ラーマ10世(現在の国王ですが奇抜な振る舞いで知られています)
ラーマ10世は、タイ王国チャクリー王朝の第10代タイ国王。ラーマ9世とその王妃シリキットの間の唯一の男子。 王太子在位時代より正式名...-Wikipedia
ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 第3話 ― 緑龍会の中国大陸での暗躍
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大隈重信、一木喜徳郎、牧口常三郎、戸田城聖、(中略)...児玉誉士夫。
1911年に創立された大日本皇道立教会
中山忠英の三男中山忠徳(ただのり)は神道研究に努め、その門下には大本教の開祖・出口王仁三郎、PL教団開祖・御木徳近、戦前戦後の陽明学の大家・安岡正篤、そして山蔭神道宗家の山陰基央ら。
大本教、PL教団なども大日本皇道立教会に所属していることがこの記事から分かるのです。
大日本皇道立教会役職者として、次のような人物の名も並んでいます。幹事長として頭山満、言わずと知れた玄洋社=白龍会の杉山茂丸と並ぶ総帥です。
左側から大本教主輔 class="psb-icn">幹事には梅屋庄吉と内田良平の名があります。内田良平はこれまで見たように、玄洋社所属でアムール川のほうの黒龍会の総裁です。梅屋庄吉は実業家で頭山とは共闘関係にあり、孫文の支援者で、孫文と宋慶齢との結婚の後押しをした人物です。
東郷平八郎の名が眼につきます。
大日本皇道立教会は2代目裏天皇の堀川辰吉郎、もしくはその子孫をゆくゆくは世界天皇に押し上げようとしていたはずで、そのために実際に日本をアジアへ進出させてアジア再編を見越しており、その趣旨のもとにこのようなメンバーが集っていたわけです。
大日本皇道立教会の会長は黄龍会総裁の中山忠英が就任していますが、大日本皇道立教会の会員には五龍会のそれぞれのメンバーが所属していたでしょう。
その中で特に玄洋社=白龍会は「大アジア主義」を掲げ、アジア進出、そして対外国戦略に大きな役割を果たしていました。日露戦争、満洲鉄道による満洲経営、韓国併合、これらには玄洋社=白龍会が裏工作をしていました。
実は玄洋社=白龍会に並んで、アジア進出や対外国工作に大きな役割を受け持っていたのが緑龍会です。白龍会より更に裏の工作で暗躍していたのが緑龍会の感が強いのです。
緑龍会は別の言い方では「丹波大江山霊媒衆」とも言います。アヤタチ上田サンカの流れが緑龍会となっていて、緑龍会総裁も代々アヤタチ上田サンカの血流です。現在もそうです。
八咫烏は表雑賀で、頭は川端の姓。天皇を守護していた結社で、明治以降は裏天皇の堀川辰吉郎を守護。八咫烏には真、贋があり、本物は修験者。偽物は大江山霊媒衆と言い、大本教を中心とする宗教団体の霊媒達の集団だと推察されます。(
中国大陸での緑龍会の動き style="color: #f00;">大日本皇道立教会のメンバーとして名前が挙がっていた創価学会の会長になっている牧口常三郎と戸田城聖、そして大本教の出口王仁三郎、この三者は実は共に上田サンカの血縁者です。以前見ていただいた上田家系図を改めてご覧ください。
上田音吉(吉松)は緑龍会の初代総裁です。創価学会の牧口常三郎と戸田城聖はそれぞれが上田音吉の息子と孫。相手の女性などは異なりますが、大本教の出口王仁三郎も上田音吉の孫です。現在も創価学会と大本教は緑龍会に所属していることから見ても、上田家系図にあるように牧口常三郎と戸田城聖、そして出口王仁三郎が上田音吉の肉親であったのは事実と受け取れられます。
緑龍会=大江山霊媒衆のアジア進出と裏での対外国工作に関してですが、少し長くなりますが次の落合莞爾氏の説を読んで下さい。
丹波大江山衆は、光格帝の実母・大江磐代(大鉄屋岩室氏)に由来する外郭で、亀岡穴太村の上田吉松を頭として江戸時代から禁裏の諜報に携わっていたが、多くは玄洋社に誘われて満洲に渡って馬賊となり、或いは清国本部に潜入して国事に備えていた。彼らが創めた大本教が、玄洋社と並んで辰吉郎支援の実行部隊となり大正時代には民国内に実質支部の紅卍会を建て、辰吉郎はその日本総裁となる。
(読書日記「緑龍会=大江山霊媒衆は中国大陸にて以下のような動きを取ったことになります。
①メンバーの多くが玄洋社と共に満洲で馬賊に。また清国本部にも潜入。
身を隠しての潜入工作 style="color: #f00;">日露戦争は玄洋社所属の明石元二郎が隠れた主役で、その諜報活動でロシア内部から革命を蜂起させて、ロシアに重大な痛手を与えました。その明石の動きと連動して玄洋社に所属していたであろう満洲義軍がロシア軍を後方から撹乱させ、大被害を与えています。
前列中央が頭山満
玄洋社:戦前、戦中期にかけて軍部・官僚・財閥、政界に強大な影響力を持ち、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦そして第二次世界大戦と日本の関わってきた数々の戦争において情報収集や裏工作に関係してきた。(この満洲義軍の中に緑龍会のメンバーが入っていた、もしくは緑龍会メンバーがの馬賊となり、友軍として満洲義軍を支援していたということでしょう。
出口ナヲの次男・清吉が馬賊の頭になったというのは、出口王仁三郎の孫である出口和明が『「京都日出新聞」は北清事変(一九〇〇)の殊勲者として王文泰の名を報じており、同新聞の明治三八年(一九〇五)八月一三日付二面記事では、「軍事探偵王文泰」との見出しで、年齢三〇歳前後の人物が十数年来にわたって支那人に扮し内偵活動を行なうと紹介している。
出口清吉は、馬賊に転ずる前は中国人「軍事探偵王文泰」に変身して諜報活動を行っていたということですが、どうも緑龍会のメンバーで中国人に変身していた者が相当数いたようです。これは①と③にも関わってくる部分でもあります。
出口清吉が張作霖を親日に、そして満洲の覇王に養成したとのことですが、張作霖は大変な重要人物なので張作霖に関しては別の機会に見ることとします。
世界紅卍字会に関しては次回にでも改めて見ていこうかと考えていますが、ウィキペディアによると「世界紅卍字会は中華民国山東省済南府において政府の批准により組織された」とあります。
世界紅卍字会は中国の東北地方、つまり満洲を中心に民国全域に広がっています。世界紅卍字会と大本教が提携するのは、公的には1923年(大正12年)からとなっています。
出口王仁三郎(中央)と世界紅卍字会(道院の活動団体)の会員