Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

瑞龍寺僧堂(2020年3月7日参拝)

2020年09月18日 | 仏閣
【河津桜】










樫森神社から裏手にある瑞龍寺へ行く途中で見つけた河津桜。

早咲きの桜だけあって三月上旬でも結構咲いていました。
やっぱり桜は最高です。

桜を楽しんでから瑞龍寺に到着。

ここは臨済宗の修行道場であって、
観光寺院では無く拝観謝絶のお寺です。

仏様も拝めないが、雰囲気だけでも味わいたくて行ってみた。


所在地:岐阜県岐阜市寺町19
宗派;臨済宗妙心寺派
御本尊:薬師如来
創建:応仁2年(1468)
開基:斎藤妙椿


【縁起】
応仁2年(1468)美濃の国守斉藤利藤公(妙椿大居士)が、
主君・土岐成頼公菩提の為当時大徳と仰がれた悟渓宗頓禅師を迎え開いた。
 
古く飛鳥時代より中林寺、厚見寺などと称した天台宗の寺が在り、
その後廃寺となっていた由緒のあるところであった。

妙心寺四派中の東海派の祖、悟渓宗頓禅師は荒廃していた寺域を修し、
文明2年(1470)に七堂伽藍を完成した。

道場に於ては七百有余の雲衲(修行僧)を接得し、
遂に九人の法嗣(師の法を伝えてその法統を嗣ぐ弟子)を打出した。
 
明應9年(1500)開山悟渓国師が示寂して以来、
弟子達が一年毎に輪住し寺は守られた。

永禄10年(1567)織田信長が斎藤義龍の居城である岐阜城に侵攻、
斎藤家は家臣の裏切りなどで敗退し岐阜城は落城し、
瑞龍寺もその兵火により焼失しています。

その後、再興されましたが慶長5年(1600)の関が原の戦いでは、
岐阜城の城主織田秀信が西軍に与した為、東軍方の福島正則や池田輝政らに攻められて、
岐阜城は落城、この兵火で瑞龍寺は再び焼失し、
悟渓国師の弟子達が輪住し再度再建を果たしています。

江戸時代中期の延亨4年(1747)輪住制の廃止と共に瑞龍寺が衰退し、
数十年の間無住となったものの、
江戸時代後期の文化3年(1806)に隠山禅師が再興しています。
 
瑞龍寺は古くから橿森神社の別当寺院(神宮寺)として祭祀を司ってきましたが、
明治時代の神仏分離令により分離しています。

現在でも雲龍院、鶴棲院、臥雲院、天澤院、開善院、雲龍院の6つの塔頭を擁する大寺
禅師の宗風は大いに振興し、隠山下九哲と呼ばれる傑物が輩出され、
爾来百八十余年間その命脈が保たれている。


【総門】


かなり立派で豪壮な山門です。
素晴らしい。

車は山門をくぐり参道をまっすぐ進んで右側にあります。


【門】




こちらも立派な門です。


【虎穴塔】







【瑞雲院】


瑞龍寺には六つの塔頭が参道沿いにあります。

御朱印対応されていますが、
写経又は読経を納めた証としてお渡しをしているもので、
事前連絡要とのこと。
写経会開催日(奇数月の第2火曜・偶数月の第2土曜の13時~)がお勧めとのこと。


【天澤院】






塔頭寺院にしてはなかなか広い境内と立派な本堂でした。


【鶴棲院】


ここは完全に拝観謝絶でした。


【参道】



【山門】





【庫裏】



【鐘楼堂】


大きな駐車場の横に鐘楼堂がありました。


【塔頭】




この二つと写真を撮っていない一つの塔頭は、
どうせ近くに行ってもしょうがないという気持ちになって、
近づくこともしませんでした。(^^;

雲龍院は美濃新四国八十八ヶ所霊場の札所なので、
御朱印はいただけるようです。

これにて瑞龍寺の参拝終了。

ネットの情報によると毎年3月上旬のぎふ梅まつりで、
無料拝観しているそうです。

今日拝観していなくて残念。

また御朱印をいただいている人もいますが、
よくあんな入り難い状況と雰囲気を突破して、
御朱印をいただいたなぁ、と感心するとともに、
┐(´д`)┌ヤレヤレだぜ(ジョジョ風)という入り混じった感情が。(^^;


【味噌煮込みうどん】




今日の晩飯。
美味かったです。


【満月】


帰宅した頃には満月を眺めながら満足感にひたる。


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