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我々が生きている意味

http://web.archive.org/web/20071228223046/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/214.html

2006/9/9

「平岡公威と生きている意味・あるいは知の創造」  
 平岡公威(ひらおかきみたけ)とは故三島由紀夫(1925年1月14~1970年11月25)のことである。昭和45年学生とのティーチ・インが大學で何回もひらかれ当時の学生は興奮した。最近亡くなった妹の母校でもひらかれ,会社が休みだったので一度見に行ったことがあった。
 丁度その二年後市谷で楯の会会員・森田必勝の介錯で割腹自刃した。当時の様子は

ここで知ることが出来る。

 この写真は大蔵省を辞め作家として仮面の告白を書いた当時の若き三島由紀夫である。この多くの作品のうちで聖書の「予定説」に触れたのはこの作品だけである。まだ耽美的・唯美的・叙情的な作風ではなかった。
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 私が人生に対して抱いていた観念は,アウグスティヌス風な予定説の線を外れることがたえてなかった。いくたびとなく無益な迷いが私を苦しめ,今もなお苦しめつずけているものの,この迷いをも一種の堕罪の誘惑と考えれば,私の決定論にゆるぎはなかった。
 私の生涯の不安の総計のいわば献立表(メニュー)を,私はまだそれがよめないうちから与えられていた。私はただナプキンをかけて食卓に向かっていればよかった。今こうした奇矯な書物を書いていることすらが,献立表にはちゃんと載せられており,最初から私はそれを見ていた筈であった。

 やがて私がそこへ行かねばならぬいわゆる「社会」が,お伽噺の「世間」以上に陸離たるものとは思えなかった。一つの限定が無為意識裡にはじまっていた。そしてあらゆる空想は,はじめから,この限定へ立ち向かう抵抗の下に,ふしぎに完全な・それ自体一つの熱烈な願いにも似た絶望を,滲ませていた。  「仮面の告白」より抜粋

        学生とのティーチ・インより

学生:暗殺は絶対に肯定されるべきじゃあないとおもいますが?

三島:暗殺の問題から,人を殺すか殺さないかという問題がいつもあなた方の頭の中で一緒くたになっている。そして暗殺というと熱狂的に否定して,すぐそれが人を殺しちゃいけないというふうになる。その考えの根底は,戦後のいわゆる人間主義の教育から来ていると私には思われる。つまり殺人と言う問題を客観的に扱うことができない。すぐそれが,とにかく人を殺すことはいけないのだというふうにいっちゃう。

刑法は皆さんやっておられるから一番わかるでしょうが,刑法には人間性というものに対する二つの根本的な考えが昔から争っています。これは客観主義の刑法と主観主義の刑法との二大対立であります。ご存知のように主観主義のほうが教育刑主義で,客観主義のほうが応報刑主義であります。.....ですから殺すことはいけないのだということは,一つの判断であり,一つの立場なんで,あなたは人間性というものを直視していないのです。それと同時に民主主義というものを直視していない。....

一億人の人間が全部同じ考えだということは人間としてあり得ない。それをしようとすれば,強制収容所の思想が必要になってくるのです。.....あなたはどこかの文芸評論を聞いてきて,美という字をくっつければ,三島がギャフンと参るだろうと思っているかもしれないが,そんなもんじゃない。

現実というものは行動と主張で成り立っているかもしれないが,その行動と主張にはそれぞれクオリティがなきゃならない。質がなきゃならない。最も現実的な行為と,最も高尚な行為との間に階段がなきゃならない。それが我々の生きている意味なんです。
 

 三島氏の見たものはこのヤコブの梯子(旧約聖書の創世記28章12節「ヤコブの夢」参照)であったのであろうか
 
ヤコブの梯子
 
https://blog.goo.ne.jp/kamisanbi/e/5c86ca2c8120dbf711eb7d71ae8f2ac8
 
ヤコブの梯子 (創世記28:12) - 朝の光(聖書の言葉)

ヤコブの梯子 (創世記28:12) - 朝の光(聖書の言葉)

ヤコブの梯子(創世記28:12)「そのうちに,彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き,見よ,神の使いたちが,そのはしごを上...

