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エレミア書Ⅰ:1~6章・自由人・エレミア
エレミア書Ⅱ:7~16章・エレミアの告白
エレミア書Ⅲ:17~25章・後期預言集
エレミア書Ⅳ:26~35章・受難記1
エレミア書Ⅴ:36~52章・受難記2
↑哀歌(Lamentations)―敗戦の記憶(屈辱と怨念を忘れず)
主の油注がれた者、わたしたちの命の息吹/その人が彼らの罠に捕えられた。
異国民の中にあるときも、その人の陰で/生き抜こうと頼みにした、その人が。(哀歌4:20)
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亡国後、パレスチナで作られた「哀歌」はエレミヤの哀歌とも言われますが、著者は別人とされます。エルサレム落城前後の惨状は、まさに日本の敗戦時を思い出します。しかし、彼らの違うところは、この屈辱を記憶し、決して忘れないことです。
五章に分かれ、第一の歌(1章)、第二の歌(2章)、第四の歌(4章)は、文字通り悲哀の歌です。
これらには、エレサレムの包囲と陥落、焦土と化した都、バビロンへ連れ去られた同胞たち、捨てられたように残された人々の失望と嘆き、号泣が繰り返し記されています。
なお、4・20の主の油注がれた者、わたしたちの命の息吹/その人が彼らの罠に捕えられた。異国民の中にあるときも、その人の陰で/生き抜こうと頼みにした、その人が。」は、イザ53章(イザヤ53・2~10)の「苦難の僕」と類似しています。民の王に対する痛惜の情が歌われています。
「その人」は、第一次捕囚のエホヤキン王か、殺されたゼデキヤ王だと思われますが、本当はエジプトで死んだ、悲劇の預言者エレミヤが似つかわしいのではないでしょうか。
第三の歌(3章。後代書き入れ)は、回心の歌で、絶望のなかで、審きの苦しみを甘受し、神の憐れみと救いを求めます。「3・55~66」もヨブの嘆きと祈りに類似しています。
第一の歌から、第四の歌までは、日本のいろは歌のように、各節の始まりが1節からヘブライ語のアルファベット順になっています。
第五の歌(5章)は、苦難と嘆きの中に救助を求め、最後は神への信頼のうちに再生しようという決意表明で終ります。
以下印象的な文節を選んで記しますが、エレミヤ書や列王記とは違う、当時の世情が窺えます。
第一の歌(1章)より―哀歌
1:3 貧苦と重い苦役の末にユダは捕囚となって行き
異国の民の中に座り、憩いは得られず
苦難のはざまに追い詰められてしまった。
The ways of Zion do mourn,because none come to the solem feasts:all her gates are desolate:her priests sign(Lamentation i,4)(写真・英文は管理人)
1:4 シオンに上る道は嘆く/祭りに集う人がもはやいないのを。
シオンの城門はすべて荒廃し、祭司らは呻く。
シオンの苦しみを、おとめらは悲しむ。
"Is it nothing to you,all Ye that pass by?"
(エルサレムの物乞いを哀歌第1章で象徴した)道行く人よ,心して/目を留めよ,よく見よ。これほどの痛みがあったろうか。わたしを責めるこの痛み/主がついに怒ってわたしを懲らす/この痛みほどの。主は高い天から火を送り/わたしの骨に火を下し/足もとに網を投げてわたしを引き倒し/荒廃にまかせ,ひねもす病み衰えさせる。(哀歌第1章12,13節)(写真・章は管理人)
1:20 御覧ください、主よ、この苦しみを。
胸は裂けんばかり、心は乱れています。
わたしは背きに背いたのです。
外では剣が子らを奪い/内には死が待っています。
第二の歌(2章)より―絶望
2:1 なにゆえ、主は憤り/おとめシオンを卑しめられるのか。
イスラエルの輝きを天から地になげうち
主の足台と呼ばれたところを/怒りの日に、見放された。
2:4 敵となって弓を引き絞り、右の御手を構え
瞳のように愛しておられたものを/苦しめる者となって皆殺しにし
おとめシオンの天幕に/火のような怒りを注がれた。
2:11 わたしの目は涙にかすみ、胸は裂ける。
わたしの民の娘が打ち砕かれたので/わたしのはらわたは溶けて地に流れる。
幼子も乳飲み子も町の広場で衰えてゆく。
2:20 主よ、目を留めてよく見てください。
これほど懲らしめられた者がありましょうか。女がその胎の実を
育てた子を食い物にしているのです。
祭司や預言者が/主の聖所で殺されているのです。
第三の歌(3章)より―深い淵から
3:18 わたしは言う
「わたしの生きる力は絶えた/ただ主を待ち望もう」と。
