稲盛和夫氏の「君の思いは必ず実現する」財界研究所発行のことを過去ログで記事にしました。
生まれた時から仏門に入るまで,とくに最後はお釈迦様の六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・知恵)の説明もある。漢字にはふり仮名がしてあり,有機化学と無機化学などの違いも丁寧に注釈してある。これ一冊で若い人は充分でしょう。ある方が自分の家を担保に入れてまでお金を工面し若いころの稲盛さんが会社を設立する際の資本金となった話は.......
管理人注:稲盛氏は老衰でお亡くなりになったとニュースにありました。
『逃げ出さずにひたむきに努力と工夫を続けていると,ふと自分の背中を押してくれるものが必ずあるのです。それこそが,みなさんの心の深いところにある良心から出た魂の叫びなのです。』とご本人が書かれているようにこれが「ヨブへの答え」にもあるパラクレート(助け主)なのです。慈光さんは言っています。『悪は正しい道への道しるべです』と。心が洗われますね。良心から出た魂の叫びとは全ての人に内在する神のことなのです。無財七施に反することばかりやっていると内なる神は弱くなりサタンが力をつけてくるということでしょうか。とくに忍辱(にんにく)とは他人の悪口や,批判,中傷などの苦難に耐え忍ぶこと。それに対して腹を立てたり,怒ったり,恨みを持たないこと。怒りが人間を支配してしまうと,えてして大きな間違いを起こしたりすると稲盛さんは言っていますが怒りが人間を支配する=内なる悪魔が騒ぎ出しその人を支配するは本当でしょうね。
ルシファー(魔王)に騙されて,天国から落ちた者たちもいた.....ルシファーはこう言って誘いをかけた。神はお前たちに善しか許さないが,わたしなら(芯まで嘘つきなので)善と悪の両方を楽しませてやれる。お前たちを心から愛する妻も与えよう。お前たちは互いに力を振るい,王侯や皇帝になる者もいるだろう。鳥で鳥を,獣で獣を狩ることも覚えるだろう。(カタリ派の祈りの言葉)(1)(グラハム・ハンコック著タリズマン上巻52ページ「善と悪が出会う場所」より。(管理人注:カタリ派は神と悪魔のCosmic Duality(二元論)をとる)
この写真は建国前のエルサレムにあるBab-es-Silsilehと呼ばれるものでHerod's Templeへの西の入り口の門である。反対側にある泉はベツレヘム近くのソロモン(管理人注:ソロモンはダビデとバテシバの間に生まれた二人目の子ども)の池からの水を水源とする。この門の左はダヴィデ街でありエルサレムで最もにぎわいをみせる。
重要な徴は『エノク書』における「人間の息子」の出現である。それより前にすでに『エゼキエル書』において「人間の息子」という呼び名がはじめて登場するし,ダニエル(紀元前165年頃)は「人間の息子の如きもの雲に乗りて来る」のを見ている。エノク書では「人間の息子」エノクはつねに正義をもたらす者として強調されている。「人間の息子」が天の世界で活躍することは,一方では神が人間になりたがっていることを意味すると同時に,他方では人間も神の世界に関与することができるということを示しているのである。
エノクはイエスの先駆的形態であり,神が人間になるというイメージに対する心理的欲求が次第に高まっていることを示すものであった。それはあたかも神がしきりに人間になりたがっているかのようであった。受肉の準備を意味する現象としてユングが注目したのは,ソフィアの想起と「人間の息子」(管理人注:エノク)の出現であった。(ヨブへの答え その3より)
下のURLにまとめてあります
ヨブへの答え その1・オリーブの木
ヨブへの答え その2・全能者よ,私に答えよ
ヨブへの答え その3・知恵の神ソフィア
ヨブへの答え その4・神の非道
ヨブへの答え その5・教会の原理と精霊の原理
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/4036f2873f7895e31dc6348fe13d8a19
稲盛和夫の言葉から
