東京は最高にいい天気です。あるニュースに私は、天気のようにいい気分です。世界中、人権に関してのニュースは、暗いものばかりですから。先日、台湾で同性婚が合法化されました。アジアでは初めてです。世界ではすでに30か国ぐらいが合法化されています。台湾は、元々同性愛に寛容な国ですが、きちんと法で同性婚が認められた事は、画期的です。アジアは日本も含めて同性愛には不寛容な国が多いです。特に、イスラム教では、同性愛は絶対的にだめです。同性愛が発覚したら、死刑になる国があるぐらいですから。日本では、同性愛者に対して戦前はひどい扱いをしましたが、2019年の今はかなり良くなってるようです。しかし、まだまだ、差別的扱いをされる事も多いようです。部屋を貸してくれないとか、職場でいじめられるとか、男性同性愛者がエイズを疑われるとか、同性愛者の人権が守られてない感じです。日本でも、渋谷区のように一部の自治体が同性愛者の婚姻届を認めています。安部政権では、同性婚の合法化なんてほとんど無理でしょう。自民党議員達による「LGBTは生産性がない」等の発言は非常に差別的であり、日本の政治家の人権感覚を疑わせます。自民党政治家の国家主義的な考え方は、結婚を人間を増やすためにするような感覚なのでしょうか。日本は、今、人口減少の波を受け人間がいなくなったら、日本は滅んでしまうとでも思ってるのでしょうか。戦前の産めよ、増やせよのスローガンから全然進歩してない。産むか産まないかは、国が強制できない。個人の勝手なのです。同性愛では子供ができないから、同性婚は認められないという単純な論理のようです。人間は自然界ではかなり異端な存在です。自然界では雄と雌が結ばれて子供を作るのが自然の摂理ですが、人間は、自然の摂理からかなりずれてる。自然界にも性転換する生物がいます。オスとメスの境界は、厳密ではない。人間的愛し方があっていいのです。男同士だろうと女同士だろうと、愛しあう事は大切です。愛がないよりは断然いいのです。愛はすべてを浄化する。愛こそすべてだ。人間界、乱れに乱れてるが、愛があるからなんとか人間界がもってるのだ。日本だけでなく、世界中で人権が脅かされてる。同性愛者の人権が守られるように切に願います。日本でも同性婚の合法化が行われるように祈ります。同性愛者の人権が守られように、供に戦いましょう。愛こそすべてだ。愛は人間にとって絶対的に必要な感情だ。
東京はいい天気だ。今日も朝から芸能人、ほれた、はれた、浮気した、麻薬使った、食い物、詐欺、いじめ、虐待、いつも同じメニューだ。日本は平和過ぎて緊張感がなさすぎる。世界は、緊張の日々が続いてる。イランとアメリカが戦争を始めるかもしれない。インドネシアでは大統領選を巡って暴動だ。ヨーロッパでは極右が勢いを増してる。移民を排斥、外国人や異質な存在を排除しようとしている。EUの統合理念が揺らいでる。アメリカは中国と貿易戦争だ。お互い、譲る気はない。ベネゼエラでも、インドでも中東でも政治的緊張が続いてる。日本は、平和が続いてるように見えるが、日本も多くの問題を抱えてるのだ。日本人は問題を感じる力が弱いのだ。若者が幼稚でちゃらくて保守的だ。政治的暴動を起こしてまで、社会を変えようとする若者はいない。最近は中年まで幼稚化してきた。日本は地理的にも島国、日本人の心も閉鎖的でガラパゴス的だ。インターネットで世界とつながってるとかいうけど、日本は世界の流れから遅れ始めてる。日本独特の進化をしている。日本の常識、世界では非常識な事も多い。日本すごいの自画自賛ナショナリズムは、日本人の心をくすぐるが、日本の悪口を言う人間を許さいという閉鎖的、田舎的な世界観なのだ。世界の骨太のナショナリズムとは、かなり違う。今、世界でナショナリズムが高まってるが、今の日本のナショナリズムは、世界レベルのナショナリズムとも方向性が違うし、パワーも不足している。安部がナショナリズムをあおってるが、安部にはカリスマ性が欠ける。トランプやヒットラーのようなカリスマ性に欠ける。