あまり足が向かない店がある。店の名前はドンキホーテ。東急ハンズを目指して歩いた。するとその手前にドンキホーテがあった。けばけばしい化粧に飾られた雰囲気。興味半分で入ってみた。エレベータの周りも装飾で飾られ、階数ボタンも見渡らない。探していると後ろの人がボタンを押してくれた。狭い室内に品物がびっしり並んでいた。若い人がターゲットの雰囲気。雰囲気に呑まれうろうろ。珍しい商品もあるみたい。取りあえず、ハニーローストピーナツを求めて退散した。
最近、冬の寒さ対策としてダウンコートが欠かせない。当初は服の中からダウンやフェザーが出てきてあちこちに着いていたが最近は良くなった。今年は綿のワタ入りを購入。昔に比べて暖かいとの宣伝に乗せられた。それでもダウンがほしくなり昨日お店に行った。処が店にあふれていた冬物の商品が無くなっていた。もう春物で満開。あれほどあった商品が売れてしまったとは思えない。どこに消えてしまったのか来年そっとお店に復活するのか謎のまま。近くの生協に二点残っていた。青と黒。そこで黒を求めた。しかし、今年は出番が無さそう。
この4月から三回にわたって開かれる生協の川柳教室に応募した。過去に二つの作品を作って以来、川柳とは縁のない生活を送った。中学3年の時二つの作品を毎日新聞の地方版に応募。この二つが掲載された。その後何故か作らなかった。恥ずかしいがその時の作品を紹介します。
未亡人/喪服の黒さ/目に染みる
もめ事を/一気に流す/生ビール
今思えばませた中学生であった。
いつも見る光景の中に黄金の輝きを見た。早速カメラを用意し撮影。こんなことは時折り起こる。たいてい慌てて失敗する。特に船の場合カメラを探している間に船が視界から消えてしまう。飛行機はもっと悲惨。対象を失ってしまう。又、電池が無かったりSDカードがぬけていたり。失敗が多い。しかし物事に感動し、カメラを向ける行為はいつまでも失いたくない。
今、1970年代だったら今より心豊かに生きていけそう。趣味のフイルムカメラの蒐集やテスト撮影でキット心わくわくしていたに違いない。昭和の華やかさが残って色んなことに興味が持てた。世の中は発展し進化するものと信じていた。あれから40年経って世の中を俯瞰すると確かに便利になったが必ずしも心豊かになっていない。情報が多いことが豊かなことと思えなくなった。
広島の自宅から持ち帰った。ライカのレンズ。ズマリット(summarit)50mm、f1.5。デジカメにつけて写してみよう。フイルムカメラの時代は、写真を写す行為が神聖な行為であったがデジカメになると怠惰な状況でシャッターを押している。写真の意味が変わってきた。ましてスマホで写す行為は21世紀の所作と言えよう。写して消えていく走馬灯に似ている。
日が出て日が落ちて一日が過ぎていく。人生はこの繰り返し。朝日は希望を生み出し、夕日は心落ち着かせる。雨や曇りの日が続くと心も塞ぎがちになる。朝の想いは夕べに消える平凡な一日。明日はどんな夢を見るだろうか「おやすみなさい」
木工教室に通い1年が過ぎた。毎日使っている机も本箱も作った。机は赤みを帯びた杉が私の心を落ち着かせる。杉は柔らかくてすぐに傷がつくがペーパーでなぞると消えていく。少しづつ身の回りに木工製品が増えていく。おそらく私の人生よりこの世に生をとどめるだろう・・・。
どこに行きたいかと問われれば、「パリに行きたい」と答える。パリは飽きさせない魅力を持っている。美術館にしてもセーヌにしてもエッフエル塔にしてもカフエも然りである。せめてパリ観光のテレビを見てワインを飲んであそこもここもと地図を見ながら思いを巡ぐらし、JTBのパンフレットを集めよう。次のチャンスのために・・・。
古い道具やおもちゃ古本に目が無い。これらの店で1時間近く過ごす。ショウウインドウに入ったものは眺めるだけにする。一端手にすると買いたい衝動に駆られる。最近はこのことは決して悪いことでは無いと思っている。ほしくなる行為は正常な感覚で何もほしくなくなれば生きていることを放棄することになろう。物欲や食欲、美や異性に対する関心が薄れることは生きることへの停滞を意味しないかと思ってしまう。