偉くなくとも正しく生きよ。
そう言われる。俗世間で出世ばかり考えているケツの穴の小さい人間になるな。
「人として」何が正しいか、自分で考えよ。
そんな文脈。
さらに。
『組織不正はいつも正しい』。
「正しさ」は、歪み、暴走し、色褪せる。
カイシャの「正しさ」は、しばしば社会のそれと相反する。
例えば。
アメリカから見たら、原爆投下は、戦争を早期終結させて戦死者を減らすための「正しい」戦略だった。
アメリカ人の何割かは、今でも、「原爆投下は正しい」と思っている。
かように、「正しさ」は、いくらでも、理屈をつけることができる。いつまで経っても平行線。
そこで、正しさに代り、また、正しさを補う、「美しさ」の評価軸を持つと良い。「カッコ良さ」でもいい。
原爆投下は、長い目で見て、人として、人類として、「美しい」行為ではあるまい。
だから私は思う。
正しくなくとも美しく生きよ。
周りが「歪んだ正しさ」を信じているとき。
世間の「正しさ」が間違っているとき。
例えば、軍国主義。80年前はそれが「正しい」選択だった。
でも、今、軍国主義は、美しくない。
だから、思う。
常に正しくなくていいい。周りが間違っていれば、「正しく」ない選択を、忖度せず、堂々と取れ。嫌われる勇気を持て。
それが、美しさ。カッコ良さ。
まとめると:
偉くなくとも正しく生きよ。
正しくなくとも美しく生きよ。
これ、短冊に書いて、子どもたちに示しておこうかな。