「人生はツイてないことばかりが続くものではありません。いいことと悪い事が,交代でやって来るのが人生です。だから,これからの社会を背負って立つ若いあなたは,つらいことがあってもくじけないでください。苦しいときの努力は必ず後に実を結び,あなたの人生を豊かにし,またあなた自身の人間性を高めてくれるはずです」
「苦しいことやつらいことがあれば,その状況から脱出したい,と思うのが人間です。でも,現実には逃げようと思っても逃げられないことのほうが多いのです。不運であろうとも,不遇であろうとも,それに耐えて明るく前向きに努力を続けるのが人生です。わたしの人生は,そうすることで夢が実現していきました」
「若いみなさんの中には,いま目の前の問題に取り組み,一生懸命頑張っているのに,なかなか成果がでない,という思いを抱いている人がたくさんいると思います。しかし,もうこれ以上は絶対にできないというほど必死の努力をしてみてごらんなさい。そこまで頑張れば,必ず神様の贈りものと思えるようなすばらしいヒントが見つかったり,あなたの努力を認めて助けてくれる人が出てくるはずです」
「道端に生えている雑草,名も知れない草でも,必死で生きています。そうした草はアスファルトの割れ目であっても,日が強く差す夏の暑い日であっても,カンカン照りの煮えたぎるような中で,狭さや暑さににも負けずに花を咲かせ,種を残そうと必死になって生きています。雑草一本でさえ,苦しみに耐えて,生きているわけです」
「子供たちにとって一番大切なのは,学校で何を学ぶかということです。それは創造性であったり,努力であったり,さらには人間としての生き方であったりするのでしょう。そのようなことを考えてくれるすばらしい人たちとの出会いを見つけて,ぜひすばらしい人生を切り開いていってください」
「人生では能力よりも熱意と考え方のほうがずっと大事です。たとえ能力が劣っていても,一生懸命に努力を重ね,人々のために何かをしたいと考える人のほうが,能力に優れているものの,努力もせず,人間として誤った考え方をもった人よりずっといい結果が出ます。ちょっと能力が劣っているからといってあきらめてはいけません。ひたむきな努力と正しい考え方はきっとあなたを大きく育ててくれます」
ぼくが感動した中のひとつに稲盛さんの会社である大きな問題が発生したとき,ある高僧が稲盛さんに言った言葉です。「それはしょうがありませんな,稲盛さん。苦労するのは生きている証拠です。災難に遭うのは過去につくった業(ごう)が消えるときです。業が消えるのですから喜ぶべきです。どんな業があったのかわかりませんが,その程度のことで業が消えるならお祝いせんといかんですなあ」稲盛さんはなぐさめてもらえると思っていたら,意外なことを言われたと述べています。
最も感動したのは次の言葉です。「一生懸命努力を続け,悩み抜いた後には天の啓示がある。目標を定めて,それに向かって努力しているとき,人はどうしたらいいのか,あるいは自分は正しいのか,といったことを自問自答します。しかし,なかなか答えが見つからず,途方に暮れることがあります。それでも逃げ出さずにひたむきに努力と工夫を続けていると,ふと自分の背中を押してくれるものが必ずあるのです。それこそが,みなさんの心の深いところにある良心から出た魂の叫びなのです。
注:業(ごう)とは~この世に生まれてくる前世での悪い行いのむくい。雑草がアスファルトを突き破り芽を出してくるのは無限少の力と無限大の時間をかけて這い上がってくるのでしょう。感動的です。
天竺から慈悲の光を読まれた方からメールが入りましたので独断と偏見でご紹介させていただくと同時のこの方へのメッセージもありますので。
達人様へ
差出人: XX XX (xxxxxxxxxxx)
送信日時: 2011年10月19日 7:40:52
宛先: 達人 (jameslee@hotmail.co.jp)
ブログを拝見しまして、管理人様の右足切断の心配がなくなったことを知り、本当に喜びでいっぱいです。この度の、インドで修行をなさっている比丘尼様のメールから、こんなにも素晴らしい事が起きるとは何と嬉しいことでしょう! 勇気や希望が湧いてくるようです。