安部がもっと強いカリスマ性があれば、日本もEUみたいに極右の世界観に染まるだろう。大衆心理とは、女性的なのだ。女性は強い者に惹かれる。守られたい心理が常に働いてる。日本では政治指導者より、芸能人にひかれるようだ。芸能という虚構の存在に惹かれてる内は、政治は盛り上がらない。日本の政治家は横並び意識が強い。自分を主張すると、たたかれるのを恐れる。日本人全体に言える事だ。出る杭は叩かれるのだ。政治の舞台でも政治家は人の顔色をいつもうかがってる。先輩であり、同僚の顔色は気になるのだ。忖度気質は日本人政治家をただのぼんくらにしてしまう。今の日本の社会状況では、英雄は出てこない。シーザーも、坂本竜馬も、ナポレオンも出てこない。安部が総理大臣の座にいる事自体、日本の政治的ゆがみであり、虚構性なのだ。安部の支持率は50%ぐらいあるのだ。外国の厳しい政治環境なら、安部のような男は、権力者にはなれないであろう。安部を権力者に押し上げた今の日本人の心も虚構なのだ。心ばかりでなく、日本ではすべてが虚構だ。多くの日本人は虚構の自覚もないし、虚構の演出に酔ってる面すらある。オリンピックや、新天皇の即位の政府の演出に多くの日本人は踊らされてる。オリンピックや新天皇の即位が、日本人の生活を劇的に変えるのか。何も変わらない。日本を幸福にするわけではない。日本は閉塞と虚構のくそ溜まりで腐るだけだ。日本を変えるのは、日本人ではなく戦争や自然災害による大破壊であろう。がれきと餓えの中で目覚める。
東京はいい天気だ。昨日の大雨がうそのように晴れてる。渇水が続いてた日本列島に恵の雨になったようだ。日本人の心は慢性的に渇水だ。自然は、程よい水を大地に供給してくれたが、日本人の心は慢性的に満たされてない。年がら年中渇水だ。もやもやしてる。不安も強い。何かを求めても何も得られないのだ。依存したいのだが、依存したい対象が見つからないのだ。酒だ、薬物だの悪性の依存にしか対象を見つけられないのだ。作られた虚構世界に踊らされてる。歩いてるのではない、歩かされてるのだ。食べてるのではない、食わされてるのだ。日本ほど虚構の網の目が張り巡らされた国はない。日本のすべてが虚構だ。政治、文化、経済、特に政治は虚構そのもだ。安部という虚構の政治家が虚構の政治を行ってる。天皇の退位、新天皇の即位についての政府主導の演出など、まさに虚構の演出だ。内外に日本は天皇を中心に動いてる印象を与えてる。安部が目指す世界観とは、戦前のファシズム体制だ。民主主義とは、対極にある。こんな虚構の演出に多くの国民は、疑問を持たないようだ。安部を神のようにあがめ、まつりたてる日本人すらいる。慢性的にもやもやした日本人にとって、安部が頼りになる灯台に見えるのかもしれない。その明かりは虚構の明かりだ。その明かりを信じてついて行ったら、死んでしまう。安部は日本人を、日本を幸福にしない。だまされてはいけない。
元日本維新の会の丸山議員に対しての辞任要求が野党側から出されてる。日本社会も多くの人が辞任に賛成だ。集団バッシングの様相になってきた。本人が言うように言論の自由はあるし、やり過ぎは良くない。維新の議員がロシア大使館に謝罪に行くのは、間違ってる。そこまでする必要はない。外交上の事でいちいち謝罪するなんていう事になったら、政治議論が出来なくなる。民主主義が機能しなくなる。長年、韓国が求めてる従軍慰安婦問題や徴用工問題に対しての謝罪要求には、日本の政治家は無視だ。丸山議員の発言に自民党はけん責処分で済ます方針だ。発言には注意してください位で、いいのではないか。安部政権には、まったく賛同出来ないが、政治家の自由な議論を封じてはいけない。時には失言、暴言になる事もあるが、政治が活性化すれば少しぐらいは許されるだろう。トランプは毎日暴言を吐いてる。日本は神経質になり過ぎてる。丸山議員の戦争発言だって、1940年頃の軍国主義の日本なら、正義になっていただろう。喝采を浴びただろう。何を失言、暴言するかは時代によって変わってくる。丸山議員をかばっているように思われるかもしれないが、私だって戦争には反対だ。戦争によって領土を奪い返すなんていうのは、良くない。多くの人間が死に、町ががれきと化す。後1週間もすれば、騒ぎもおさまる。どちらかと言えば、丸山議員のほうが勝ちだ。知名度があがった。この騒ぎが起きるまでは、丸山議員の名前も顔も知られてなかった。
