私はニューヨークに行って「蝶々夫人」のオペラを見る前と後で
この映画に対する見方は180度違ったものになったといっても過言ではありません!
この「オーストラリア」ごらんになった方の批評も、そういう私を代弁するようです。
すなわち製作者の意図が若干理解されていないのでは、、と思うのです。
オペラ「蝶々夫人」は当時の日本を知らない人が憧れで書きました。今日の私たちが見ると噴飯物の演出があります。
そういう点で、この「オーストラリア」という大仰なタイトルの映画を見た感想です。
作品だけを見ると大味で日本の戦争侵略が後味悪く残るのです。
この映画はオーストラリアをより深く理解してもらいたい。子どもに伝えたいオーストラリアを描きたいという思いをこめ、オーストラリア人のスタッフとキャストで作り上げられた映画なのです。
アポリジニーアート・プロデューサーの内田真弓さんがアポリジニとオーストラリアについて以下のように語っています。
「オーストラリアにははるか太古から5万年とも6万年ともいわれる長い間、人類最古のライフスタイルである、狩猟生活をしながら、広大な大陸を自由自在に移動してきた先住民アポリジニの人々がいる。
白人の入植当時まで、人々は農耕をせず、家畜を飼わず、野生の物だけで、つまり大地から得られる糧だけで何万年もの間オーストラリア大陸と共生して来た。
道路標識一つない過酷だとしか思えない環境の中でも、
アポリジニの人々は、世界でもっとも水の乏しいオーストラリアの砂漠を「命あふれる豊穣な大地だ」
と誇らしげに教えてくれる。砂漠で水のありかを確実に見つけられるということは自分たちがココでどれだけ生き延びられるかということにつながる知恵だ。
土地をくまなく熟知し、神話世界をリアルに生きるアポリジニの人にとってオーストラリア大陸は文字どうり豊かな大地なのだろう。」
と内田氏は西洋文明のへなちょこさをオーストラリアという大陸で実感したという。
映画でもニコールキッドマンがイギリス貴族夫人として現れることがその代表です。
もう気の強いぴったりな役。生きるバービー人形です。この人もオーストラリア人だったのですね。
イギリスで西洋文明の権化みたい。美しい!
オーストラリアにすべての西洋文化の物を持ってやってくる!
紆余曲折があり。この綺麗なシーン!ココから「風とともに去りぬ」のシーンを髣髴させるのですが。バックの木はバオバブの木です。
オーストラリアという大地で育てられるニコル演ずるサラ!
そして砂漠の横断をアポリジニのキングジョージの助け!(たぶん!)をかりて西洋文明を脱ぎ捨ててオーストラリア人として生きていく。
戦争が起こり、わが子同様に心通わせていたナラを「盗まれて」捜し求めるサラの変貌を見れば
彼女が身につけたものが何であるか想像がつきます。
そして第2次世界大戦の勃発!この戦争史実はフィクションだけれど、余りリアルではいけない過去でなイからここの時代設定にした。
今でもオーストラリアの北部や内陸地方ははるかに遠くの地です。
ココは人々の心にミステリアスや興奮、ロマンスを掻き立てることのできる最後の場所です。
1930年代戦争が近づきつつある緊迫した舞台がぴったりだった。
というバズ・ラーマン監督の説明で納得できます。
アポリジニーと白人との混血は、クリーミーと呼ばれ当時、アポリジニーの母親は馬鹿なので子育てができない。保護して教育しなければいけないという法律があった。
その時隔離された人々を「盗まれた世代」というのだが。公式に政府が「盗まれた世代」を謝罪したのはなんと2008年!
白人がアポリジニに対する偏見と畏敬を持っていた。
この映画でも過去の政策過ちを生み出した場面をよく表しているのが、
アポリジニのクリーミーの子のナラの親代わりになったサラが、
ナラの「ウオークアバウト」とという自然の中で大人になるアポリジニーの修行に出るのを妨げるシーンである。
最後にはサラも出発を認めるエンディングである。おじいさんのキング・ジョージとともに旅にでる。
このシーンを見ながら「オーストラリア」の大地への思いをこの映画から汲み取って欲しいというメッセージを受け取れた気がしました。
この映画に対する見方は180度違ったものになったといっても過言ではありません!
