じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

ウンが 無かった

2022-01-20 17:03:00 | 日記的雑談
令和四年一月二十日 御来光

いや、天気はそこそこ良かったんですが、今日はウンが無かった。

いやいや、トイレ関係のウンでは無く、Unlucky っていう感じの、漢字で書くと「運」であります。

まっ、気持ちの問題と言えばそーなんですが、午後3時までのバイトが4時半まで伸びたって話であります。

あれです、今日は筋トレ日と決めていて、心身ともにそのつもりで整えていたわけであります。
しかしバイトの交代要員が時刻になっても現れず、なんだかんだやっていたら午後4時半になったって事でして、やる気満々だった心の張りが緩んじまったのであります。

いや、4時半からやればイイじゃん、ってのはダメでして、5時くらいから混みだして思い通りにマシーンが使えないのであります。

まぁ、明日やれるんだから気にする事でも無いとも言えますが、まっ、いいでしょう。

あれです、我がバイト先の利用者のアレコレが集計されていたのを覗き見してビックリであります。
なんと、利用者の年齢分布は60代と70代で総利用者の83パーセントを占めていたから吃驚であります。

まっ、この数字は少し歪んでいるってのは自分の勘で分かるんですが、その理由の一端は若い人はアンケートに反応しないので少ないわけであります。

反面、無職になって暇で毎日ご来場の面々は喜んで記入してくれるって事でありまして、多少偏った結果になっていると思うのであります。

あれです、今の70才代はそこそこの年金を貰えているので遊んでいられそうですが、最近60才代になったって人達だと勤め方によっては年金も厳しいわけでして、そーなるとスポーツ施設で暇つぶし、なんて暮らしでは無くなると思うんであります。

ましてやその下の世代となったら何おかいわんやでして、そう遠く無い将来この手の施設は立ち行かなくなるのか? なんて思うんですが、自分はあと3年半で任期満了なので、まっ、いいでしょう。

ところで、これからの話は私の独り言と言いますか、戯言なんですが・・・バイト先の男性スタッフで一番の若手がダウンしちまったわけです。
いや、そのあおりで自分の休日が減ったり勤務時間が伸びたりってのは気持ち的には嫌ですが1時の事として吞み込める話であります。

しかし、彼の不調は今月2度目でありまして、1回目は三、四日で、今回はどーも一週間での復帰は難しそうって事なのであります。
が、言いたいのはそんな事では無く、不調が始まる数日前に2回目のVakzinをナニしているってのが自分は気になるんであります。

いや、それまでの約三年間の勤務でこんな事は無かったし、年齢的にも無理したって潰れるような歳では無いと自分は思うわけです。

うーん、なんの根拠も無く私の勘なんですが、これはアレ、枠珍のアレじゃ無いかと思うんですが、まっ、冗談ですけど、なんちゃって。

おおっと、お風呂が沸きましたので、んじゃ。





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今夜も元気に罵詈雑言

2022-01-19 19:54:41 | 日記的雑談
令和四年一月十九日 朝陽

いや、昨日はブログが面倒になったと宣ったこともすっかり忘れ、今夜は元気に罵詈雑言であります。

あれです、人間過去に捕らわれてはいけませんぜ!!!
昨日? そんな昔のことは忘れた!!!
明日? そんな先のことは分からない!!!
今?  それしか無いでしょ!!! なんちゃって。

あれです、アマゾンを止めて楽天ブックスに変えたんですが本なんて物は値段も決まっているし中身も同じなのでポイントが多い方がお得ってことであります。

いや、配送も頑張ってまして遜色無く届きましたのでなんの不満も無い、でありまして、届いたのは・・・

筑摩書房 税込1210円 著者 小坂井敏晶 「格差という虚構」って本であります。

で、本を開いてまず感じたことは、字が小せぇ!!! 
遠近両用メガネでは辛い、でありました。

いや、中身はまだ読んでいませんのでそっちのアレはまた後日であります。
で、私ゃ本を手にしても読む時間が無い時は後書きを読むのでありますが、勝手な推測でいうと、後書きには筆者の言いたいことが凝縮されているんじゃないか、と思った次第であります。
なんたって後書きは12ページもある上に中身も決して軽くは無いのであります。
あれです、私に言わせれば完結の章でして、しかもまだ書き足りないのか?って勢いも感じるのでありますが、まっ、いいでしょう。