二日ばかり書かなかった。お休みだ。書くには資料を読まなければならないし、疲れるのだ。私個人の事はどうでもいい。深刻な問題を報告しなければならない。今日もテレビは、朝から食い物番組を放送する。日本のテレビは食い物だ、町散歩、バラエティー番組だと、葛藤のない番組を多く放送するが、日本社会には葛藤と苦しみが満ちあふれてる。最近、NHKも権力に迎合するようなチャラい番組を放送する事が多くなった。久しぶりに骨のある番組を見た。昨夜、NHKがいじめに立ち向かう探偵の活動を描いた番組を放送した。まだ40代の探偵が今まで扱ったいじめ相談件数は6000件との事。すごい数に驚きだ。日本にはいじめが蔓延している。いじめ案件に関しては料金をもらわないそうだ。そこに見るのは彼の正義の戦いだ。いじめに苦しんでる子供を救いたい思いがそうさせるのだ。今、どれだけの中高生がいじめ被害に苦しんでるのか、今までどれだけの中高生が自殺したのか。報道されるいじめ自殺は氷山の一角だ。報道されないいじめ自殺のほうが多いのではないか。日本の学校、教育員会はいじめ、いじめ自殺が起きても、責任を負わない。家庭内の問題とか、ストレスで自殺したとかで片付けようとする。自己保身のために責任を負わないのだ。行政の隠蔽体質がいじめをひどくする。行政はなぜ、いじめを隠蔽するのか、何を守ろうとするのか。子供の人権を最優先に守らなければならないであろう。こんないい加減な体質では、いじめられてる子供の人権、命は守られない。だから、いじめ、いじめ自殺が多発するのだ。日本は総じて人権意識が低い。だから多くの人権被害が起きるのだ。いじめだけでなく日本には多くの人権侵害が存在している。性犯罪、強制不妊、ヘイトスピーチ、LGBT差別、ブラック労働、幼児虐待、えん罪、薬害、公害、障がい者差別、、アイヌ、技能実習生に対しての扱いなど、あげたらきりがないほどだ。日本は人権侵害だらけの国なのだ。日本はいい国なのか。明日は我が身だ。他人事ではないのだ。あなたやあなたの子供がいじめなどの人権被害を受けるかもしれない。人権は民主主義の重要な構成要素だ。日本には1945年まで人権など存在しなかったのだ。戦後、制定された憲法では、人権に関しては大幅に保証されるようになった。当たり前の事なのだ。人権のない国に、人権という人間の命、人格を保証する概念、法が導入されたのだ。新憲法制定以後でも多くの人権侵害が発生してきた。いじめなど最たるものだ。なぜ、特定の人間を攻撃するのか。いじめをする人間も、いろいろと問題を抱えてるのかもしれない。家庭内で厳しいしつけを受けてるてるとか、人が苦しむのを喜ぶような人格障害とかいろいろあるのだろうが、人を自殺まで追い込むのは良くない。子供間では解決するのは、難しい。大人が介入しなければならない。学校や教育委員会は、責任逃れの隠蔽体質を改めて、積極的に介入しなければならない。今、この瞬間にも、電車に飛び込もうとする子供がいるかもしれないのだ。あなたの子供だったらどうするのだ。こんな不条理が許されていいのか。深刻ないじめを受けてる子供は、命を守るために学校に行かなけれいいのだ。中学、高校で過ごす時間など、人生の小さい時間だ。いじめを防げない学校、教育委員会、行政は猛省しなければならない。誰のための行政なのだ。自己保身のための行政ではないはずだ。苦しんでる市民を守らなければいけない。当たり前の感覚がわからないのか。いじめで苦しんでる子供たちよ!死ぬな!生きる事のほうが、はるかに価値があるのだ。いじめをしているくそ野郎は、いじめをやめろ!自殺されたら、生涯後悔するぞ。