じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

お彼岸だから、ねっ!!!

2016-03-20 20:51:37 | 日記的雑談
今日はお彼岸・・・って言うか、春分の日。
で、日本全国お墓参りの日になっている感じなんですが、私しゃ訳あって彼岸中の墓参りはしません。
でも、せっかく高いお金を払って奇抜な墓石を立てたんでたまには見に行きますけれども、先祖の供養とか、そんな気持ちで立てたモノでは無いのです。
ナント申しましょうか、割りと早くに父を亡くしたんですが、我が家は出稼ぎのまま居着いてしまった移民族なんで本当の墓は少し遠くにあった訳です。
それだと母ちゃんも墓参りに行くのとか面倒だろうし、いずれは以前の本籍地とも縁が薄く遠くなり墓の守も大変だからと言う事で私の一存と多大なる出費で我が家の近くに移しちまった訳です。
まっ、そんな経緯なんですが、そうこうしているうちに母ちゃんがバテレンの宗教にハマっちまいまして、洋式に転向しちまった訳です。
そんな事も手伝ってか、殆ど墓参りにも行かず、そして、昨年、西洋の宗教に気触れたまま逝ってしまったのでありました。

余談ですが、放って置いても何となく私は仏教徒、と思い込んでいる日本人が多いんですが、バテレンの宗教はもの凄い努力で勧誘して歩いてますので・・・いや、エボバに限らず街の隅っこの小さな教会とかでも様々な啓蒙と勧誘はやってますよ。
なので私の母ちゃんのように学も無く確固たる信念も薄かったナンチャって仏教の徒は熱心なお誘いに乗って改宗しちまうんですね・・・いや、元々仏教の基盤なんてなにも無いんですから、なんか心地良い話しを得々と吹き込まれ、信心すればあなたの逝くのは天国じゃぁ~、とかやられたら、取り敢えず高いお布施も無用のようだし、一丁信心しちまいますか? と、なると思うんですよね。
私しゃ何度か浄土信仰をぶっつけてみたんですけれども、何分にも宗教の勧誘とかはシロートなんで結局はバテレンに負けた感じであります。
それと母ちゃんと話しをしていて感じたのは、仏教を値踏みする時に「現世利益」を考えていると思う節が有った訳です。
簡単に宣いますと、仏様に手を合わせて生きて来たけれどもあんまし良い人生じゃなかったなぁ~・・・と、言う厭世観みたいなものが底にあって、その隙間を何かしら耳障りの良い宗教話で埋めてもらえるとななって、バテレンの宗教と言うよりは、相手に気持ちを持って行かれちまうと思う訳です。
まっ、この方法は仏教の皮を被ったオオカミとも言える新興宗教でも言えるんですけれども。
そんな訳でバテレンの葬式をあげてしまった我が母ちゃんには戒名が無いのであります。

更なる余談で恐縮ですが・・・自分の家の墓場は仙台市が開発して売り出した巨大な墓地でありまして、宗派の如何を問わず誰でもOKなんであります。
で、色んな墓石が有って面白いので墓参りの時には墓石見学を趣味にしている訳です。
しかし、希に、もの凄い自己主張と言いますか自己顕示欲と言いますか、これは生前に自分用に準備してあるんだろうなぁ~、と言う大迫力の墓石などに出会す訳です。
そんなのを見ますと、権力の象徴として墓の存在は今も同じか? なんて微笑ましく見る訳です。
その他にも、明らかにバテレンの宗教の方であるな、と言うのも少なく無いんですが、ドーなんだろうか? 仏式の墓に囲まれての居心地は気にならないのかな? と、思う訳です。
いや、この手の宗教と思しき雰囲気の墓石も何処となくそれらしくは装っていますが、決してキッパリと外国のように十字架は立てていないのであります・・・ここら辺に日本人の心と言いますか、死して尚調和は乱さず、みたいな物を感じたりする訳です。

さて、とても長い前置きを振っちまいました・・・話題は彼岸であります。
東洋に仏教国多しと言えどもお彼岸の習慣があるのは日本だけであります。
そもそも、日本的大乗では、仏教と言えば葬式であり、個人の弔いが主たる目的になっちまっていますが、小乗でも大乗でも、仏教と言うのは仏様の教えに従い暮らすと言うのが趣旨であります。
と、言う事で、彼岸を仏教的に語ると言うのは出来ない訳でして、言っちゃぁナニですが、河童の話しや天狗様の話しと同列になっちまう訳です。
と、言う事で、仏教的には彼岸なんてのはそんなモノです。

