河原宏「漂白する現代人・現代日本の心情と生活」を読んでいる。
敗戦後、日本の復興のエネルギーとなったものはなにか?河原は「怨念」だ、と言う。
「一人一人の日本人が自己の後ろに背負っているものはなにか。それはある種の怨念であろう。鎮められることのない怨念は、行動の一つのエネルギー源たりうる。このような行動は憑きであり、憑依である。こういってしまえば実もふたもないが、戦後経済成長も実は日本人が背後に背負う怨念にもとづく憑依の行動の成果だったのではないか。」12〜13頁
幕末の開国から太平洋戦争までの近代日本の歴史も、このような「怨念」に貫かれていると河原は言う。
「よかれ悪しかれ百数十年間、鎖国しながら太平の眠りをまどろんだ日本人が、心の底から開国を歓迎して受け入れたのではない。ましてやそれはペルリ艦隊の威圧の下に行われたのである。このことは、日本人の心の底に深い怨念をひそませることとなった。」14頁
筆者の幕末、明治時代のイメージは司馬遼󠄁太郎からもらい受けたものが多い。つまり、「明るい明治」。司馬史観、とも呼ばれるものだ。だが、河原の語る「怨念を背負っている明治」のほうが、なぜだかリアルに迫ってくる気がする。
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