3:19 苦汁と欠乏の中で/貧しくさすらったときのことを
3:20 決して忘れず、覚えているからこそ
わたしの魂は沈み込んでいても
3:21 再び心を励まし、なお待ち望む。
3:22 主の慈しみは決して絶えない。
主の憐れみは決して尽きない。
3:55 深い穴の底から/主よ、わたしは御名を呼びます。
3:56 耳を閉ざさず、この声を聞き
わたしを助け、救い出してください。
3:57 呼び求めるわたしに近づき
恐れるなと言ってください。
3:58 主よ、生死にかかわるこの争いを/わたしに代わって争い、命を贖ってください。
3:59 主よ、わたしになされた不正を見
わたしの訴えを取り上げてください。
3:60 わたしに対する悪意を/謀のすべてを見てください。
3:61 主よ、わたしに向けられる嘲りと/謀のすべてを聞いてください。
3:62 敵対する者の唇、吐く言葉は/絶え間なくわたしを責めます。
3:63 御覧ください、彼らは座るにも立つにも/わたしを嘲って歌いはやします。
3:64 主よ、その仕業にしたがって/彼らを罰してください。
3:65 彼らの上に呪いを注いで/彼らの心を頑にしてください。
3:66 主よ、あなたのいます天の下から彼らを追い/御怒りによって滅ぼし去ってください。
現在のユダヤ教では、BC587とAC70とのエルサレムの2度にわたる崩壊を想起する敗戦記念日に、断食してこの哀歌を朗読し、絶望から立ち上がった過去の歴史に思いをはせます。出エジプトと同じく、ユダヤ民族のアイデンティティの原点です。
民族の屈辱と悲惨な過去を決して忘れまいとするのです。
自虐として、恥ずべき歴史を隠蔽する日本と全く違うのです。
この国を売る決意
米国による年次改革要望書。こんなものに怒らない国民だからこそ経済は発展する。なぜなら奴隷のように働くからである。
米国の51番目の州(Wikiより)
『日本は、第二次世界大戦後日米安全保障条約や日米地位協定に基づき、領土内に多数のアメリカ軍(在日米軍)が駐留していることや、経済的に日本が米国系の外資企業による強い影響下にあること、かつて米国債の最大の購入者(=アメリカの最大の債権者)であった(2009年現在は中華人民共和国に次ぎ2番目)など非常に結びつきが強いこと、文化的にも戦後アメリカ文化の影響を強く受けるようになったことなどから「51番目の州」と揶揄されることがある。自民党による対米従属ぶりも影響している。
状況としてはイギリスの場合に似ているが、一部の評論家からは「現状のままだとアメリカの属国として一方的に搾取されるばかりだが、アメリカの州になれば選挙などで一定の影響力を行使できるため、いっそ正式にアメリカの州となったほうがまし」とする意見すらある。
ただ、面積的には1州分に相当するが、国全体を1つの州にしては1億以上の人口(アメリカの現人口の1/3以上に相応)となり、現在進められている道州制案で分割してやっとつりあう規模である。また、文化も言語も主要人種も異なる国同士でもあり、イギリスと同様、ほぼ全ての日本人は日本がアメリカの51番目の州になることは有り得ないと考えている。』
CAVERN KNOWN AS JEREMIAH'S GROTT(エレミアの岩屋として知られる洞窟)。エルサレムの北壁の外とヘロデ門の近くには写真のような洞窟がある。エレミアの埋葬場所として言い伝えられている。一説によると,ここで,ある預言者がこの哀歌を書いたというがエレミアが著者でない以上何の根拠もない話であるとされる。
エレミアは村の民に諭した。神は神に従う従順さを求めているのであって生贄ではない,と。「シェバ(Sheba)から持って来た乳香(Spices)や/はるかな国からの香水萱(Sweet cane)が/わたしにとって何の意味があるだろうか。あなたたちの焼き尽くす献げ物を喜ばずいけにえをわたしは好まない」(エレミア書第6章20節)。上の写真はあまり関係ありませんが香水萱(かや)はインドで耕され持ち込まれたサトウキビ。写真はエジプトのLUXORマーケットでのサトウキビ売りの商人。人々は牛やラクダに引かせた原始的なひきわり器で砂糖やジュースを作った。元々はアラブ人がエジプトへもって来た。
LUXORのナイル川
エレミア書第10章では『偶像とまことの神』を説く。PALM TREE(椰子の木)のようにまっすぐに上に伸びる「まことの神」を象徴する写真。「きゅうり畑のかかしのようで,口も利けず/歩けないので,運ばれて行く。そのようなものを恐れるな。彼らは災いをくだすことも/幸いをもたらすこともできない」(エレミア書第10章5節)
わが民は鳥以下の知性しか持ち合わせないことを戒めたもの。「空をとぶこうのとりもその季節を知っている。山鳩もつばめも鶴も,渡るときを守る。しかし,わが民は主の定めを知ろうとしない」(エレミア書第8章7節)