あそこまでの方でなければ管理人様の心を捉えることはできなかったでしょうし、ブログを支えにする人達を助けることもできなかったでしょう。
いつか、今までどおりの自由な足で、管理人様が薄幸の子供たちのために尽力なされるのは本当に嬉しい事です。私は右手の障害者ですがやはり、自由な身体でないといざというときに何かと人に迷惑をかけてしまうのが現状です。
管理人様と比丘尼様のやりとりを読んで美しい心に触れ、打ち砕かれていた私の心が力を取り戻したように思います。つい最近、9月半ば過ぎですが、お金と云うものと人の心の恐ろしさというものを思い知るような出来事がありました。何でも、カネ、金、カネなんだ・・・とショックで4日間眠れない日々を過ごしました。地獄の沙汰も金次第とはよく言ったものだと思います。ひとつの友人関係がなくなりました。
比丘尼様の言葉を読んでいて涙が自分の中を洗い流してくれるとともに、もの凄く心強いものを感じました。この方のような人が居てくだされば、この世界はなんとかなるという気持ちです。この方の存在が有難いのです。なぜなら、悪魔の論理で動く者たちはお金という万能の力を持って、無力な人を殺しにかかっており、自分はその前にはなんの力もないからです。
強い精神力を持つことが必要でも、今回の震災と原発事故で、身を守るにも実際に必要なのはお金なのか、という感が強くありました。でも、そんな馬鹿な事があるか、という想いも強くあり、管理人様の以前の記事の『ヨブへの答え』を思い出し、パラクレートの助けしかない、と思い至ったのです。
比丘尼様の言葉、『私たちは、つながり合っていますから、一人勝ちは、できません。自分だけ幸せになることは、無理です。周りの人たちと共に、一緒に幸せになっていく。『自他不二』ーーーあなたの幸せが、わたしの幸せです。』・・・何と素晴らしい言葉でしょう。
いつか、管理人様はこの方のところに行かれるのだと思いますが、その時私の感謝の気持ちも少しお役に立てられれば光栄なのですが、今度お金を作りましたら、管理人様の銀行口座に比丘尼様への喜捨と備考に書いて振込みますので、まったくほんの僅かだと思いますが何かの足しに使っていただきたいのです。まだ、今用立てている途中ですので、 何日になるかはわかりません。
私自身、こうしたことを調べるようになったのは、サラのような子供たちのこと、いわゆる貧困に喘ぐ虐げられた人々の事が気にかかって仕方がなく、自分に何ができるかわからないけれど、とにかくこの状態はおかしいし、異常だから先ず調べてみようという想いがきっかけでした。自分がこうした真実を知ることができたのは、世界中で貧しさに苦しむ人々のおかげでした。
管理人様と比丘尼様とに助けられた人は多いと思います。比丘尼様にも伝わるでしょうか?
お二人に心からの感謝を込めて
XXXXさま
以前一度メールいただきまして今度は二度目ですね。管理人はまだ天竺(印度)へ行くことを決めたわけではありません。比丘尼さんが天竺のある場所で天命が整いしだい管理人などの後方部隊が支援をしていきたい,という考えです。管理人のような酔っ払いの変なおじさんが行ったらたいへんでしょうからね。
ところで喜捨いただけるとのことですがお釈迦様の「無財七施」の中に「愛語施」というのがございます。布施はお金や品物がなくても出来るのですよ。それは思いやりのこもった暖かい心をかけることで充分なのです。前の記事でもそういう方々のコメントがありましたね。あれはみな「愛語施」です。ですから今回はその暖かいお言葉だけ頂戴しておきますのでどうぞご理解していただきたいと思います。
>ショックで四日間眠れませんでした.....
これも無財七施の一つ.....
忍辱(にんにく)とは他人の悪口や,批判,中傷などの苦難に耐え忍ぶこと。それに対して腹を立てたり,怒ったり,恨みを持たないこと。怒りが人間を支配してしまうと,えてして大きな間違いを起こしたりすると稲盛さんは言っています。
>比丘尼様にも伝わるでしょうか?
