釣り鉄のボヤキ

広く浅く時々深く。

2019/5/3 Wake Up,Girls!で石巻を巡る⑥(サン・ファン・バウディスタパーク→仙台市内→都内)

2019-05-06 00:52:29 | Wake Up, Girls!
前回の続きです。

サン・ファン館のある高台を降りてタクシー出来た道を戻りながら石巻線の渡波駅へ向かいます。



万石橋から万石浦を見た写真です。
どことなく内浦に似た雰囲気があって思わず撮ってしまいました。
ちょっとした船着場が沢山あっていかにも漁師町といった雰囲気。
そこら中にまったりと釣りを楽しむ人々がいて、南浜地区のような殺伐とした様子はありません。

しかし、この地区も勿論津波に襲われています。

この万石浦の先にあるのが女川町。
時間さえ合えば行くつもりだったのですがやはり時間がなくて旅程から泣く泣くカットしたのでした。

女川町の津波の話も、先に紹介したサイトに沢山載っています。



万石橋を渡った先の渡波駅から石巻線に乗り石巻、そこから仙台へと向かいます。


渡波駅16:40→石巻駅16:54→仙台駅17:49



仙石東北ラインが開通する前はこの石巻線で小牛田を回るか仙石線で仙台、もしくは路線バスといったルートだったと思われますが仙石東北ラインによってかなりスピードアップがなされている様です。
帰りの電車はかなり混んでいました。

仙台駅に着いてから帰りの新幹線までは約1時間と20分。
やってやらんことはないとバスで「餃子の天ぱり」へ。




仙台駅17:02→仙台市営バス→木町通り2丁目18:07

店内には女性の店員さんがおひとり。何となくかやたんを思い浮かべながらラーメンと餃子を頂きました。



餃子の写真を撮り忘れ、ラーメンを啜り始めたのは18:30を回った頃。新幹線に間に合うためには18:47に県庁前からバスに乗るのが絶対条件でした。




今回で一番わぐわぐしてたのはなんだかんだここでした。
餃子がめっちゃ美味しかったのですが味わう余裕もなく。今度はもっとゆっくり食べに来たいと思います。

さっと会計を済ませ県庁前のバス停へ。
しかし時間通りやってきた仙台駅行きのバスな何故か通過。
プンプン怒りながらタクシーを止めようとするも数台にシカトされようやく18:55頃に乗車、仙台駅へ戻ります。

県庁前18:55頃→タクシー→仙台駅19:03

北海道へ帰る友人とはここで別れ、1人で新幹線に乗車します。

GWの帰宅ラッシュ、大宮まで座れなかったのはまた別のお話………

仙台駅19:10→やまびこ54号→東京駅21:12



今回、変なタイミングでWUGにハマったことで訪れた仙台と石巻。

第2章を彼女たちが進み始めた後でWUGを知って、仙台のこと、石巻のこと、そこで何があったのかを知りたいと思う人が僕みたいにこの後1人でも出てくるのならば、彼女たちが活動していた「意味」があるのかなって思います。

間違いなく、過去と今そして未来を繋いでくれた彼女たち。
いろんな曲の節々に震災を感じるフレーズがありますが、現地に行ってみらば街明かりが消えた夜、頼れるものもなく不安を募らせていた人がいた事。残酷な海に背を向け、未だ向き合うことの出来ない人がいること。沢山の今があります。一度嫌でもリセットされてしまったものを第2章に進めようとしている人達がいます。

事実、我々に何が出来るってわけではありません。
かと言って、頑張れなんて簡単には言えません。

でも、現実を見て、何か思うところがあるならばそれで十分だと思います。

こんな言い方でいいのか分かりませんが、動機はなんでもいいと思います。でも事実からは目を背けてはいけない。直接の当事者でないからこそ、しっかり向き合えると思います。向き合うための材料は全て揃っています。
東北で、いろんなことを見て、聞いて、感じて欲しいです。



2019/5/3 Wake Up,Girls!で石巻を巡る⑤(南浜つなぐ館→サン・ファン・バウティスタパーク)

2019-05-06 00:22:21 | Wake Up, Girls!
前回の続きです。

南浜つなぐ館を後にして、何も無くなった街中を海側へと進みます。

震災後、新しく作り替えられた津波堤防沿いの県道256号線の日和大橋を渡ります。





日和大橋から見た南浜地区と門脇地区。

こうして見ると、如何に地震があったら高台へ避難するのが重要であるかが分かります。

次の目的地はサン・ファン館。
南浜地区からの経路を調べてみると、徒歩7kmと出てきました。

まぁ行けるっしょ!と友人と256号線を進みますが、早くも日和大橋を超えた辺りで二人とも心が折れてしまいます。

タクシーを捕まえよう、という話になりますが全く来る気配がないので配車を頼むことに。

タクシー会社に電話をかけたところで軽くトラブルが起こります。

「どこへ伺えば宜しいですか?」

と聞かれた僕。

土地勘皆無の僕でも分かりやすいように日和大橋を超えてすぐの信号機のあるそこそこ規模のある交差点で電話をしたのですが

なんと、信号機に交差点の名前が下がっていないのです。

周りにガスタンクがあったのと、Googleマップとかいう文明の利器によって事なきを得ましたがやってきたタクシーの運転手さんによると、

「信号機がみんな流されたから、元あった場所に新しく信号機を置いただけ。」

「交差点の名前になってた建物が流されてたり、地名も今後どうなるか分からないから交差点に名前は付けてないらしい。沿岸部はみんなそうだよ。」

石巻に限らず、東北の太平洋岸では少し注意した方が良さそうです。

道中、車窓からは復興住宅だったり昔学校があった場所なども運転手さんから教えてもらいました。

「あの時みんな流されちゃったから。それ以上でも以下でもないんだ」

復興住宅の姿はまさに現代のニュータウン。同じ形の建物が並んでいます。

そんな話をしながら万石浦の入口にかかる橋を渡り、サン・ファン館の敷地まで送り届けて貰いました。







入ってすぐの広場。奥野香耶さんがMVの中で歌っていた場所です。





サビの全員歌唱もこの場所。
ちょうど同じぐらいの時間だったのかな?




この下にはメインの船が展示されています。
青い看板のすぐ下、海面から8mの位置まで津波に襲われたそうです。

帰りの石巻線の列車の時間が迫っており博物館の中に入ることは出来ませんでしたが、WUGちゃんのMVの中を実際に巡るだけでも我々に与えてくれる何か大切なものは沢山ありました。

続きます。