しかし、誤解されるとアレなんで宣っておきますが、墓参りを否定している訳ではありません。
日本式仏教行事として取り込まれる以前からの儀式として春分の日を祭る行事は有った訳でして、それとともに先祖信仰の祀りも為されていたのでありますから、墓参りはとても良い事だと思っております。
いや、この事はそっくりお盆とも重なる話しでありまして、日本以外の国の仏教とは随分違うと否定しても詮無き事・・・日本じゃ仏教はこう変化したんだから仕方が無いじゃないか、と言うのも否定はしません。

でも・・・でもが付く訳です、がぁ~・・・。
ご先祖に心から感謝し、お祀りしたい心の現れとして墓が欲しければ立てれば良いし、戒名が有った方が良いと思えば付ければ良い訳です。
そもそも戒名は仏様の弟子になると言うことで本来は生前に僧籍にある人が貰うもんであったそうで、生前に仏弟子になると決めていた方なら話しは簡単なんですが、中々生前に意思表示って・・・ドナーのアレじゃないんで無いでしょ?
で、ナント申しましょうか・・・貴方様は御神籤を引いて中身を信用しなくても、読み終わった御神籤をゴミ箱に捨てられますか?
なんか嫌な感じがしてそんな事は出来ませんよね・・・木の枝なんかに結んできますよね。
そんな感じで自分の気持ちが落ち着くんなら戒名も有って良いと思うんです。
今ならインターネットで探すと本物の坊さんに格安で付けてもらえますから、それで良いんじゃないんですかねぇ?

私は自分の母親の戒名を無理矢理考えて墓石に刻んじまおうと企んでいます。
いや、そうしないと母ちゃんは戒名貰ってお浄土で遊んでいる父ちゃんに会えないんじゃないか? なんて思う・・・いや、ここまでの説明が無駄になりますんで止めましょう。



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古い靴

2016-03-20 16:39:57 | 日記的雑談



10年履いて草臥れ果てたトレッキングシューズ。
表皮が割れて防水が効かず底も減り過ぎて凸凹が無い。
高価な物では無く量販店のオリジナルの安物だ。
剥がれた底を接着剤でくっつけては履いてきた。
靴ひもは何度取り替えたのか。
つま先とかかとを覆うゴムも接着剤で固めてある。

山で履き潰してからはバイクブーツになった。
クランクケースの熱で左の内側が焦げている。
こんなボロボロになっても流石にトレッキングブーツだ。
形が崩れずに整っている。

捨てようとしたがどうにも忍びない。
田圃道の散歩に履いて行こうか?
いや、そんな事をしたらトドメを刺すばかりだ。

下駄箱にお前の居場所は無いんだよなぁ・・・。
でも、捨てられない。
まだ今日は捨てられない。



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お彼岸ですが・・・

2016-03-20 15:59:38 | 日記的雑談
お彼岸だそうですけど、墓参りは行きましたか? 私しゃ少しずらして行く事にしてますんで、来週ですかね?

本日は我が家地方の三桁国道がいつに無く混雑してましてとある交差点では大渋滞でありました。
いや、普段は信号待ち一回で通過の交差点で信号待ちを三回もする程度して・・・まっ、都会の交差点じゃ当たり前でしょうけれども、この辺りで渋滞と言うと、牛が逃げて国道を走っているとか、先頭に年寄りが乗る耕耘機が走っているとかしか無いんで珍しい事な訳です。
アレです・・・三桁国道の先には超巨大墓地がある訳でしてそこへ行く人達の車だと思います。
いや、我が家の墓地もそこなんで、こんな日に突撃したらあまりの人の多さに気が狂っちまうと思うんで来週あたりに行こうかと思う次第であります。


白地に赤く ああ美しい 日本の旗よ


神武天皇の所縁はナニですけど 大國神社です


美しい ただの縄が描く線なんですけどね


赤い紐で結ばれた下駄 謂れはナンなんでしょうか


大量の水子地蔵 水子の弔いは仏式じゃないんですね

いや、ぜんぶ先週のお写真であります。
先週、裏の神社に赤梅を撮りに行った時の残り物でありまして、賞味期限的には終わっているものであります。

本日、ドー言う訳かキーボードを叩く気になれず、脳味噌空っぽ状態な訳です。
いや、インプットはあるんですぜ・・・しかし、ナンだか毎日似たような事ばかり宣っている自分に辟易していると言いますか、くだらネェなぁ~と、呆れちまって意気消沈・・・なにっ? 無理して書くな、ですとぉ~・・・読まされる方の身にもなってみろと・・・お説御尤も。

時々思うんですよねぇ・・・この無駄にしている時間をもっと創造的と言うか、金になる方向と言いますか、ナンであれ実になる方向へ向けたら、人類と世界の平和に貢献できるんだがなぁ、なんてね。
まっ、私が世のため人の為なんて事を思う事は死ぬまで無い訳でして、やるとしたら金になる事・・・=労働、ですけどね。

なんか気持ちが決まった気がするな・・・よしっ、取り敢えず、明日考えよう、と。



コメント (2)
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