もちろん,ここのブログをご覧になっていますから伝わりますよ。
管理人拝
山口百恵さんの確か「青い時」という本でしたか,随分前に読んだことがあります。百恵さんが有名になるとつきまとい金をせびる義父を3500万円払って「親子の縁を切った」場面では喝采を送りました。百恵さんのような方は別にして『名もない市井の方々にも数え切れないドラマがある』のでしょう。
Kennington Road 2nd Floor Room287
愛の賛歌
天才の人たち.........この人たちの人生は幼い頃より尋常でない筋書きがあり極貧の悲痛な生活から情熱が生まれあのアスファルトを突き破って出てくる雑草のようにその悲痛を栄養にして這い上がってくるのです。もし,あなた達の今がどん底であったり絶望の淵にたっているとした場合,神に感謝するべきです。そういう機会を与えてくれたことを。後で振り返ると,あのときが夢だったんだと思える時がきっときますからね。
大河の源流は驚くほど小さな湧き水である。生きてゆく理由があるかぎりその一滴にも多くの価値がある。深い哀しみや孤独感は,単に呻き声をあげるだけでは癒されることはない。
本当の意味での孤独を知らなければいくら現象面から中心部を覗いてみても,あるのはただ澱んだ空気のみである。
人はそれを世間と呼ぶ。当人にとっての悲劇は他人にとって喜劇にしか写らない。怖いものを覗いて見るとそこには自信のない泣きそうな顔をした自分が写っています。
真理と存在の法
時間と空間そして沈黙
プロレス神父に小学生が会っていた。
釈迦のさとった法は、釈迦のドグマではない。「仏がこの世に出ても、出てこなくとも変わりのない法」と経典にあるように、「世間の実相」「世界の真理」であるというのが釈迦がみずからの所信であり、仏教の主張である。この「法」(=真理) とは、縁起の理である。空海は存在とは関係であり現象として起きるすべてのものが真実であるといった。空海が天竺におられた時,弟子が空海に質問した。「不老長寿の薬はございますでしょうか?」....空海曰く,作って進ぜよう,ただしみなが近所の家をくまなく回り一人の死者も出なかった家があったら作ってあげよう,と言いその後評判を聞き多くの弟子たち集まってきたという。
上の写真は1983年2月12日プーラン・デヴィが投降した写真です。(女盗賊プーラン下巻より)プーラン・デヴィは言います。「ある意味では,みな,怯えながら生きているのだった。だから脅しが一番効く。相手が暴力に頼るなら,こちらも暴力的になればいい」,と。そして言う。「ものごとがよくわかった人たち,読み書きができて,英語がしゃべれる人たちに,わたしは法廷で哂われていた。彼らに比べれば,わたしは獣に等しかった。同じカーストの貧しい人たちがみなそうであるように,わからないことにぶつかるとただ驚き,怯えるだけだった。怖いこと,信じられないことから,ひたすら逃げて身を守ろうとする。無知というのは,飢餓と同じくらい残酷なことだと,わたしはこのとき思い知ったのだ」,と。
視点の転換の自由は、精神の自由の現れである。そのどちらが正しいかではなく、視点の転換の自由こそが、
現実の全体の把握を可能にし、精神の独立を保証するだろう。
「夕陽妄語」加藤周一。1996・10・23、朝日夕刊
足が良くなったら中村元や鈴木大拙の全集に取り組んでいきたい。約6年かけて........天竺へ行くかどうか決めるのはその後.......梵語(サンスクリット語)も勉強しなくてはならないし(汗)
最近大学での試験問題を事前に公開しノート持ち込みを許可している形式が増えております。日本大学文理学部などもそうです。これは知識のコントロールではなく学生に考えさせる習慣を身につけさせるには必要なことです。
モーゼゆかりのMount.NEBOのサンセット
ヨルダンのネボ山
申命記の最後の章によると、ネボ山は、神がイスラエルの民に与えられた約束の地を、ヘブライ人の預言者モーセに眺望させた場所とされる。「モーセはモアブの草原からネボ山、エリコに向かい合わせのピスガ (Pisgah) の頂に登った。」(申命記34章1節)
