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グノーシス主義が描く終末 ■グノーシス主義の基礎知識 グノーシス主義はキリスト紀元1世紀頃の東地中海地域で盛んになった思想運動の1つで、黎明期にあったキリスト教を思想的に脅かすほどの存在だったといわれている。当時の東地中海を中心とした地域で盛んだったのは、キリスト教も含めて、世界の終末によって人々が救済されるという終末論的な運動だが、グノーシス主義もそのような傾向を持つ思想である。 しかし、グノーシス主義には、これがある特定の1つの宗教の名前だといえないような性格がある。グノーシス主義の神話の多くは天地創造やアダムとイブなどキリスト教の神話を含んでおり、古代のキリスト教会によってグノーシス主義がキリスト教の異端とされたことは確かである。だが、グノーシス主義の中にはペルシア神話の影響を受けたものなどさまざまなタイプがあり、今日では、グノーシス主義は単にキリスト教の枠内にとどまらないものだといわれている。 もちろん、グノーシス主義と呼ばれる以上、その思想に特別な傾向があることは確かである。それを端的に表すのは〈反宇宙的(アンチ・コズミック)〉という言葉である。 宇宙(コスモス)というのは古代ギリシアに発生した観念だが、それはもともとは最高の宗教的尊厳を持つものだった。つまり、宇宙は完全な秩序を持ち、調和がとれ、理性的であり、完全な知性を持つ完全な存在と考えられたのである。また、人間は宇宙を模倣するために生まれたと考えられていた。人間は宇宙の小さな一部分であって、完全な存在とはいえないが、宇宙を観照し、模倣することで完全なものに近づくことができるのである。 しかし、グノーシス主義はこのような宇宙的思想に徹底的に反対する。グノーシス主義的見方では、宇宙の存在そのものが無知を背景にしているとされる。このため、宇宙には秩序も法則も存在はするが、結局のところは悪影響しか持たない。したがって、宇宙に存在するものはすべて邪悪なのであって、人間の肉体も例外ではない。ただ、人間の中の霊だけが本当の意味での神とつながる存在だとされるが、霊は宇宙という巨大な牢獄、人間の肉体という牢獄に閉じ込められているのである。 この霊を解放することがグノーシス主義の目標となるのである。 ■創造主デーミウールゴスの無知 グノーシス主義の〈グノーシス〉とはギリシア語で〈知識〉という意味がある。グノーシス主義では神と宇宙に関する正しい〈知識〉を得ること、そしてただそれだけが霊を救済するために必要だと考えられているからである。 このため、グノーシス主義の文献には宇宙の創造や構造について詳しく語っているものが多いが、宇宙を語るに当たって、グノーシス主義の神話はキリスト教の神話をまったく独自な解釈によって取り込んでいる。 キリスト教の神話では、旧約聖書が語るように、宇宙は唯一の神ヤハウェが創造したものであり、この神は紛れもなく全能であって、正しい存在だとされる。そうだからこそ、たとえ現在は悲惨な状態にあったとしても、正しい信仰を持つものはいつか必ず救われると考えられるのである。 ところが、グノーシス主義の神話では、宇宙は1人の神に造られたことは確かだが、この神はけっして最高神などではないと考えるのである。この神は、普通はたんにデーミウールゴス(造物主) という名で呼ばれるが、実は人間にも知ることのできない真の神から派生したものなのである。にもかかわらず、この神が宇宙を創造し、まるで最高神であるかのようにそれを支配しているのは、この神が自分以上の存在について無知であって、単純に自分のことを最高神だと勘違いしているからだという。 こうして、キリスト教の神話における最高神が別な存在に作り替えられたことで、グノーシス主義の宇宙はキリスト教の宇宙とはまったく異なる性格を持つことになる。真の神はもともと宇宙を造ったわけではないので、人間の住む宇宙とは完全に無縁なものになる。無知で思い上がったデーミウールゴスに創造された宇宙が闇の領域なのは当然で、真の神がいる光の領域とは遠く隔てられている。この隔たりを詳しく語ることで、グノーシス主義の神話は、宇宙の否定性を強調していくのである。 ■真の神と宇宙との距離 宇宙の創造者であるデーミウールゴスは神的な存在ではあるが、無知で思い上がった存在である。このような存在は真の神からは遠く隔たっているのが自然である。