今日もしっかり雨の名古屋地方です。
これで春がすこしづつ、くるんでしょうか
東海道新幹線が14日で20周年を迎えます。
新聞で 「のぞみ20年」 という連載記事が始まりました。
一回目は「一番列車、名古屋飛ばし」です。
私もよくは知らなったのですが、
1992年 3月14日7時14分、、新時代の幕開け! 東京―新大阪2時間30分
一日4本の「のぞみ」・・・その始発は名古屋にとまらなかったんです。
64年の東海道新幹線開業以来初めての通過駅となった。
東海地方では屈辱の「名古屋飛ばし」として記憶に刻まれたと・・・
そう言えば騒いでいたそんな記憶がある・・
今でもそれはこの地方の人々にとって、
海部さんが首相になったことより大きなニュースとして
ランキングされているという。
。
なぜ止まらなかったか?
始発は「東京を朝出て大阪の始業に間に合う」が売り!
1駅停車すると5分のロス。
朝に名古屋から大阪に向かう客は少なくJR東海は問題なしと判断した。、同じ時間帯の「ひかり」もあり
地元の心情は読めなかった
地元の各界から不快感の表明が相次いだ!
当時の公明党の委員長と民社党元委員長が超党派で結束、撤回を図った。
いいですか!谷垣さん、
愛知でこの二つの党が絶対に強かったのは
こいう庶民の意見の代表だったからですよ
私は、「ひかり」にのればいいのに「なぜ?」と思った一人なんですが。
当時バブルのまっ盛り!!
マイケルジャクソンやマドンナ大物が来日
でも、集客施設の乏しい名古屋の公演は飛ばされた
東京、大阪あるいは福岡で公演されたんです。
美術館のおおきな展覧会もなかった!
むか~しむかーし、「ミロのビーナス」も京都まで両親は見に行きました!
名古屋では会場がないと理由で、それは以後も、良くききました。
覚えています。
88年のオリンピックでソウルに敗れ、
堅実なモノづくり気質から、バブルの熱狂に乗り遅れ,
都市競争にも乗れなかった名古屋に。
この新幹線の飛ばしはショックだったらしい。
当時の愛知県知事は
[JR東海が名古屋にとめさせてください』といってくるような地域に
発展させる心中で誓った」と
語っている・・
保線技術の進歩で、5年後にのぞみが止まり
四万人を収容する名古屋ドームが完成!
05年に、万博が開催決定、中部国際空港が予算化されたんですね。
「元気な名古屋」といわれるようになっていくんですって。
今ある、すばらしい県・市立美術館、芸術劇場など。市民に文化的憩いの場はこういうことが背景だったんですね。
そう言えばこのころかな
こんな歌が名古屋は広い道路以外何もない街、「白い街」と歌われたんです。
この歌のように、のんびりとした、こんな田舎でした。
よんでくださってありがとう。
白い街 歌 石原裕次郎