ツーリングのルート
8月27日 火曜日 曇り
旅立ちの日
午後3時半までは普通にバイトをし帰宅して着替え、午後4時半頃仙台港フェリーターミナルへ向い午後5時10分到着。
太平洋フェリー仙台港19時20分出港 「いしかり」16000トンにバイク・S寝台・朝晩2食付きに25800円で乗船。
仙台港は名古屋や苫小牧よりだいぶ小さい
仙台港は名古屋と苫小牧の中継点で乗降客は両港に比べると多くなく規模は少し小さい。
その中で一番見劣りするのがお土産の売店と飲食店だった。
S寝台 テレビ(ほとんど映らない)・コンセント付き
この前太平洋フェリーに乗ったのは3〜4年前に名古屋へ行った時だったけれど、あの時でも質が落ちたと感じた夕食がまた半歩後退していた・・・あくまで個人の感想ですが。
金の掛からない部屋としては安い順に2等(大部屋雑魚寝)B寝台(二段ベット)S寝台(中で立てる高さ)となる。
若い頃は2等の雑魚寝が苦にならなかったがジジイになるとせめて顔を隠して寝たいと思うようになりBかS寝台になったが、料金的には3〜4000円の違いがある。
8月28日 水曜日 曇り
日高 襟裳岬 広尾町
「いしかり」は定刻11時に接岸しバイクは15分後には走り出していた。
天気は曇り空に軽く薄水色の空が混じり雨の気配はない。
北海道も大きな都市間には高速道路が伸びたが日高方面や襟裳岬方向は無縁だった。
もっとも高速があっても使う気は全く無く、平均速度の高さで十分補えるのが北海道の国道なのだ。
ちなみにGoogleマップで高速使用と無しでルートを引いてみると1500キロ走って1時間の違いしかなかった。
苫小牧を出て国道235号を走り鵡川町(むかわまち)で昼飯時となって道の駅に入った。
鵡川町はホッキ貝を売りにしていたがどっこい宮城県も負けずにホッキ貝の産地なのでそれは食わず軽く牛丼を食った・・・だって高いんだもん!!!
森真一の声が聞こえたのは空耳だったか?
襟裳岬にバイクで来たのは4度目になる。
50年前ごろDR250Sで来て、その後はC110スーパーカブで2度、今回のMT-07で4度目になった。
しかし襟裳岬は5度目であって55年前にヒッチハイクと徒歩で野宿をしながら辿り着いたのだった。
何故か解らないが今回ほど感慨のないのは初めてだった。
襟裳岬から先は「黄金道路」と呼ばれていたが長いトンネルが掘られ海沿いを走ることはなくなり昔の風情は見られなくなった。
午後3時過ぎ襟裳岬を発って今夜の宿がある広尾町へ向かったが、ここから先は気温が17度と低く夏用ジャケットの下に防風ジャケットを着込んだ。
16時30分頃広尾町の宿に到着。
海の見えるツインの部屋で朝晩2食付き、ビール代込みで諭吉一枚でお釣りが来た。ここの晩飯は酒のつまみがゾロリと揃って絶品だった。
8月29日 木曜日 霧雨でスタート
どうしても行きたい「納沙布岬」
今回のツーリングでは一番距離を稼ぐ日なのだが納沙布岬に回らなければ知床の羅臼まで2〜3時間短縮できる。
しかし、前回、前々回とも端折ったので今回はどうしても踏んでおきたかった。
霧雨の中合羽を着て出発するも霧雨は朝だけで曇り空も幾分か明るくなった。
北海道を走っていると本州では感じない地域特有の匂いに出くわす。
苫小牧から日高地方を走って襟裳までの道では競走馬の牧場が多く風の中に感じるのは馬糞の匂いだったが釧路を過ぎて根室に向かうと微かだが昆布の匂いがする。
そして、網走に向かって斜里町辺りの牧場風景では牛糞の香りが高く、オホーツク沿岸の猿払村ではホタテを茹でる良い香りがした。
昼飯には少し早かったが「道の駅スワン44ねむろ」の洒落た建物が目に入り休息にした。
花咲蟹の釜飯2500円・・・昼飯にはちと高すぎるが本場花咲の蟹釜飯となれば冥土の土産にと自分に言い訳をして食った。
序でに、釜飯があまり美味かったので家の者にも食わせたくなり売店で売っていた冷凍の花咲蟹を買い宅配したが、蟹も高いけど運賃って高いのね。
返せ!! 北方領土 の看板が目立つ岬だった
濃い霧の中たどり着いた納沙布岬は襟裳や知床や宗谷岬よりずっと寂しい、いたたまれ無い雰囲気の風景だった。
それは北方領土返還を叫ぶ政治的看板と関連施設醸し出す空気が重かったからか?
納沙布岬から今夜の宿の羅臼町までは180キロで3時間はかかる。
雨が本降りになったのも手伝って早々に立ち去った。
途中で雨が止み合羽は乾いて午後5時過ぎ、羅臼のビジネスホテルに入った。
床に布団を敷き風呂は無くシャワーだけの宿だが2食付き7500円と格安なので文句は無いがビール中瓶700円は高く無いかぃ?
羅臼の宿の前が港で雰囲気が良かったのでセイコーマートで缶ビールと煎餅を買ってウミネコを相手に晩酌をしたのは愉快だった。
明日に続く
次回、サロベツ原野編を楽しみにしています。
kusakabe-dcさんは国鉄自体の路線に乗っておられ、もっと田舎だった北海道に詳しいのでしょうね?
私はジジイになってから過去の道を辿りたくなって困ります。