落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

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2009年04月26日 | book
『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』 F・スコット・フィッツジェラルド著 永山篤一訳
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デヴィッド・フィンチャー監督、ブラッド・ピット主演で映画化された『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』の原作を含む短編集。表題作を含めファンタジーやミステリーなど娯楽色の強い未訳作ばかり計7作品を所収。

ぐりがフィッツジェラルドを読み始めたのは高校生くらいのころだったかな?最初に読んだのはたぶん『グレート・ギャツビー』で、その後も続けて『ラスト・タイクーン』や『夜はやさし』、『雨の朝パリに死す』『マイ・ロスト・シティー』など、手近に邦訳で読めるものはひととおり読んだ。
フィッツジェラルドは派手な放蕩のためにいつも莫大な借金を抱えて生活に追われ、大衆雑誌が払う原稿料目当てにほいほいと短編を書き散らしてもいて、そういう短編の中には文学的評価のあまり高くない作品もままあるという。それらの多くは日本ではこれまで熱心に紹介される機会がなかったらしい。
今回の短編集に紹介された7本はその手のいわゆる“B級”フィッツジェラルド作品ばかりである。大しておいしくはないけど珍味、みたいな。

だから読んでてなんとゆーか、ちょっとせつない「残念」感は常につきまとう。
作品全体には魅力的なフィッツジェラルド特有の華麗な空気は感じられるんだけど、どれももうひとつまとまりに欠けるというか、イマイチ印象的じゃない。フィッツジェラルドの熱狂的なファンならこれでも読んで楽しいんだろうけど、そうでもなければ「・・・だから?」「・・・それで?」的な困惑が後に残ってしまうだけである。
ただそれだけに強烈な個性はくっきりと輝いていて、表題の『〜バトン』は映画とはまったく別のストーリーながら(「老人として生まれて年齢とともに若返る」という設定以外は完全に別もの)、現代社会が人に求めるイメージの虚しさを暗喩し続けるという語り口のトーンなどは、さすが巨匠フィッツジェラルドと唸らされる巧みさで表現されている。
逆に『最後の美女』『ダンス・パーティの惨劇』『異邦人』の3本は、他の短編にもよく登場するモチーフを扱っているだけに不完全さが目立つようで歯痒い。

もうひとつ残念だったのは、翻訳がイマイチだったこと。
なんちゅーか思想がない?ビジョンがない?ただ英文を日本語に移替えてるだけ?みたいな訳なんだよね。リズムとか世界観とかカラーとか質感とか、そーゆー感覚的なものがほとんど再現されてない気がする。文章そのものもえっらいぎくしゃくしてて、日本語として既におかしい。『ダンス・パーティの惨劇』なんかムチャクチャ。なんだこれは。
こーゆー翻訳読むと原著で元の文章を確かめたくなる。もしかして翻訳のせいでおもろないんか?とか疑っちゃったりもして(なんぼかはそーなのであろー)。
つかそのまえにあたしの英語力の問題が。おおうっ・・・。

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