落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

Without hope, life's not worth living.

2009年05月13日 | movie
『ミルク』

アメリカで初めてゲイを公表して公職に就いた政治家ハーヴェイ・ミルクの伝記映画。2008年度アカデミー賞主演男優賞・脚本賞受賞作。
1972年、ニューヨークで保険会社に勤務していたハーヴィー(ショーン・ペン)は年下の恋人スコット(ジェームズ・フランコ)とサンフランシスコに居を移してカストロ地区でカメラ店を開業した。彼の店はやがて周辺に住む若いゲイたちのサロンとなり、ハーヴィーは彼らの代弁者として政治活動を開始。73年・75年の落選を経て、77年、ついにサンフランシスコ市議に当選するのだが・・・。

ハーヴェイ・ミルクのことは名前くらいしか知らなかったんですがー。でも全然知らなくても楽しめる映画でした。
確かに映画は彼が政治活動を始めてからの時期─いわば晩年─に絞って描かれていて、それまでの前半生はばっさりと省略されている。そして多分にドキュメンタリータッチで表現されている。
映画は、彼が生前、暗殺を予測して「暗殺されたときにのみ再生すべし」として遺言を録音するシーンから始まる。このテープは実在していて、これまでにさまざまな記録映像にも登場している著名な録音だというが、物語はこのテープと同時進行で、ミルク自身がカミングアウトしてからの後半生を回顧するという形で展開する。
ぐりはこのテープの現物を聞いたわけではないので、映画の内容がどの程度このテープに沿っているのかはよくわからない。それでも、死んだ人間が自分で自分の軌跡を回想するというタイプの伝記映画は、これまで観た中ではちょっと記憶にない。それだけ、彼自身が自らの政治活動を「背水の陣」と捉えていたということなのだろうか。

ハーヴェイは政治家だから、当然政治活動が物語の中心になる。だが映画そのものから受ける印象はさほど政治的ではない。
なぜなら、ハーヴェイが求めたのは「政治」でも「権力」でもなかったからだ。少なくともこの映画ではそうだ。
彼はただ、人間が人間らしく生きられる社会を求めていた。彼は同性愛者だった。同性愛者の友だちもたくさんいた。だから自然と、彼は同性愛者の人権のために戦うことになった。彼はひとりでも多くの同性愛者に幸せになってほしかった。誰にも迫害されたりしてほしくなかった。自殺なんかしてほしくなかった。彼らはハーヴェイの個人的な友であり、仲間であり、家族だった。友や仲間や家族の幸せを望まない人間はいない。その感情は、人としてごく当り前の気持ちでしかなかった。彼はそれを、なによりも大切にしたかったし、誰にもそう感じてほしかっただけなのだ。
映画には、そうした友や仲間や家族─パートナー─が無数に登場する。彼らの間に流れるあたたかい友情や愛情や絆は、セクシュアリティをこえて、観る者誰もの心に迫る。彼らがベッドで誰と寝ていようと関係ない。それは彼らの問題であって、他の誰の問題でもないのだ。

彼が暗殺された時代から、セクシュアル・マイノリティの置かれた社会環境は多少は変化しただろうか。変化はあったかもしれない。でも進歩というほどの変化ではない。
どうしてこの世の中から差別はなくならないのだろう。それが愚かな人間の性だからなのだろうか。そのことを思うたび、悲しくなる。涙がとまらなくなるくらい悲しい。
もっと悲しいのは、差別を悲しまない人もいるという事実の方だけれど。

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