そこで、グノーシス主義では、真の神とデーミウールゴスがいかに隔たっているかを示す神話を語ることになるわけだが、ここではキリスト教的なグノーシス主義の一派であるヴァレンティノス派の神話を中心にして、その部分を紹介したい。 それによれば真なる神は完全に超宇宙的な存在で、宇宙が存在するよりも以前から1つの完全なアイオーン(世界)として、永遠の昔から休息し続けていた。この存在は〈始源の前のもの〉とか〈原父〉などともいわれる。ところで、この存在は人間と同じように自分の思いを持つ心霊的存在であり、あるとき自分自身から万物の初めを発出しようと考えた。そこで〈原父〉はその発出を彼とともにあった〈沈黙〉の胎内に沈めた。こうして〈理性〉(ヌース・男性)と〈真理〉(アレーテイア・女性)というアイオーンが生まれた。 ここからさらにいくつものアイオーンが誕生して、プレーローマ(充満)と呼ばれる神的領域が構成された。プレーローマはアイオーンの数だけ階層構造を持つもので、その数は30だという。 しかし、これらのアイオーンのうち〈原父〉の偉大さを知ることができるのは、〈原父〉から直接生まれ、父に類似した存在として造られた〈理性〉だけだった。その他のアイオーンたちは〈原父〉を知りたいと望んだが、その望みは叶わなかった。このことが、秩序あるプレーローマに危機を発生させた。この危機の影響を最も深刻に受けたのは、アイオーンの中でも最後に生まれた〈知恵〉(ソフィア・女性)だった。 ソフィアは〈原父〉を知るために悪戦苦闘し、その結果、彼女から〈恐れ〉〈悲しみ〉〈困窮〉などの情念が誕生した。最終的に、ソフィアはプレーローマの〈境界〉まで達し、そこで〈境界〉に押し止められたことで自分を取り戻すが、彼女の〈意図〉はこのときにプレーローマの外に追い出され、そこで人格的な存在となった。これは下なるソフィアあるいはアカモートと呼ばれる存在である。 このアカモートはソフィアの中に生まれた〈恐れ〉〈悲しみ〉〈困窮〉を引き継ぐ存在であり、さまざまな情念を経験した後、光の領域に立ち帰ることを望んだ。そこで、プレーローマのアイオーンたちは彼女を救うために救い主であるイエスを送った。イエスは彼女を救うために彼女の中にあった情念を彼女から分離したが、情念を消し去ることはできなかった。こうして、彼女の情念である〈恐れ〉〈悲しみ〉〈困窮〉とそれらの背景にあった〈無知〉が、後に形作られる宇宙の物質的構成要素として存在することになったのである。宇宙に存在する元素はすべてこれら4つの情念から生まれたとされる。また、アカモートの立ち帰り(回心)の気持ちから魂が、イエスの光から霊が生まれた。 ■デーミウールゴスによる世界の創造 こうしたことがあった後、アカモートは宇宙の王となるデーミウールゴスを造った。しかし、デーミウールゴスは魂と物質的なものからだけ造られており、霊を持たなかった。グノーシス主義では、ただ霊だけが神的領域に属するものなので、このことは重要だった。このためにデーミウールゴスは自分よりも上位に位置する存在を知らず、自分を最高神と考えて宇宙を創造することになったのである。 宇宙の材料となったさまざまな物質は〈恐れ〉〈悲しみ〉〈困窮〉〈無知〉から生まれたものなので、その宇宙が闇の世界となるのは当然だった。しかも、その宇宙は人間にとって完全に牢獄といっていい構造を持っていた。 デーミウールゴスは宇宙に7つの天を造るが、それはまるで牢獄の壁のようなものである。 これらの天によって人間は真の神から隔てられているとされるわけだが、グノーシス主義者の中には、このような天が365もあるという者もある。7つの天はそれぞれがアルコーン(支配者)だといわれる。アルコーンはキリスト教の天使のような存在だが、グノーシス主義では、彼らは憎むべき支配者であって、人間の霊が牢獄を逃れて上昇しようとするのを邪魔するために存在しているとされる。アルコーンには名前があって、一般的にヤオ、サバオト、アドナイ、エロヒム、エルシャッダイなどといわれる。 アルコーンたちによる専制支配はヘイマルメネーと呼ばれるが、これには物質的側面と心理的側面がある。物質的側面は自然法則だが、心理的側面は旧約聖書にあるモーゼの律法である。この律法が適用されることで、人間は奴隷化されてしまうのである。 ■霊の救済と世界の終末 宇宙を牢獄として創造したデーミウールゴスは、それを完成させるものとして最後に人間を創造するわけだが、グノーシス主義では、人間は肉体(物質)、魂、霊から構成されると考えられている。物質と魂からできた存在であるデーミウールゴスが創造したのは、人間の構成要素のうち肉体と魂だけである。