この「オーストラリア」ごらんになった方の批評も、そういう私を代弁するようです。
すなわち製作者の意図が若干理解されていないのでは、、と思うのです。
オペラ「蝶々夫人」は当時の日本を知らない人が憧れで書きました。今日の私たちが見ると噴飯物の演出があります。
そういう点で、この「オーストラリア」という大仰なタイトルの映画を見た感想です。
作品だけを見ると大味で日本の戦争侵略が後味悪く残るのです。
この映画はオーストラリアをより深く理解してもらいたい。子どもに伝えたいオーストラリアを描きたいという思いをこめ、オーストラリア人のスタッフとキャストで作り上げられた映画なのです。
アポリジニーアート・プロデューサーの内田真弓さんがアポリジニとオーストラリアについて以下のように語っています。
「オーストラリアにははるか太古から5万年とも6万年ともいわれる長い間、人類最古のライフスタイルである、狩猟生活をしながら、広大な大陸を自由自在に移動してきた先住民アポリジニの人々がいる。
白人の入植当時まで、人々は農耕をせず、家畜を飼わず、野生の物だけで、つまり大地から得られる糧だけで何万年もの間オーストラリア大陸と共生して来た。
道路標識一つない過酷だとしか思えない環境の中でも、
アポリジニの人々は、世界でもっとも水の乏しいオーストラリアの砂漠を「命あふれる豊穣な大地だ」
と誇らしげに教えてくれる。砂漠で水のありかを確実に見つけられるということは自分たちがココでどれだけ生き延びられるかということにつながる知恵だ。
土地をくまなく熟知し、神話世界をリアルに生きるアポリジニの人にとってオーストラリア大陸は文字どうり豊かな大地なのだろう。」
と内田氏は西洋文明のへなちょこさをオーストラリアという大陸で実感したという。
映画でもニコールキッドマンがイギリス貴族夫人として現れることがその代表です。
もう気の強いぴったりな役。生きるバービー人形です。この人もオーストラリア人だったのですね。
イギリスで西洋文明の権化みたい。美しい!
オーストラリアにすべての西洋文化の物を持ってやってくる!
紆余曲折があり。この綺麗なシーン!ココから「風とともに去りぬ」のシーンを髣髴させるのですが。バックの木はバオバブの木です。
オーストラリアという大地で育てられるニコル演ずるサラ!
そして砂漠の横断をアポリジニのキングジョージの助け!(たぶん!)をかりて西洋文明を脱ぎ捨ててオーストラリア人として生きていく。
戦争が起こり、わが子同様に心通わせていたナラを「盗まれて」捜し求めるサラの変貌を見れば
彼女が身につけたものが何であるか想像がつきます。
そして第2次世界大戦の勃発!この戦争史実はフィクションだけれど、余りリアルではいけない過去でなイからここの時代設定にした。
今でもオーストラリアの北部や内陸地方ははるかに遠くの地です。
ココは人々の心にミステリアスや興奮、ロマンスを掻き立てることのできる最後の場所です。
1930年代戦争が近づきつつある緊迫した舞台がぴったりだった。
というバズ・ラーマン監督の説明で納得できます。
アポリジニーと白人との混血は、クリーミーと呼ばれ当時、アポリジニーの母親は馬鹿なので子育てができない。保護して教育しなければいけないという法律があった。
その時隔離された人々を「盗まれた世代」というのだが。公式に政府が「盗まれた世代」を謝罪したのはなんと2008年!
白人がアポリジニに対する偏見と畏敬を持っていた。
この映画でも過去の政策過ちを生み出した場面をよく表しているのが、
アポリジニのクリーミーの子のナラの親代わりになったサラが、
ナラの「ウオークアバウト」とという自然の中で大人になるアポリジニーの修行に出るのを妨げるシーンである。
最後にはサラも出発を認めるエンディングである。おじいさんのキング・ジョージとともに旅にでる。
このシーンを見ながら「オーストラリア」の大地への思いをこの映画から汲み取って欲しいというメッセージを受け取れた気がしました。