いや、今夜から少しずつ読むわけですが文字が小さいのでとても疲れそうであります。

と、いうことで罵詈雑言へ。

まっ、どーだっていいじゃねえかそんな事は、と思うんですが、それでは話が終わっちまうので一くさり語ります。

今から50〜60年前、停電は日常茶飯事でありました。
雨が降っちゃぁ停電だし、雪が降っても停電はありました。
そして、風が吹いても停電で、滞納しても帯電でありましたが、それは個人の事情ですけど。

そーだ、切れた電線から火花が飛ぶのを見た時は美しいなぁ〜と感動してましたが電線屋のおっさんに、危ないから近寄るんじゃねぇ、と怒鳴られましたっけ。

と、まぁ、日本の電力が安定したのってそんなに大昔でも無いわけでありまして、仮に停電が頻繁になったらそれなりに暮らすんじゃ無いんですかね?

序でに石油系燃料の高騰なんてのが起きたらまた山では炭焼きが復活とか、たぶん工夫して生き延びるんでありますぜ。

いやいや、当然文化的生活度は後退するし工業生産もナニでありましょうが、どーせ行き詰まった現代の資本主義に疲弊している先進国の民ですから少し後退して頭を冷やすってのは良いことと思います、なんちゃって。

過剰包装ねぇ・・・始まりは売り手じゃ無いかな?
生産者じゃ無くて売り手・・・小売業の人たちから始まったと思いますぜ。

その昔、野菜は八百屋で肉は肉やで魚は魚屋で買っていた時代、過剰包装なんてなかったし、客もそんな面倒な事は望んでいなかった。

序でに言うと近所の商店街で日々の買い物が済んでいた時代は買い物かごを持参なのでポリ袋も要らなかった。

んじゃぁいつからこの手の包装になったかと言うと、食料品をスーパーで買うようになったからで間違いないわけです。

あれです、その昔は豆腐は鍋を持って買いに行くものでしたが、仮に鍋を持ってスーパーに買い物に行ったら変人ですよね。

で、こんな言い方をするとフェミが怒ると思いますが、中身がアレなんで化粧で誤魔化す女性と一緒で売りたい側は商品の見栄えを良くし続けてきたわけです。

で、生産者は面食らいながらも流通業者の要望を聞き入れ続けた結果、自分で自分の首を締めた、と私ゃ思うんですが・・・はい、そこのあなたの異議は認めません。

もちろん、消費者はカイワレ大根の作り方の違いなど知るはずがありません。しかし消費者は、見た目も美しい野菜を選択して購入するという消費行動を通して、知らず知らずのうちに農家の作物への眼差しを受容し、野菜という商品に対する審美眼を形成してきました。平たく言えば、我々日本人はこのような価値観をいわば文化にまで昇華させてきたわけです。

で、この記事の筆者の視点も「今」だけでして、包装に限らず、姿形の揃いを含めここまで過剰になった根本原因が大手量販店の「売らんかな」精神であったことに触れないのは残念であります。

で、消費者はそー言うもんだと慣らされたし、昭和末期や平成の生まれだとスーパーで買うのが当たり前ですから・・・あっ、この記事の筆者はそー言う世代なのかも? と、閃きましたが、まっ、いいでしょう。

で、これは野菜に限った事では無く、今時の生活の要求全般が過剰だと思うんであります。

なんでも便利で快適で清潔で美味しくて、って要求が当たり前の上に、最悪なのが「より安く」でありましょう。

これから貧乏が当たり前になって一般国民の生活水準は下がるんですから、必要なのは我慢とか耐えるって事ですぜ、と思いますが話がずれちまいましたかね? まっ、いいでしょう。

おぉっと、尻切れ感が否めませんが時間切れであります。

明日は早番のバイトですし、雪が降ったらもっと早く行って雪かきなのでさっさと寝ます。

では、皆様と自分の明日がそこそこ良い日でありますように願いまして、おやすみなさい、と。





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今日もスキーだ!!!