霊はもともと救い主の光から誕生したので、本来的には神的領域に属するべきものである。したがって、人間が造られることで、霊は肉体と魂の中に閉じ込められることになったのである。 こうして、肉体と魂の中に閉じ込められた霊は、必然的に救済されるべき目標となる。真の神は、人間の霊を救済しようという目標を持つわけではないが、本来なら神的領域にあるはずの霊を取り返すことは、神が完全なものであるためにも必要となるのである。 救済に必要な手段は〈グノーシス(知識)〉だけである。真の神と牢獄としての宇宙についての正しい知識が、霊を救済するのである。もちろん、それはたやすいことではない。デーミウールゴスが創造した肉体と魂は、さまざまな欲望や情念によって、霊が正しい知識に到達するのを妨害し、霊を眠っている状態にしようとするからだ。それに、宇宙の基本的な背景には無知が存在しているからである。しかし、正しい知識を得ることは不可能ではない。グノーシス主義者の中には、そのために啓示があるのだというものもある。このような啓示は、光の世界からの使者が伝えるものだが、彼らは霊を取り返すためにアルコーンたちの目を逃れて、密かに宇宙に干渉しているのだという。 このようにして、知識を得ることで眠りから覚めた霊は、肉体と魂から解放されて、宇宙の中を上昇し、ついに光の領域に復帰することで救済されるのである。したがって、グノーシス主義の救済は、きわめて個人的なものだといえる。救済は一個人のレベルで起こるからだ。 しかし、グノーシス主義にも宇宙の終末は存在している。個人的レベルの救済が徐々に進むことで、地上に閉じ込められている霊の数は当然のように減ることになる。そして、いつか最後の霊が救済されるときには、宇宙は牢獄としての意味を失ってしまう。そのときこそ、宇宙が消滅するときなのである。 霊の救済が目的とされるグノーシス主義では、キリスト教の終末論のように、それがいつ訪れるかについて語ることはないが、宇宙の終末が待たれていることは確かなのである。 |
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世界の終わりの話目次 | ||||||||||||||||||||
第1部 世紀末と終末論 世紀末と終末論の基礎知識 歴史観と終末論の種類 世界の紀年法と暦法 第2部 神話・終末文書に描かれた終末 第1章 円環的な歴史の中の終末 概説 洪水神話 北欧神話の終末(ラグナレク) ヒンズー教の終末(永劫回帰) 第2章 直線的歴史と終末 概説/ユダヤ・キリスト教の終末文書 ダニエル書の描く終末 ヨハネの黙示録の描く終末 死海文書が描く終末 エチオピア語エノク書に描かれた終末 シリア語バルク書が描く終末 シビュラの託宣が描く終末 エズラ記(ラテン語)に描かれた終末 マラキ書が描く終末 コーランに描かれた終末 第3章 異教の終末文書 概説 ゾロアスター教の終末 仏教と末法思想の終末 マヤ・アステカ神話の終末 グノーシス主義が描く終末 パウロの黙示録に描かれた終末 第4章 千年王国思想 概説 『神の国』の千年王国 フィオーレのヨアキムが語る千年王国 カンパネッラの語る『太陽の都』 第三部 19世紀の世紀末と終末観 近代にも生きている終末思想 おまけ~スウェデンボルグで検索すると~2ページ またおまけ 外語大について https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/7a309516d1416be2b373e34721e20a92 おまけ~昔の開成所について
前身は幕府の開成所なのですが,すでに役割を終えた蝉の抜け殻みたいな感じです。
外語大が現国立大学のご先祖様の大學である史実にふれておこう。文化8年(1811)洋書和解御用方ー安政2年(1855年)洋学所ー翌年藩書調書ー文久2年(1862年)洋書調書となり文部省の前進,学問所所管となるー8月開成所ー慶応2年(1866年)同所の教育方針蘭後から英仏独露語に転ずー同4月風雲急となり閉所ー明治元年開成所復興後東京府所管となる。-明治2年大學南校ー明治4年南校と改称,文部省所管となる。 明治5年第一学医第一番中学と改称,-明治6年ー開成学校と改称語生徒と専門学生徒とに分け,さらに前者に外務省所轄の語学所を併せて東京外国語学校(英独仏露清の五ヶ国語外人教師15人)として,後者を東京開成学校(東京帝大の前身)とした。-明治7年東京外国語学校のうち英語科を東京英語学校として独立させた。(これは東京大學予備門のち一校となる)ー明治30年韓語を加える。