ユダヤ教とキリスト教の伝承によれば、モーセは神によってこの山に埋葬されたが、モーセの永眠の地は不明である。学者は、現在ネボ山として知られているこの山が、モーセ五書に示された山と同じであるかどうか議論を続けている(Wiki)。しかしモーゼの墓は存在する。聖職者が触れたがらないことの一つでもある。
ニーベルンゲンの指輪 その7参照
2006年の過去ログで書いた記事をご紹介しましょう。
2006/5/25
「ふらんす迷い路 7」
生きることと考えること
森有正との対話
もし他人の内面生活を覗き見る興味からこの本を手にする人がもしいたとしたら,おそらく失望するでしょう。私小説的な自己告発とは別の動機,つまり思想的動機のみがあるのです。
日本ですでに自己形成を完了した私が,ヨーロッパにあってどういうふうに生きてゆくか,ということだけであって,それ以外ではなかったのです。崩壊の瀬戸際に立つかもしれないような歩みは,むしろ現在はじまりつつある。そういう感じが強くしています。
恋愛について
日本人の経験というものは,分析が本当の個人意識まで絶対に下がっていかないのです。最後のところに「親子」の関係とか,「夫婦」の関係とか,「家族」の関係とか,[友人」の付き合いとか,義理とか,そういうようなものが網の目のようにその中に張りめぐらされてある。
だから少なくとも二人の人間で一つの個性というと具合がわるいが,一つの単位を構成しているというところが出てくる。その場合に,自分の個を貫くために,その結びつきを破るかというと,日本人は破らない。それが日本人の根本的な長所であり,また欠点だと思うのです。
個人意識が大事だということは,最後のところになると親子,夫婦,師弟というふうな結びつきが破れて,それが個々に分離していくところにある。ヨーロッパのばあいは,あるばあいには,ほんとうに親も離れ,先生も離れ,国も離れ,社会も離れ,なにもかも離れて,自分一人になってしまうという経験が,事実そこまで行ってしまうのです。
夫婦でも日本みたいに融合しない。親子でももちろん融合しないし,師弟も融合しない。親は自分の責任を尽くして生きてきたのだから,あとから来た子供は,その子供自身の生活なのだから,その生活を自分で営んで,またその次に出てくる子供から離れて一人で死んでいくわけです。そうであるからこそ,ヨーロッパには本当の恋愛が可能なのです。
日本人には本当の恋愛が非常に少ないということです。すぐに親がでてくる。すぐに先生がでてくる。ことに,すぐ友人がでてくる。そのために本当の恋愛は日本では成立しない。恋愛は男の個と女の個との関係です。ですから,孤独ということがなかったら恋愛なぞ,絶対にありえないのです。孤独において成立したもの以外は,多かれ少なかれ,みんな仲人口です。究極において個を貫けないという要素によるものです。
試験制度
学士になるとか,国家試験などでも,一年前に、試験の範囲が報告されます。例えば,フランス文学史の17世紀なら17世紀を勉強してこいとか,どういう著者を勉強してこいとかの指示があります。そういうやり方を通して,単に知識をコントロールするのではなく,試験を準備させることによってその人に勉強させるというやり方をとっている。
中学校などでも哲学が必須で徹底している。デカルト,パスカル,カント,ハイデッカーなど学校用のテキストを正確に読んでおかなくてはいけないわけです。
以上は本の中から抜粋し編集したものです。
雪の巴里。ひろやまがたさく。
辻邦夫さんなど多くの仏文学者達が森さんを師と仰ぎ畏敬の念をもって集まりました。森さんの言いたいことは「大事なのは,ある人がほんとうに自分の立脚地をおくことができる世界を,自分の中に築き上げていくこと」それが全てです。
1911年 東京に生まれる
1938年 東京大學仏文科卒
東京大學助教授を経て
パリ大學・東洋語学校講師
著書に 「パスカルの方法」「デカルトからパスカルへ」