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三人の友はヨブに説得(ヨブ4:7) - 朝の光(聖書の言葉)

三人の友はヨブに説得(ヨブ4:7) - 朝の光(聖書の言葉)

三人の友はヨブに説得エリファズはヨブに次のように言いました。(ヨブ4:7)「考えてみよ,だれが罪のないのに,滅ぼされた者があるか。どこに正しい者で,断ち滅ぼされ...

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学生:太宰治についてはどう思われますか?

三島:私は太宰とますます対照的な方向に向かっているようなわけですけど,おそらくどこか自分の根底に太宰と触れるところがあるからだろうと思う。だからこそ反発するし,だからこそ逆の方に行くのでしょうね。おそらくそうかもしれません。

学生:初期のころ三島先生は,夭折の美学ということをよく説いておられましたが。

三島:美しく死ぬということはつまり私の年齢ではもう遅いかもしれないけど,西郷隆盛は私は美しく死んだと思っています。あれは49歳なんです。.....それじゃあ醜く死ぬというのは何だろうと思うと,だんだんに世間的な名誉の....そして床の中で垂れ流しになって死ぬ事です。私はそれが嫌で嫌でおそろしくてたまらない。あなたは本当に死ぬ気はなかったのだろうというけれども,戦争が済んでからなかなかチャンスがないわけだ。

とにかく太宰さんみたいに女と一緒に川へ飛び込むのもいいだろうが,なかなかチャンスがない。私と一緒に死んでくれる女性ーーこの中にそんな女性の方でもおられればいいのですが(笑),そういう志望者がなかなか現れないのです(爆笑)ですから要するにチャンスを逸したということですな。

   政治行為の象徴性について・核兵器と国家の正義

一体なにが正義なのかという問題になりますと,核兵器から遠いものほど正義になっているんですな。力が弱ければ正義量が増すんですから,男よりも女の方が正義なんだ,女は男より弱いですからね。子供は女より弱いですから,子供は女より正義量が高いんですね。そうすると世論を支配するものは,いつも正義量の高いものだから,女子供の理論で支配される。女子供の理論は,「これはいやだ」,「もっとほしい」,「ドレスがもっとほしい」,おもちゃ一つやったら「もっとほしい」。現状はみんな不満なんです。女であることはいやだ,こどもであることはいやだ,現状を全部変えたいとなる。
 
三 島 由 紀 夫 割 腹 余 話
     
 
 
   


昭和四十五年(一九七〇)十一月二十五日、作家・三島由紀夫(四五)が東京都新宿区市ケ谷本村町の陸上自衛隊東部方面総監部の総監室において割腹自刃した。その際、三島と行動をともにした楯の会会員四人のうち、森田必勝(二五)も、最後には古賀浩靖の手を借りたとはいえ、三島を介錯したのち割腹し、その森田の首をさらに古賀が刎ねた。いわゆる≪三島事件≫である。当時のある新聞が、三島の首と胴体が転がっている生々しい写真を掲載して非難を受けたことを記憶している。

 

 【事件のあらまし】  -省略可-
 死についての三島の計画の立てかたは、その小説の結構と同様、手が込んでいた。彼は細心の注意を払って、身辺をきれいに整理した。十一月に先立つ半年の間に、彼は順を追って執筆その他の約束を果たした。「豊饒の海」第四部である「天人五衰」の最終稿を、彼は期日どおりに出版社に渡せるように完成した。三島が締め切りを守らないことはなかった。

彼はまた、彼の私兵である「楯の会」会員から、計画に参加する数名を慎重に選んで準備した。この特別班は、滞りなく事が運ぶようにリハーサルさえ行った。そして、二十四日の夜、三島は最終的な手配に取りかかった。友人のジャーナリスト二人に連絡し、米国人の翻訳者二人に宛てた最後の所感と指示や、後に残る楯の会会員宛ての手紙を含めて、幾通もの別れの手紙を書いた。

翌朝、彼は軍刀と、二振りの短刀を収めたアタッシュ・ケースなど、必要な品々を揃えた。長篇の結びを書き終え、出版社宛ての封筒に入れて、自宅の広間に置いた。二人のジャーナリストに再び電話をかけて或る会館の名を挙げ、そこのロビーで待っていてほしいと頼んだ。そして、楯の会の会員四人とともに自宅を出た。 

