがあったことを認め遺憾の意を表明した。
ナチスに組み込まれた赤十字 (DRK)
1933年にイギリスの王族出身でナチス党員のカール・エドゥアルト元公爵が総裁職に(後に国会議員も兼任)、1937年にSS高級将校エルンスト・ロベルト・グラーヴィッツが総裁代行職にそれぞれ就任したことは、DRKがナチスまたはSSの一部局であることを象徴するものであり、後の組織改編を経て決定的となる。赤十字の基本原則である「平等」が破棄されるとともに、ナチスの標榜する人種的な抑圧政策が持ち込まれた。強制収容所の人体実験や選別は、間接的に関係したというあいまいなものではなく、DRKの行為そのものであったと言える。
1945年4月、エルンスト・グラーヴィッツはベルリンが戦場になるなか、家族を巻き添えにして手榴弾で自殺。カール・エドゥアルトは非ナチ化裁判で有罪となり、重い罰金を課せられるとともに、財産のほとんどをソ連に没収された。赤十字の崇高な理念に反するだけででなく、まさに利用していたことは、苦しい時代を生きた人々の信頼を著しく失墜させた。
さてはてメモ帳さんより
あらゆる人間を憎む悪霊が、聖書の神となって西洋を支配し、後に世界を支配したのは、
―人間の種族を滅ぼすためー
であったのだから。
そう聖書にも、ギリシャ神話にも書かれている。
ただ、昔は人間を完全に滅ぼすための手段がなかった。
だが、今は違うのだ。
彼は、あの男、アブラハムやヤコブと呼ばれる悪霊となって人間社会に現れ、ついに全人類を消滅させる手段を手に入れたのである。
宗教とは、人間の幸福を願うという皮を被った、悪魔の目的、人間を騙す手段であったのだから。
宗教が呪いであること、そして政治とは宗教であることに、日本人や世界の人々は気づいていないのである。
宗教がなくとも、先祖を祀ることができるということを、私たち人間は知ることが必要だ。
だが、その時間が残されているかどうか、人類が生き残れるかどうか、私自身、確信が持てないほど、状況は差し迫っている。
オバマが核兵器を300発に減らすといっても、300発の水爆があれば、地上の全人類を殺すことができる。
アメリカに、テレビ局に、宗教に、聖書に、ユダヤ人支配層に、騙されていることを全世界の人々が気づくことができれば、人類が生き残ることも可能になるであろう。
その僅かな可能性に、私も賭けたい。
アジェンダ21
この地球から人類がいなくなれば、ユダヤ教と聖書、そして悪魔もいなくなることは確かである。そんなものは、人間が創り上げたものばかりなのだから。それ以前に、善量や悪霊はいたかもしれないが、神も悪魔もいなかった。
すべて人間が、その働きを利用してきたのである。自分たちが他民族より力を得るために。
その最たるものが、ユダヤ教=キリスト教=イスラム教であったことは、世界史の教科書を冷静に読んで、なぜ、これらの宗教によって、戦争が起きたのかを考えれば、おのずと答えはでる。
その宗教が戦争を起こしていたのだ。
異教徒を殺し、その富を奪うために。
そして、一部の人間に力を集めるために。
いまだ変わっていない、この世界の法則を、すべての人間が正しく認識するべきである。
そして、理性を持った動物として、「他人を殺さない、他人の財産を奪わない」という、正しい認識を、常に忘れないようにするべきだ。
たとえ、ヒトラーやブッシュ、スターリンや橋下徹が命令したとしても。
人間を殺すことは、正義ではなく、悪であり、罪なのだから。
戦争とは、人間を殺すため政治家よって張られた、「罠」である。
政治とは、悪である。
このことをけっして忘れてはいけない。
その悪しき現代政治を、私たちは、人間の良心によって、善なるものに変えるのだ。そのためには、今ある悪を糾弾しなければならない。世界の多数である善良な人々が手を結べば、それは可能なことである。
悪は、絶対的少数である、その悪が、小さな政府、悪の寡頭支配を唱えている。人間を滅ぼすために。
古代から、それは悪魔と人間の戦いであった。
それをまとめたのが「聖書」と呼ばれている、悪魔のアジェンダなのである。
だが、このことを世界のほとんどの人が知らない。だから、私はこの事実を世界に伝え続ける。
人間が、悪霊に左右されない、悪しき人間どもに利用されない時代が、いつの日かやっていることを信じて。