2022-01-19 17:19:55 | 日記的雑談
いや、休みといえばスキーでして、まっ、冬場は特に他にすることも無いってのもありますが、まずなんであれスキーに行って来たわけであります。

釜房湖畔 融雪剤で道路は凍結無し

釜房個と南蔵王

蔵王山麓 雪道ハイウェー

スキー場間近 ハィウェー終点

帰り道 夕暮れの釜房湖

今朝は仙台市内の道が凍結して坂道で登れない車などが出てかなりの渋滞でありました。

なので仙台市内を抜けるのにいつもの倍の時間を要し到着時刻を気にしないことにし、のんびり行きました。

しかし、川崎町・蔵王町・白石市と雪の多い地域に行けば行くほど走りやすくなり、やっぱし積雪ってのは慣れだな、と思うのであります。

あれです、雪道ハィウェーと書きましたが嘘では無く、多少の誇張はナニですが、このくらいの圧雪路だと普通に走って止まれるのであります。

いやいや、極端な急ブレーキはアレですが普通にブレーキを踏んでもABSが作動することなく止まるんですぜ・・・これ、ホントです!!!

さて、スキーなんですが、午前中は天気が良く昨日の新雪が所々残って面白いゲレンデでありました。

それにしても、なんぼ練習しても上手くならない自分に苛々するんですけれども、もはやこの歳になると上達より老いる速度の方が優っている感じなんですが、まっ、いいでしょう。

おおっと、お風呂が沸きましたので、んじゃ。


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残り時間は45分

2022-01-18 12:46:47 | 日記的雑談
いや、午後からのバイトなんですが注文してある本は未だ届かず暇なもんですから、もーブログは止めようかと言った舌の根も乾かぬうちに元気に復活であります。

あれです、昼飯にお雑煮を食べたんですが・・・いや、残り物の餅とかじゃ無いんですぜ。
正月用に買ったものはとっくに食べきったんで再度買ったものであります。

まっ、それくらい餅が好きってことなんですが、昼飯なので控えめに5個しか食いませんでした。

いや、4個が雑煮で1個はきな粉餅にしてもらいました。

で、思うんですが、美味しいものを食べると幸せになると言いますか、ふこうな考えは霧消しますね。

と、言うことで、皆様も気分が落ち込んだり憂鬱になったら雑煮を食ってみてください、なんちゃって。

これ、この記事が意味するところは日本的大会社のマヌケぶりって事でよろしいと思うんですが如何でありましょうか?

この前はシャープでしょ、そして東芝のテレビも資本が変わったら立ち直っちまうんですから如何にシャープや東芝の上の方が無能か、と思いますが、まっ、いいでしょう。

あれです、YouTubeの動画や記事なんてのは嘘ばっかし、と言われると反論はできないんですが、私のように信者になると日本国の動きってのは世界費用順からはかけ離れていることが良くある、と思います。

日本よりはるかに感染拡大が酷い国でもコロナとの共存策が普通でして、まん防のような愚策は講じていない模様であります。

まっ、コロナ病の国民から嫌われるんで支持率対策として無意味を承知でやるのかと思いますが、その度に膨らむ助成金が後ほど増税って形で一般国民から回収されるのは明白なんですが、まっ、いいでしょう。

これね、もう30年も前に日本でも話が出てましたね。
あの時は「ひじき」でしたが、山に砂防ダムがたくさん作られ、鉄分が流れてこなくなって海藻から鉄分がなくなった、と。
なので鉄分補給にひじきや海藻類ってのは栄養としてあてにできなくなったってことでありましたが、まっ、いいでしょう。

おお、令和の大飢饉ですかね?
と、なると、村には女衒がやって来て娘を買っていくんですぜ。

いや、マジで言うと、あの年は日本でタイ米が流通したわけですが、あとで出た話では無駄だった、なんちゃって。

なんと申しましようか、日照時間が減ったら太陽光発電とかどーなるんですかね?