楯の会の制服を揃って着込んだ三島と若い部下たちは、車で市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部に向った。三島は東部方面総監益田兼利陸将に午前十一時に面会を申し込んでいたので、一行は到着すると直ちに総監室に通された。二、三分雑談したあと、前もって打合わせておいた合図に従って、三島の若い部下たちは、なんの疑念も持っていなかった益田総監に飛び掛って縛りあげ、机や椅子などで部屋の入口を塞いだ。

そして、外で唖然としている幕僚らに対して、四つの要求を書いた紙を、ドアの隙間から滑り出させた。三島は、これらの要求が入れられなければ総監を殺し、自分も切腹すると脅迫していた。混乱した幕僚たちは武器も持たずに二回、室内の様子を見に押し入ろうとしたが、三島はまず彼らを威しつけ、刀を振り回して数人に怪我を負わせて、追い出した。暴漢となった作家の一行が本気であることを知った責任者は、捕われた総監の生命を気遣って、要求を受け入れた。彼は三島の演説を聞くために市ヶ谷駐屯地の全隊員を正午前に集合させること、午後一時十分までは何が起こっても妨害しないことに合意した。 

正午直前に、三島は総監室の外のバルコニーに姿を現わした。彼は定刻になるのを待って歩き回り、一方、森田は要求を書いた垂れ幕を広げた。十二時きっかりに、三島は足下に集まった隊員たちと、ふくれ上がってきた報道陣に顔を向けた。隊員たちに向ってマイク無しの肉声で、興奮した身ぶりをまじえつつ、真の「国軍」として目覚め、われわれの決起に参加せよ、と訴えた。

     
こ こ を ク リ ッ ク す る と 「 演 説 全 文 」

 

しかし演説の大半は、頭上を旋回する警察のヘリコプターの音にかき消されてしまい、ようやく聞きとれた言葉に対しては、隊員たちは野次をとばして反発し、からかった。戦力放棄を謳った憲法を否定し、自衛隊に対して「共に起ち、義のために死のう」と呼びかけた「檄」がバルコニーから撒かれたが、隊員の誰一人として、三島のもとに駆け寄ろうとはしなかった【檄文】。彼らは、作家の熱烈な訴えに嘲笑で応えただけだった。三十分間予定されていた演説は、七分間の茶番劇で終わった。三島と森田は、型通りに「天皇陛下万歳」を三唱し、総監室に姿を消した。 

三島は長靴を脱いで上着のボタンを外し、ズボンを押し下げて、床に坐った。鋭い短刀を腹に刺し込み、右へ向けて横一文字に引いた。名誉ある介錯人に選ばれた森田は、主人の背後に立ち、刀を振り上げて、三島の首を打ち落とす瞬間を待った。内臓が床の上に溢れ出、三島の体は前方か後方のどちらかに傾いた。森田は二太刀打ち下ろしたがうまく切れず、目的は果たせなかった。彼より大柄な隊員の一人が軍刀をもぎ取り、力をこめて正確に振り下ろした。三太刀目かに首は離れた。あるいは「押し斬り」にしたのかも知れない。

ついで森田は、血まみれの三島の胴体の脇にひざまずき、三島が使った短刀を取って自分の腹を刺したが、切り口は浅く、筋肉と脂肪の層を切り裂くまでには至らなかった。これも切腹の一つの儀式であった。手練の一太刀で、彼の首も落ちた。後に残った三人の会員は、このとき涙を流していたが、総監の縄を解き、胴体と首をきちんと並べて深々と頭を垂れたのち、警官や警務隊におとなしく取り押えられた。血生臭い事件は終わった。

 
         
         
         
自 演 す る 三 島

 

十一月二十六日付「朝日新聞」の報道によると、牛込署捜査本部は二十五日同夜二人の遺体を同署で検視し、結果を次のように発表した。  

三島の短刀による傷はへソの下四?aぐらいで、左から右へ十三?aも真一文字に切っていた。深さは約五?a。腸が傷口から外へ飛び出していた。日本刀での介錯による傷は、首のあたりに三か所、右肩に一か所あった。  

森田は腹に十?aの浅い傷があったが、出血はほとんどなかった。首は一刀のもとに切られていた。三島と森田は「楯の会」の制服の下には下着をつけず、二人ともさらしの新しい??六尺″ふんどしをつけていた。