「内村鑑三」「遥かなノートルダム」「木々は
光を浴びて」「砂漠に向かって」「遠ざかる
ノートルダム」「バビロンの流れのほとりにて」
「旅の空の下で」その他多数
訳書に アラン「わが思索のあと」リルケ「フィレンツェ
日記」など多数。
邪教を信ずる者は救われない。
↑新興宗教の発生形態
通常の既成宗教の場合、まず教え(教典・教義)が先にあって、それを人々への救済理念として形成されました。
しかし新興宗教の場合はある意味この逆で、まずは教祖となる人物が神や仏の啓示を受けたと自称し(いわゆる神懸かり)、その人物をカリスマと崇(あが)めながら何年か経って教義らしきものを作って体系化し、教団組織の体制を整えていくのが一般的です。
ある本によると、今どきの新興宗教は、
・カリスマ的人間を仕立て上げる
・人間心理の弱点を脅(おど)す
・弱者の論理にあくまでも迎合し、なぐさめる
・現世利益をうたう
・超能力現象を見せる(手品でよい)
というような感じで出来上がるそうです。これは実際に、東京都下で勢力を伸ばしている中堅教団の教祖がその本の著者に、教団を開設するに当たっての信条を語った本音です。
新興宗教とは、所詮はこういうものなのです。(管理人注:こういうところが霊園もやっていてカードを入れるとくるくるお墓が出てくる仕組み。遺骨は倉庫に山積みされている。
超能力現象を見せる(手品でよい)の典型サイババのビバーチェ(聖灰)。手品であることがばれた。4000億円稼いだそうだ。船井幸雄は泳いでいる金魚を止めた。これも静電気で止める手品。とくに1970年代カーター政権時議会で承認されたグローバル2000(人類皆殺し政策)等をぼかすのが目的であった(黒幕はブレジンスキー)。三輪明宏が天草四郎が自分を見て笑った手品で騙された。
千日回峰などの荒行もありますが三日三晩不眠不休で座禅を組むという修行はかつてテレビで紹介されたことがあった。修行が終了すると素うどんが振舞われる。その時の若き修行僧の喜びの顔が忘れられない。
不眠不休の座禅
↑釈尊降誕会[しゃくそんごうたんえ](4月8日)
仏教の開祖釈尊(お釈迦さま)の誕生を祝う日です。「仏生会」「仏誕会」「潅仏会」とも呼ばれるこの法会は、一般に「花まつり」として親しまれています。
釈尊は紀元前5・6世紀(約2500年昔)の4月8日に、釈迦族の王子(悉多太子)として生まれました。『太子瑞応本起経』や『仏所行讃』等の仏伝によりますと、兜率天という天上界から、白象となって母マーヤ夫人の胎内に入り、受胎したといわれています。また臨月のマーヤ夫人は、出産のため実家に帰る途中、清らかな池や美しい花が咲き乱れているルンビニー園に立ち寄り、無憂樹の花をとろうとしたとき、太子が右脇から安らかに誕生したと伝えられていることから、「降誕会」ともいわれる所以です。
誕生した太子は堂々と7歩進み、右手で天上を、左手で大地を指さして(管理人注:これを真似したのがAs Above,So Belowのバフォメットでダビデのみが独り尊しとはき違え。)「天上天下唯我独尊」(天上にも天下にもただ我のみ独り尊し)と叫んだともいわれています。この言葉は釈尊だけが尊いという意味ではなく、すべての人間存在が尊いという仏教の基本的立場を宣言したものです。
また、太子の誕生を祝福するかのように、天から冷暖の雨が太子の頭を濡らしたと伝えられることから、「潅仏会」ともいわれていますが、寺院で花御堂を設け、誕生仏に甘茶で潅仏する「花まつり」は、これに由来するものです。
『日本書紀』や『続日本後紀』によりますと、わが国では推古天皇14年(606)に飛鳥の元興寺で行われたのが最初で、平安時代の承和7年(840)には宮中の清涼殿で催され、以後一般寺院にも普及し、さかんに行われるようになりました。
精霊祭[しょうれいさい](7月初旬)
過去一年間に亡くなられた、学園関係者の魂を迎え、供養する日です。「盂蘭盆会」「盆まつり」「お盆」「魂まつり」とも呼ばれています。
