執行草舟の本に、
- 新渡戸稲造は人格者
- 内村鑑三は狂気の人
って対比があった。
新渡戸稲造も札幌農学校時代とかは烈しい人でしたが、内村の狂気に比べると、聖人君子みたい。
人付き合いも美味かったのだろう、国際連盟事務次長なでなっているから。
その、「聖人君子的優等生」の新渡戸稲造は長じてお札になった。
でも、死後95年くらい経って、強い影響を残しているのは、圧倒的に「狂気」の内村鑑三。
お札になるという最高の栄誉を与えられ、栄達した新渡戸稲造。
でも、長く愛されるのは、エキセントリックな内村鑑三。
いい悪いではなく、「死後100年後に何を遺すか」という観点からは、面白い対比。札幌農学校同級生(2期生)は、いい題材を100年後の我々に提供してくれている。
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それと似ているのが、外務省入省同期の、広田弘毅と吉田茂。
トップ入省(首席)で外務次官になった広田は、外務省でほぼエリートコースを歩み、戦前に、首相にまで上り詰めた。
尖っていた吉田茂は、先輩に楯突いたりする世渡りの下手さがあって、中国勤務とかを経たりして、広田よりだいぶ出世が遅れた。
でも、その「戦前の明暗」は、戦後に真逆になった。
出世頭・広田弘毅は、文官唯一のA級戦犯となり、死刑。
ヤンチャな吉田茂は、戦後の名宰相として、歴史に刻まれる。
この広田と吉田の「出世デッドヒート」は、人間万事塞翁が馬・禍福は糾える縄の如しを地で行く好例。
100年後に、何がどう評価されるか、わからない。
されば我が道をゆくのみ。