今年も日本テレビの24時間テレビが放送された。私は、伊東あさこが走る場面を見た。感動なんか全然しない。いつも感じるのは、なんでマラソンなのだ。苦しいのを乗り越えてゴールするから感動的なのか。オリンピックのマラソンに比べれば、感動は薄い。作り物、虚構の演出だからだ。長年の苦しい練習を乗り越えて、時には差別や戦争を乗り越えて金メダルを得たのとは感動が全然違う。最近、24時間テレビを感動ポルノと悪口を言う人がいる。気持ちはわかる。この番組は、障がい者や福祉関係者から評判よくない。それでも20年もの長きに渡って放送されてきた。障がい者を善人にしたてあげる手法はくさい。すべての障がい者はいい人なのか。障がい者だって、性欲はあるし、人の悪口もいう。日本の障がい者を囲む雰囲気は、昔に比べれば良くなってるが、さほどかわらないのではないか。むしろひどくなってるのではないか。相模原での19人もの障がい者が殺された。日本は人権後進国だ。24時間テレビはバラエティー番組なのだ。障がい者や福祉問題を政治的、社会的に問う番組ではない。多くの人気芸能人を出演させて、盛り上げるのだ。日本テレビの夏のお祭りなのだ。障がい者には不可能はないとか、障がい者を善人に仕立て上げるくさい演出は、やめればいいのだ。人気芸能人を集めて歌って踊って楽しくやればいいのだ。障がい者だって、同情や哀れみを求めてるわけではない。全体の流れの中に障がい者がいる、そんな雰囲気がいい。一日だけ日頃、恵まれない障がい者をスターにする手法は、時代遅れだ。多くの国民もまたかと、マンネリ気味だ。国民の求める世界も変化している。昭和の雰囲気そのものみたいな番組は、終わりに近づいてるようだ。要するに、気に入らなければ見なければいいのだ。