何のための学校・アラン 幸福論
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/022ca4c5d10fc74fa2a07a46b484a93c
http://web.archive.org/web/20080101215321/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/223.html
ニホンという滅び行く国に生まれた若い君たちへ―16歳から始める思考者になるための社会学
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/c02ddf16cf2fe56109aed0ac08a4c7ca
2006/9/18
フランスの試験制度に関してはここをクリック
1950年のアラン
私がそこに見出す事を,プラトンがすでに充分考えていたとしても,それが何であろうか。私がそこで見出す事が,何事かを理解するための手助けとなるのであれば。
はじめはすべてが虚偽であり,私は神を非難する。しかし終わりにはすべてが真実であり,神は潔白である。
宗教は人間の,宿というよりは棲家である。
視点の転換の自由は
精神の自由の現れである
そのどちらが正しいかではなく
視点の転換の自由こそが
現実の全体の把握を可能にし
精神の独立を保証するだろう。
「夕陽妄語」加藤周一
1996・10・23、朝日夕刊
管理人注:現在この発想ができるのは恐らく大江健三郎氏くらいだろうがあまりに日本の真の教養人は少なすぎるということか?あるいは大学教授になる過程で出る釘は打たれてしまうのだろう。大学教授になれてもたえずインターンが見張っているのでどうすることもできない。そういう教授たちが出す試験の正解は..........俺が言ったとおりを書けば優をあげるよ.....ということだろう。だから論文試験の詳細は公表しないのです。何が出題されるかわからない~これでは学生は発狂寸前になってしまうだろう。学生たちは毎日不安で結局卒免だけを目指し毎日を送ることになる。
2009/8/20
「求めなさい。そうすれば,与えられる。探しなさい。そうすれば,見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる。だれでも,求める者は受け,探す者は見つけ,門をたたく者には開かれる」<ルカ11 9-13>
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは,自分の裁く裁きで裁かれ,自分の量る秤で量りを与えられる」<ルカ6 37>
写真はオレゴン州ポートランド市内。左には製紙工場があり廃液を垂れ流していた。(写真は記事とは関係ありません)
高橋是清とは
昭和金融恐慌とは
片面刷りの紙幣
在任期間
1906(明治39)年3月~1911(明治44)年6月
生い立ち
1854(安政元年) 生
1887(明治20)年 農商務省特許局長
1889(明治22)年10月 非職、ペルー鉱山事業に従事
1892(明治25)年 6月 日本銀行建築事務所主任
1895(明治28)年 8月 横浜正金銀行本店支配人
1897(明治30)年 3月 副頭取(~1899年)
1899(明治32)年 2月 日本銀行副総裁
1906(明治39)年 3月 横浜正金銀行頭取を兼任(~1911年)
1911(明治44)年 6月 日本銀行総裁
以後第一次山本、原、田中、犬養の各内閣で大蔵大臣を歴任
1921(大正10)年11月 内閣総理大臣兼大蔵大臣
解説
高橋是清は、1895(明治28)年日本銀行から横浜正金銀行に本店支配人として入行し、97年には副頭取に就任し、99年に日銀副総裁就任のため正金銀行を退職した。1906年相馬頭取の後任頭取に就任する。これは横浜正金銀行条例の日銀副総裁が正金銀行頭取を兼任できるという規程がはじめて適用された人事である。高橋頭取の時代は、中国における横浜正金銀行券発行が法制化され、さらに南満州鉄道や商社とも協同して満州(中国東北部)方面の営業拡大がはかられ、支店や出張所の開設が実施された。しかし、満州での幣制統一の方針は揺らぎ日本銀行兌換券の流通により事実上満州地方では金銀両用の幣制となった。1908(明治41)年と翌年に、本支店間の情報交換と営業方針の統一を目的とする東洋支店長会議を本店で開催した。また、1911(明治44)年3 月には資本金を2400万円に倍額増資した。
意外と知られていないのが,高橋是清が米国滞在中放蕩三昧から立ち直った言葉です。『だから,言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと,また自分の身体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物より大切であり,体は衣服より大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず,刈り入れもせず,倉に納めもしない。だが,あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは,鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが,思い悩んだからといって,寿命をわずかでも延ばすことができようか。衣服のことで思い悩むのか,野の花がどのように育つのか,注意して見なさい。働きもせず,紡ぎもしない。しかし,言っておく。栄華を極めたソロモン王でさえ,この花一つほどにも着飾っていなかった。今日生えていて,明日は炉に投げ込まれる野の花でさえ,神はこのように装ってくださる。まして,あなたがたはなおさらのことではないのか,信仰の薄い者達よ。だから,何を食べようか,何を飲もうか,何を着ようか,と言って思い悩むな。.........だから,明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は,その日だけで十分である』
<ルカ12章22~32>
神を畏れる人々は,畏れるからこそ幸福なり
悪人は神を畏れないから,長生きできない
善人でありながら,悪人の業の報いを受ける者があり
悪人でありながら,善人の業の報いを受けるものがある
これまた空しいと,私は言う
それゆえに,私は快楽を讃える
太陽の下,人間にとって飲み,食いし
楽しむ以上の幸福はない。
それは,神が与える人生の日々の労苦に
添えられたものなのだ。
旧約聖書 コレヘトの(またはコへレト)言葉 8章13節より
記事追加:Legacy of Ashes時代の記事はすべて見る事ができます
西洋占星術の期限など~旧ゲームの達人
http://web.archive.org/web/20080112091944/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/168.html
伊丹万作 戦争責任者の問題
http://kusagakubow.livedoor.blog/archives/17804540.html
0345525onodera さんが 2023年01月28日 に書かれた記事をお届けします。 | ||||
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