検視に立会った東京大学医学部講師・内藤道興氏は、「三島氏の切腹の傷は深く文字通り真一文字、という状態で、森田の傷がかすり傷程度だったのに比べるとその意気込みのすさまじさがにじみでている」と話した。 

 もう一つ、十二月十三日付「毎日新聞」掲載の「解剖所見」を引用すると、(三島由紀夫・十一月二十六日午前十一時二十分から午後一時二十五分、慶応大学病院法医学解剖室・斎藤教授の執刀)。死因は頚部割創による離断。左右の頚動脈、静脈がきれいに切れており、切断の凶器は鋭利な刃器による、死後二十四時間。頚部は三回は切りかけており、七?a、六?a、四?a、三?aの切り口がある。右肩に、刀がはずれたと見られる十一・五?aの切創、左アゴ下に小さな刃こぼれ。腹部はへソを中心に右へ五・五?a、左へ八・五?aの切創、深さ四?a、左は小腸に達し、左から右へ真一文字。身長百六十三?a、四十五歳だが三十歳代の発達した若々しい筋肉。 

森田必勝(船生助教授執刀)については、死因は頚部割創による切断離断、第三頚椎と第四頚椎の中間を一刀のもとに切り落としている。腹部のキズは左から右に水平、ヘソの左七?aに深さ四?aのキズ、そこから右へ五・四?aの浅い切創、ヘソの右五?aに切創。右肩に〇・五?aの小さなキズ。身長百六十七?a。若いきれいな体をしていた。

 三島の切腹で一つだけ<奇異な感じを抱かせられた>のは、あの腹の切り方は一人で死ぬ場合の切り方であったということである。三島が作品「憂国」や「奔馬」で描き、映画「人斬り」で自ら田中新兵衛に扮してみせた切り方であって、介錯を予定した切り方ではない。  

しかし三島はこの挙に出る前に、森田あるいは古賀が介錯することを打合せているのである。そうとすれば、他人による介錯、すなわち<斬首>ということを予定した腹の切り方をすべきではなかったか。 
 三島のように、あれほどの深さで真一文字に切った場合(これは常人のなしえざるところである)、肉体はどういう反応を示すのであろうか。刀を腹へ突き立てたとき二つの倒れ方が想定される。
 それは切腹の際の身体の角度による。瞬時に襲ってくる全身の痙攣と硬直により、膝の関節で折れ曲っていた両脚がぐっと一直線に伸びるためか、角度が深いときはガバとのめるように前へ倒れ、角度の浅いときは後へのけぞるのである。
 これは切腹なしの斬首のばあいも同様で、押え役がいるときは前へ倒れるように押えているからよいが、支えがない場合の多くは後へ立ち上るようにして倒れ、そのために首打役もその介添人も血をあびることがある。(斬首のさい<首の皮一枚を残して斬る>とよくいわれるのは、押え役のいない場合、そうすることで前にぶら下った首が錘となって身体を前へ倒れさせるからで、これは幕末の吟味方与力・佐久間長敬が『江戸町奉行事蹟問答』のなかではっきりと述べている。)

三島の場合、どちらの倒れ方をしたかわからないが、いずれにしても腹から刀(この場合は鎧通し)を抜く暇もなく失神状態に陥り、首は堅く肩にめりこみ、ひょっとしたら両眼はカッと見開かれ、歯は舌を堅く噛み、腹部の圧力で腸も一部はみ出すといった凄惨な場面が展開されたかもしれない。それはとても正規の介錯のできる状態ではなかったと思われるのである。
 介錯人としての森田の立たされた悲劇的立場が思いやられる。なぜなら、介錯人というものは<一刀のもとに>首を刎ねるのが義務であり名誉であって、もしそれに失敗したとなれば、かつては<末代までの恥>と考えるくらい不名誉とされたからである。
 昔の首打役の不文律として、斬り損った場合、三太刀以上はくださないとされ、したがって二太刀まで失敗したときには、死罪人を俯伏せに倒して「押し斬り」にすることさえあった。死罪場においてちゃんと死罪人を押えて首をのばさせ、斬首のプロが斬るときでさえ失敗することがあるのである。まして三島のような身体的反応が起った場合には、一太刀で介錯することは不可能といってよかったのではあるまいか。 