エルサレムの門前に食料などが郊外より運ばれる。写真はDAMASCUS GATE(ダマスコ門)であるがエレミアの時代は存在しなかった。
エルサレムの原始的な石の挽き臼器。パンは生活の象徴でもある。「わたしは,そこから喜びの声,祝いの声,花婿の声,花嫁の声,挽き臼の音,ともし火の光を絶えさせる。この地は全く廃墟となり,人の驚くところとなる。これらの民はバビロンの王(注;ネブカドレツァル)に70年間仕える。70年が終わると,わたしは,バビロンの王とその民,またカルデア人の地をその罪ゆえに罰する,と主は言われる」(エレミア書第25章10~12節)
パレスチナの鍛冶屋などのワーカーはネブカドネザルがエルサレムから金属細工人をバビロンへ連れて行ってしまった時代とくらべて今は名高い。「主がわたしに示された。見よ,主の神殿の前に,しちじくを盛った二つの籠がおいてあった。それは,バビロンの王ネブカドレツァルが,ユダの王,ヨキヤムの子エコンヤ,ユダの高官たち,それに工匠や鍛冶をエルサレムから捕囚としてバビロンに連れて行った後のことであった」(エレミア書第24章1節)
野生のロバはパレスチナにはもう見られないがアラビアの砂漠ではいまだ生きている。「草が生えないので野ロバは裸の山の上に立ち山犬のようにあえぎ,目はかすむ。(エレミア書第14章8節)。干ばつの災いより。
陶工の手中にある粘土:主からエレミアに臨んだ言葉。「立って,陶工の家に下って行け。そこでわたしの言葉をあなたに聞かせよう。」わたしは陶工の家に下って行った。彼はろくろを使って仕事をしていた。陶工は粘土で一つの器を作っても,気に入らなければ自分の手で壊し,それを作りなおすのであった。(エレミア書第18章1~4節)
エルサレムの復興:「山あいの町々,シェフェラの町々,ネゲブの町々,ベニヤミン族の所領,エルサレムの周辺,ユダの町々で,再び,羊飼いが,群れをなして戻って来る羊を数えるようになる。(エラミア書第33章13節)
エルサレムの堕落:エレミアの時代藤で作った籠をつくり鳥を不法に採った。「籠を鳥で満たすように/彼らは欺き取った物で家を満たす。(エレミア書第5章27節)
エレミアの手記:上のアラブ人女性の耕しているものはバビロンの水を引いた椰子の木々に囲まれたメソポタミア風の畝でメロンを作っている。「家を建てて住み,園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり,息子,娘をもうけ,息子には嫁をとり,娘は嫁がせて,息子,娘を産ませるように。そちらで人口を増やし,減らしてはならない。(エレミア書第29章5~6節)
オリーブ山のスロープはユダヤ人の墓地。エリコ道の下の左にあるのが,いわゆる,アブサロムの墓(Tomb of Absalom)で右にあるのがゼカリアの墓(Tomb of Zechariah)である。
『オリーブ山は旧市街からキドロンの谷を隔てて東にある。南東麓にはベタニア、北西麓にはゲッセマネ(「オリーブ油搾り場」という意味)の園がある。
旧約聖書のゼカリヤ書(14:4)で、最後の審判の日に神が立ち死者がよみがえる場所とされているため、墓地が作られるようになった。新約聖書にも数回言及される。イエスが最後のエルサレム滞在中に夜を過ごし(ルカによる福音書21:37)弟子たちに説教を行った場所(マタイによる福音書24:3など)とされ、またルカ福音書(22:39)では捕えられる前に最後の祈りを捧げた場所とされる』(Wikiより)
第一次中東戦争でヨルダンに占領され、墓地は破壊された。しかし第三次中東戦争ではイスラエルにより奪還され、再び墓地となっている。メナヘム・ベギン首相ら有名人の墓も多い。
王の眠る墓
Tomb of Zechariah
Tomb of Absalom
死体と灰の谷の全域,またキドロン(KIDRON)の谷(管理人注:Hinnomの谷含む)に至るまでと(Hinnomの谷はゲヘナとも呼ばれる),東側の馬の門の角に至るまでの全域は,主のものとして聖別され,もはやとこしえに,抜かれることも破壊されることもない。(エレミア書第31章40節)
『伝統的解釈によるとゲヘナは地獄の同義語として使われることが多い。しかし、エホバの証人はヘブライ語のシェオルとギリシア語のハデスを同列に扱い、ゲヘナをそれと明確に区別している。ゲヘナは元々罪人の死体処理場であった事、愛の神は人身供犠のような残酷な事を望まない事(エレミヤ書32:35)を根拠に、復活の見込みのない完全な滅びの象徴であり、永久の処罰である「第二の死」(ヨハネへの啓示20:14)を表しているとの見解を持つ。これは霊魂消滅説と関連がある。聖書では「火の湖」は「第二の死」(啓示20:14)を表しているが、火の湖には死やハデスも投げ込まれる事から、彼らはそこが別の種類の死、つまり第二の死である完全な滅びの象徴と見なし、これをゲヘナと同列に置く』