盂蘭盆は『仏説盂蘭盆経』によりますと、釈尊の十大弟子の一人で、神通第一とうたわれた目連尊者が、その神通力によって、母親が餓鬼道におちて苦しんでいるのを知り、釈尊に母親を救済する方法を尋ねました。釈尊は自恣(夏安居―4月16日から3ヶ月間一ヶ所で集団生活し、修行に専念すること―が終った日の反省批判会)の日である7月15日に、百味の飲食と五果(五種類の果実)などを供え、十方の衆僧を供養せよとさとされました。目連は教えにしたがって、衆僧を供養する盂蘭盆会を行い、母親を餓鬼道から救うことができたとある故事に基づいています。また、これは衆僧を供養する功徳によって、亡くなった人の魂を救済することを意味しています。
中国では6世紀から行われ、初唐ころにはさかんに営まれたようです。わが国では『日本書紀』によりますと、推古天皇14年(606)7月15日に斎を設けたのが最初ですが、斉明天皇3年(657)元興寺の西に須弥山の像を作り、盂蘭盆会を営んでから、本格的に行われるようになりました。ただ地方によっては農耕の都合で、8月15日に営むところもあります。また、盂蘭盆の法会とあわせて、盆踊りも年中行事の一つとしてさかんに行われています。
御征忌[ごしょうき](10月12日~15日)・太祖降誕会[たいそごうたんえ](11月21日)
御征忌は總持寺御開山太祖常済大師(瑩山紹瑾)のご命日の法要、また、太祖降誕会は同じく誕生を祝う法要です。瑩山禅師(1268~1325)の伝記は自ら著わされた『洞谷記』をはじめ、十余部が知られています。これらによりますと、禅師は文永5年(1268)10月8日(太陽暦では11月21日)越前多禰邑(現福井県越前市)に生まれました。8歳で永平寺に登り、13歳で孤雲懐弉(1198~1280)について得度し、懐弉没後は徹通義介(1219~1309)について坐禅修行に努めています。18歳から22歳まで諸国を行脚し、宝慶寺寂円(?~1299)や、円尓弁円(1202~1280)の弟子等に学び、さらに比叡山で天台学も研究しています。
その後城満寺(徳島県)の開山として招かれましたが、正安元年(1299)32歳のとき、大乗寺(金沢市)の義介にふたたび随侍することになりました。義介は禅師に対し「平常心是道」についてその見解を尋ねますと、「平常心の道は知と不知とにかかわらない」「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」と簡明に答えました。義介はただちに印可証明(修行が大成したことを認可証明すること)を与えましたので、禅師はその法を嗣ぎました。
35歳のとき義介のあとをうけ、大乗寺二世となりましたが、このころ峨山韶碩(1275~1365)や明峰素哲(1277~1350)などの門弟もでき、大乗寺を中心とする禅院の修行規則を定めるなど、宗門発展の基礎が整いました。
文保元年(1317)50歳のとき、永光寺(石川県羽咋市)に移り、民衆教化に努めましたが、54歳になって定賢律師の招請をうけ、諸嶽寺におもむき、これを禅寺に改め、諸嶽山總持寺を開創されました。その間、後醍醐天皇の十種の質問に回答し、その功によって總持寺を日本曹洞出世の道場となすという綸旨を下賜されたと伝えています。
晩年には永光寺に帰り、正中2年(1325)8月15日(太陽暦では9月29日)に58歳で入滅していますが、著書は多く、曹洞宗の法脈が正しく伝承されていることを明らかにした『伝光録』をはじめ『總持寺中興縁起』『坐禅用心記』『瑩山禅師清規』などがあります。また門弟も60余名を数えることができ、その法流は日本全土におよんでいます。
總持寺では毎年10月12日から15日まで御征忌を営み、曹洞宗教団発展の基礎を確立した禅師の遺徳を顕彰し、しのんでいます。
また、本学では御征忌の法要への参列を行うとともに、太祖降誕会の11月21日を開学記念日と定め、さらに、あらかじめ誕生を祝う法要を行っています。
成道会[じょうどうえ](12月8日)
釈尊が悟りをひらき、仏陀(覚者=真実に目覚めた人)になられた日で、「臘八会」とも呼ばれています。