就業5年ー明治17年東京外国語学校に付属高等商業学校(現一ツ橋大學)を設けた。-同18年解体,仏独語学生徒を大學予備門へ,露清韓を東京商業学校へ編入。 これで判る通り,帝大,一高,一ツ橋は兄弟でもある。とくに明治以降開成所としてすべての学問が外国の語学を学び書籍を紹介することから始まった事情を考えると東京外大がその根幹であったといえるであろう。 管理人注:昭和40年の』秋に外語の学生は語学が出来ないということで当時の文部省は全ての学科に語をつけロシア科がロシア語学科 フランス科がフランス語学科などまるで戦後の東京外国語学校や外事専門学校そのものでまるで通訳養成所つまり読む・書く・話す・聞くの学校になってしまった。 全学で英語の教師はニュージンランド人の講師のみでお粗末の極であった。大学は英語名ではTokyo University of Foreign Studies 日本語名では東京外国語大学と矛盾している。単科大学なのでTokyo Institute of foreign Studiesにするべきなのに戦後雨後の竹の子みたいに猫も杓子も大学という名がつけられた。一橋しかりで正確にはHitotsubashi Institute of Economicsが正しい。英国にもあるでしょ。London School of Economicsというあのジョージソロスが学んだところもある。MIT(マサチューセッツ工科大学)だってInstituteなのです。私は内面的な矛盾を抱えたまま入学してしまいまた母子家庭という特殊事情もあり3年目にあるフランス系の航空会社に生活の糧を得ることが出来たしだいです。 確かサラリーマンになって1年か2年してあの有名な大学紛争がおき学校封鎖ですべて試験はなしで4年間一度も授業を受けずに卒業した輩もいたそうです。外語の場合ストの発端は学生寮にあったとかの噂ですが実はある時全学年の半数が落第するという出来事があったそうです。ここは学生を落第させるとが大好き先生が多く親御さんがもう4年たったので教務課に電話するとまだ1年生ですと言われたそうです。それも一人や二人ではないのです。中には自殺した学生もいて,しかも教師はそれを知らず出欠をとり続けたそうです。 私としては東京外国語大学を頭狂誤学 東京大学を頭狂大学 京都大学を狂徒大学と今呼んでいます。昭和37年までが入試が超難解でかなりの学生が二浪三浪も多く文部省がクレペリン検査をしたくらいです。追跡調査をしているのでしょうか?これはキチガイかどうかの判別テストなのです。 しかしある時から試験問題が急に易しくなり女子学生も増えたそうです。今の外語大は移転したのですがまるで8割前後が女子でまるで女子大のようだとのこと。 3,600 回視聴 2023/08/29
「こころの時代」番組HPはこちら https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/ep... 広島の被ばく者・中沢啓治さんが自らの体験をもとに描いた長編漫画『はだしのゲン』が、今年、連載開始から50年の節目の年を迎えた。 広島市教委が小学生の平和学習教材から『はだしのゲン』を削除した年ともなったが、一方、世界では24の言語に翻訳され、読み継がれている。中国語の翻訳を手掛けた坂東弘美さんは、『はだしのゲン』を7年がかりで中国人の仲間と完成させ、台湾での出版を実現した。 坂東さんが中国人に『はだしのゲン』を届けたいと願った背景には、日中戦争に出征した坂東さんの父親・要三さんが中国で民間人に行ったことを知った衝撃があった。 自らの人生を重ね合わせながら『はだしのゲン』を翻訳してきた坂東さんに、その思いをうかがう。 【出演者】 坂東弘美(「はだしのゲン」中国語版 翻訳者) 語り:三宅民夫(アナウンサー) 【放送情報】 NHK Eテレ 毎週(日)午前 5:00~/[再放送]毎週(土)午後 1:00~ 放送後1週間は見逃し配信があります。 https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/pl... 人生の壁にぶつかったとき、絶望の淵に立たされたとき、どう生きる道を見いだすのか。 経済的合理性や科学的思考が判断基準となりがちな現代。 それだけでは解決できない問題に、先人たちの言葉や今をともに生きる人たちの声に耳を傾ける番組です。
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