 昭和四十六年四月十九日および六月二十日の第二回と第六回の公判記録によると、右肩の傷は初太刀の失敗であった。おそらく最初三島は後へのけぞったものと思われる。森田は三島が前へ倒れるものとばかり思って打ち下ろしたとき、意外にも逆に頚部が眼の前に上がってきたため手許が狂い、右肩を叩きつける恰好になったのであろう。
 そのため前へ俯伏せに倒れた三島が額を床につけて前屈みに悶え動くので首の位置が定まらず、森田はそのまま三島の首に斬りつけたか、それとも三島の身体を抱き起して急いで斬らねばならなかったかはわからないが、いずれにしても介錯人には最悪の状態でさらに二太刀(斎藤教授の「解剖所見」によると三太刀か?)斬りつけ、結局は森田に代った古賀がもう一太刀ふるわねばならなかったのは、致し方なかったと思われる。
 最後はあるいは「押し斬り」に斬ったかもしれない。現場写真で三島の倒れていた部分の血溜りが、ほぼ九十度のひらきで二方向に見えているのはその結果ではあるまいか。森田は自分の敬慕してやまない先生を一太刀で介錯できなかったことを恥じ、「先生、申し訳ありません」と泣く思いで刀をふるったことであろう。  

 しかしここで愕くべきは森田の精神力である。普通の介錯人は初太刀に斬り損じた場合、それだけで気が転倒し、二の太刀はさらに無様になるか、別な人間に代ってもらうものである。そのために介添人がいるのである。それほど斬首ということは極度の精神的緊張とエネルギーの消耗をともなう。
 それなのに三太刀(ないし四太刀)も斬りつけ、しかも介錯を完了しえなかった人間が、三島の握っている鎧通しを取って続いて自分の腹を切るということは、これまた常人の到底なしえないことなのである。しかも腹の皮を薄く切って、一太刀で自分の首を刎ねさせている。腹の傷が浅いということでこれを「ためらい傷があった」と報じた新聞もあるが、それはあたらない。人間の腹はなかなか刃物の通りにくいもので、むしろこれをはじき返すようにできている。さらしでもきっちり巻いているなら別だが、直接皮膚に刃物を突き立てたのでは、相当の圧力がなければはじき返されるものである。
 森田の場合は初めから薄く切って介錯を見事にしてもらおうという考えであったと思われる。切腹する人間は首を斬られて死ぬのではなく、介錯人に首をうまく斬らせるのである。それが昔の武士たちが実際の経験の積み重ねから作り上げた一番<見苦しくない>切腹の美学であった。そういう意味では、森田のほうが昔の切腹の美学にかなっていたといえよう。さすがに三島が最も信頼した人物にふさわしい腹の切り方であったように思われる。

 三島は生前、映画「憂国」【小説・憂国(抄)】を製作したさい、二・二六事件で決起に遅れて自宅で割腹自殺をとげた青島中尉(「憂国」のモデルといわれる)の割腹現場に駈けつけた軍医から、そのときの実見談を聴取していたといわれる。
 そして青島中尉が割腹後五、六時間たってもなお死にきれず、腹から腸を飛び出させたまま意識を失い、のたうちまわっていた有様をよく知っていた。したがって介錯がなければ切腹が見苦しい死にざまを曝すおそれのあることを十分に認識しており、そのために介錯を予定したことは正しい計算であった。
 それなのに敢えてあのような深い腹の切り方をしたのは、なぜなのであろうか。三島ほどの綿密な計算をする人にも、切腹後の肉体的変化までは計算しえなかった千慮の一失なのであろうか。<奇異な感じを抱かせられた>と述べたのはそのためである。 

 これはなにも三島の切腹を貶しめようとするものではない。三島はその文学においても、必ず自己を主張しなければやまぬ人間であった。そのエゴの強さ、抜きがたい自己顕示性からあの赫奕たる文学が生れたのである。そして切腹の場にいたるまでそのエゴを押し通したのである。【評論・仮面の戦後派」】
 【三島由紀夫 『憂国』、加藤周一他 『日本人の死生観』、綱淵謙錠 『斬(ざん)』、他】

三 島 由 紀 夫 演 説 文
     
 
 
   

 

注1、 ………は、聞き取り不能

注2、 青字は、野次に対する三島の叱咤

注3、 茶色は、野次

 