霊魂消滅説(Wiki)・英文の方がより詳しい
* Psalm 92:7 ..............shall be "destroyed" forever....
* Psalm (詩篇)1: 6 .............be the way of the ungodly shall "perish"
* Matthew(マタイ) 10:28 ..............rather fear him which is able to "destroy" both soul and body in hell
* John (ヨハネ)3:16 .....................whosoever believeth in him should not perish (Greek: destroyed)
* Romans(ローマの信徒への手紙) 6:23 ................For the wages of sin is "death"…
* James(ヤコブの手紙) 4:12 ....................There is one lawgiver, who is able to save and to "destroy"
* Philippians (フィリピの信徒への手紙)3:19 .............Whose end is "destruction"
* 2 Thessalonians (テサロニケの信徒への手紙)1:9 ........Who shall be punished with everlasting "destruction"
* Hebrews(ヘブライ人への手紙) 10:39 ...............But we are not of them who draw back unto perdition (Greek: destruction); but of them that believe to the saving of the soul
* Revelation(黙示録) 20:14 ..............This is the second death.
最後の最後に詳しく述べますがいわゆるヨハネの黙示録第20章は「千年間の支配」がタイトルで非常に問題がある箇所です。上の14節にはこうあります。「死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。その名が命の書に記されていない者は,火の池に投げ込まれた。」,と。
後方に見えるのはサミュエル,あるいは,サムエルの墓。この場所はNebi Samwilといって標高2,935フィートでエルサレム北西数マイルの位置にある。「........バビロンの王に仕えなさい。あなたたちは幸せになる。このわたしがミツパ(MIZPAH)にいて,やがて到着するカルデア人と応対しよう。あなたたちはぶどう酒,夏の果物,油などを集めて貯蔵し,自分たちの確保している町々にとどまりなさい。(エレミア書第40章10節)
その墓は十字軍時代そのままに残っている。↓
「親衛隊の長はエレミアを連れて来させて言った。主なるあなたの神は,この場所に災いをくだすと告げておられたが.......」(エレミア書第40章2節)ヘブライ語聖書によると、GedaliahはバビロンのネブカドネザルII(NebuchadnezzarⅡ)によって紀元前586年にエルサレムが破壊されるとユダ(Judah)州の知事に任命された。
GedaliahはAhikam(予言者エレミヤの命を救った)の息子とShaphan(学者が申命記の本のコアであると認識するTeachingの巻き物の発見と関連して言及される)の孫息子でした。
Gedaliahは優しくて控え目な、賢人でした。 彼は、人々が畑を耕しブドウ園を培って、その結果、安全の基礎を築くよう熱心に奨励し始めました。 破壊の戦争の間に隣接している陸に逃げていた多くが、共同体の復活に関する知らせによって引き付けられました。 それらは、MizpahでGedaliahに来て、彼によって暖かく歓迎されました。ゲダルヤ(Gedaliah)に関してはエレミア書第41章参照。
主はあなたを,美しい実の豊かになる緑のオリーブと呼ばれた。大いなる騒乱の物音がするとき火がそれを包み,その枝を損なう。(エレミア書第11章16節)オリーブはパレスチナの「食事とバター」と呼ばれていた。この写真のチャーミングは娘さんはベツレヘム近郊の豊かな農園で働く女主人でもある。