あいちトリエンナーレでの政治的作品の数々が脅迫電話によって撤去される事になった。京都アニメみたいにガソリンをばらまいてやるに、びびってしまったようだ。脅しに簡単に降伏してしまうとは、情けない。政治的作品を展示する以上、抗議、妨害、脅迫は想定の範囲ではないのか。会場に数万人のデモ隊が押し掛け、投石するなら恐怖を感じるだろうが、相手は電話やメールだ。表現の自由、民主主義を守るために、なんで戦わないのか。警察に警備を強化してもらうように頼むとか、戦う方法はいくらでもあるだろう。撤去に反対する人々も、会場に来て抗議すればいいのだ。ネット右翼とかの右寄りの連中の常套手段なのだ。顔や名前を出さないで、電話、メールで脅迫する。主催者側は、毅然としていなければならないのだ。世の中には、多くの政治的価値観、哲学、思想が存在している。今、日本では戦前回帰の右寄りの思想が復活してきてる。その政治的流れの中で、今回の事件は起きたのだ。日韓関係も最悪、慰安婦を象徴している少女像の展示は、右寄りの連中にとっては許しがたい暴挙に映ったのだろう。脅しに簡単に屈服してしまう事を許してしまうなら、日本では政治的アート展はできなくなるだろう。個人のギャラリーでも、混乱を恐れて政治的作品の展示をしなくなるだろう。これでは民主主義は死ぬ。日本では、民主主義、表現の自由を守れなくなる。アートの世界では多様の表現があっていいのだ。日本の表現の自由は見せかけの自由だ。アーティストは公権力の顔色をうかがって作品を作らなければならなくなる。日本は独裁国家になり始めてる。安部による、安部のための政治が当然のように行われてる。アート作品まで安部の気にいらない作品は、展示されなくなってしまう。国民は怒らなければいけない。バラエティー番組見てゲラゲラ笑ってる場合ではない。自由を守るために、熱い闘争が行われなければならないのだ。