私は、自衛隊に、このような状況で話すのは空しい。しかしながら私は、自衛隊というものを、この自衛隊を頼もしく思ったからだ。こういうことを考えたんだ。しかし日本は、経済的繁栄にうつつを抜かして、ついには精神的にカラッポに陥って、政治はただ謀略・欺傲心だけ………。これは日本でだ。ただ一つ、日本の魂を持っているのは、自衛隊であるべきだ。われわれは、自衛隊に対して、日本人の………。しかるにだ、我々は自衛隊というものに心から………。
 静聴せよ、静聴。静聴せい。
 自衛隊が日本の………の裏に、日本の大本を正していいことはないぞ。
 以上をわれわれが感じたからだ。それは日本の根本が歪んでいるんだ。それを誰も気がつかないんだ。日本の根源の歪みを気がつかない、それでだ、その日本の歪みを正すのが自衞隊、それが………。
 静聴せい。静聴せい。
 それだけに、我々は自衛隊を支援したんだ。
 静聴せいと言ったら分からんのか。静聴せい。
 それでだ、去年の十月の二十一日だ。何が起こったか。去年の十月二十一日に何が起こったか。去年の十月二十一日にはだ、新宿で、反戦デーのデモが行われて、これが完全に警察力で制圧されたんだ。俺はあれを見た日に、これはいかんぞ、これは憲法が改正されないと感じたんだ。
 なぜか。その日をなぜか。それはだ、自民党というものはだ、自民党というものはだ、警察権力をもっていかなるデモも鎮圧できるという自信をもったからだ。
 治安出動はいらなくなったんだ。治安出動はいらなくなったんだ。治安出動がいらなくなったのが、すでに憲法改正が不可能になったのだ。分かるか、この理屈が………。
 諸君は、去年の一〇・二一からあとだ、もはや憲法を守る軍隊になってしまったんだよ。自衛隊が二十年間、血と涙で待った憲法改正ってものの機会はないんだ。もうそれは政治的プログラムからはずされたんだ。ついにはずされたんだ、それは。どうしてそれに気がついてくれなかったんだ。
 去年の一〇・二一から一年間、俺は自衛隊が怒るのを待ってた。もうこれで憲法改正のチャンスはない!自衛隊が国軍になる日はない!建軍の本義はない!それを私は最もなげいていたんだ。自衛隊にとって建軍の本義とはなんだ。日本を守ること。日本を守るとはなんだ。日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである。

おまえら聞けぇ、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!話を聞けっ!男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。いいか。いいか。
 それがだ、いま日本人がだ、ここでもってたちあがらなければ、自衛隊がたちあがらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にだねえ、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。諸君と日本の………アメリカからしかこないんだ。
シビリアン・コントロール………シビリアン・コントロールに毒されてんだ。シビリアン・コントロールというのはだな、新憲法下でこらえるのが、シビリアン・コントロールじゃないぞ。
 ………そこでだ、俺は四年待ったんだよ。俺は四年待ったんだ。自衛隊が立ちあがる日を。………そうした自衛隊の………最後の三十分に、最後の三十分に………待ってるんだよ。
 諸君は武士だろう。諸君は武士だろう。武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。どうして自分の否定する憲法のため、自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。これがある限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ。
 諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略に、諸君が合憲だかのごとく装っているが、自衛隊は違憲なんだよ。自衛隊は違憲なんだ。きさまたちも違憲だ。憲法というものは、ついに自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気がつかんのだ!俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ってたんだ。諸君はその中でも、ただ小さい根性ばっかりにまどわされて、本当に日本のためにたちあがるときはないんだ。
 そのために、われわれの総監を傷つけたのはどういうわけだ
 抵抗したからだ。憲法のために、日本を骨なしにした憲法に従ってきた、という、ことを知らないのか。諸君の中に、一人でも俺といっしょに立つ奴はいないのか。
 一人もいないんだな。よし!武というものはだ、刀というものはなんだ。自分の使命………。
 それでも武士かぁ!それでも武士かぁ!
 まだ諸君は憲法改正のために立ちあがらないと、見極めがついた。これで、俺の自衛隊に対する夢はなくなったんだ。それではここで、俺は、天皇陛下万歳を叫ぶ。
 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳!


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おまけ
 
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