釈尊は29歳で出家し、6年にもわたる苦行をかさねましたが、無益であることがわかり、断食を放棄しました。そして川で沐浴したのち、村娘スジャーターが捧げた乳粥により体力を回復し、菩提樹の下に坐って瞑想にふけり、12月8日の未明に大悟されました。ときに35歳でした。悟りの内容は縁起(因縁生起=縁によって生ずること)の理であったといわれています。
因縁生起=縁起とは
↑「仏教における縁起(えんぎ、サンスクリット:pratiitya-samutpaada、パーリ語:paTicca-samuppaada)は、仏教の根幹をなす思想の一つで、世界の一切は直接にも間接にも何らかのかたちでそれぞれ関わり合って生滅変化しているという考え方を指す。縁起の語は「因縁生起」(いんねんしょうき)の略で、「因」は結果を生じさせる直接の原因、「縁」はそれを助ける外的な条件のことである。
ある結果が生じる時には、主な原因だけではなく、それ以外の様々な原因や副次的な原因を含めて、あらゆる存在が互いに関係しあうことで、それら全ての関係性の結果として、ある結果が生じるという考え方である。 なお、その時の原因に関しては、数々の原因の中でも直接的に作用していると考えられる原因のみを「因」と考え、それ以外の原因は「縁」と考えるのが一般的である。」(管理人注:空海のいう,存在とは関係であると言ったことは縁起を指す。)
また、釈尊が禅定・瞑想によって大悟されたことから、禅宗では とりわけ重視すると同時に、12月1日から8日の払暁にかけて、不眠不休の坐禅修行が行われます。これを「臘八摂心」又は「臘八大摂心」と呼んでおります。
成道会の起源は明らかではありませんが、唐・百丈懐海(749~814)が著わした『百丈清規』にその記述がみえます。わが国では『延喜式』により、奈良西大寺の成道会がその最初とされていますが、『永平広録』によりますと、道元禅師は宋から帰国後、一時留まっていた建仁寺を去り、深草の安養院(京都市伏見区)に移られた寛喜2年(1230)ころ、はじめて営まれたことがわかります。それ以来、曹洞宗では広く行われています。(注:出家された天竺の比丘尼さんも当然こういう荒行を経ていると思われます。)
涅槃会[ねはんえ](2月15日)
釈尊が入滅された日です。「降誕会」「成道会」とともに「三仏忌」あるいは「三大会」といわれ、特に重んじられています。
釈尊は35歳で成道し、45年間にわたって、人間の苦悩を解決するための正しいあり方を説き続けました。80歳の釈尊は老先が短いのを自覚し、故郷へ向かいましたが、クシナガラで弟子たちから最後の質問をうけたあと、東西南北にある四双八隻(二本ずつ八本)のサーラの樹(沙羅双樹)の間に横たわり、涅槃(死)を迎えます。
パリニッバーナ寺院(クシナガラ)の涅槃仏
涅槃は「煩悩が吹き消された状態」という意味ですが、釈尊入滅の模様については、有明の月が輝き、しだいに白みかけてきたころ、仏の身体と衣は次第に金色に染まり、海の潮がひきはじめた暁、静かに最後の息をひきとられたと伝えられています。また『大パリニッバーナ経』によりますと、沙羅双樹は時ならぬ花を咲かせ、天の曼荼羅華とともに、供養のために釈尊の身体いっぱいに花びらを降り注いだといわれています。『平家物語』の「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現わす」はこの伝説に基づいています。
インドや中国では早くから行われていたことが、唐・玄奘(602~664)の『大唐西域記』や道宣(596~667)の『広弘明集』に記されており、『百丈清規』には当日『遺教経』(釈尊最後の説法)を読むべきであるとしています。
わが国では奈良時代に興福寺で「常楽会」という名称で営まれたのが最初とされていますが、その後源信(942~1017)や明恵(1173~1232)の『涅槃講式』などに基づいて修されるようになり、室町時代から江戸時代にかけて広く行われ、年中行事の一つとなりました。』