石炭火力を忌み嫌ってるばあじゃ無くなると思うんですが、まっ、いいでしょう。

おおっと、ではバイトに行く時刻ですので、んじゃ。
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また 面倒臭くなってきた

2022-01-18 10:22:02 | 日記的雑談
面倒臭くなると言うのは、言い換えると「嫌なにる」とほぼ同義なんだけれども、その感覚は突然湧き出すもので、理由や原因は不明であります。

自分にはガキの頃からこの気はあって「心の不定愁訴」と名付け長い付き合いをしているわけであります。

いや、心の不定愁訴を言いましたがこれが始まると身体的にも不調なのですが、それもやっぱし生き死にを感じるほどのものでは無く、生ぬるいものであります。

今日は朝から雪ですが、そんなわけで雪景色を撮るのも面倒くさいし、と放ってあります。

あれです、他からの圧力で避けられない事などは、心の中にあーやりたくねぇ、と山盛りの嫌気がありつつも片付けるから社会生活に破綻をきたさないと思うと、まぁ、真性では無いな、なんちゃって。

そんなわけで、今朝はバイト先の用事でホムセンに行きM-6×100ミリのボルトを買い求めてきました。

あれです、雪かき道具のシャフトのピンがダメになったのを直してくれって事なんですが、材料を買いに行くのに往復一時間をご奉仕って、この会社はなにを考えているんだか、と軽く憤る・・・こんな小さな引っ掛かりの塊が不定愁訴を生むのかも知れませんけど、よくわかりません。

で、自分は200円足らずの領収書を貰いにサービスカウンターに行くなんて煩わしく時間が勿体無い、と軽く損しますが、まっ、いいでしょう。

さて、近頃面倒臭くなったのはブログであります。
毎日自分の行動記録的なものを記すのは未だ良しとしても、ヤフーのニュースをディスってバカを晒すってのはどーなんだ、と常々思っているのであります。

それで少しは考えて嫌韓・嫌中はほぼヤメたんですが、不思議なものであのネタを取り扱わないと書くことに困るわけです。
いや、それを思うと自分は反日記事と中韓に依存していたのかと今更ながらに驚き、自己嫌悪・・・なんちゃって。

まっ、そー言いながら嫌韓と嫌中も偶には出すわけですが、こんな拘りも自分以外にはどーだっていいじゃねぇか、って事なんですけどね。

その昔、心の問題と言いますか、そー言うものに興味を持ち、本屋に行っては読めそうなものを主に買いあさり・・・いや、読めそうなもの以外はチンプンカンプンと言いますか、手に負えない感じで、実際に買ってはみたけれども読破できずってのは幾つかあったわけです。

カントの三批判書なんてのは難くて呑み込めませんでしたし、フロイトも舐めてみましたが文字としては読めるけれども本質的には意味不明でありました。

あれです、文章としては読めても心に響かなかったのは哲学的な本に求めていたのが「薬効」だったからでありましょう。

要するに求めたのは「救い」だったので学問的な本ではダメだったのでありましょう。

だからか、一時期大きく傾倒したのが親鸞でして、寝ても覚めても親鸞と歎異抄を読んでいました、が今は違います。

いや、親鸞や仏教がどーのこーのでは無く、救いを求める時期をやり過ごしたのでお別れしたって感じであります。

なんと申しましょうか、洋の東西を問わず様々な教えに頼り若かりし頃の憂いをなんとか誤魔化しこの歳に至り、やっと心が独り立ちしたってことですかね?

あれです、要するに死んだらお終いってことに行き着いたわけであります。
死ぬってのは誠に都合が良いものでして、すべての苦楽はそこまででありまして、すべての答えはそこにある、わけです。

いや、生きるべきか死ぬべきか、なんて話は此の期に及んで出してはダメです。
そんなことはどーだって良いわけで、どっちに価値があるなんてのが娑婆の妄想なんですから。

あれ・・・似たようなことを誰かが語っていたな。
ああ、そーだ、たぶんお釈迦様かも知れない、なんちゃって。

いや、不定愁訴からの逃れ方、一時しのぎですが確立してあるんです。
それは、風呂に浸かって湯上りに一杯やる・・・。

うーん、脈絡が無く纏まりませんでしたが、昼飯なので、んじゃ。


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