百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

ねんきん波止場

2011年12月29日 | 百伝。
昨日の師走二十八日、一泊二日の短い時間・・百島へ帰省しました。

本日の午前中、百島を発ち、夕方には福井に到着です。

雪国から瀬戸内海に行くと、異国から異国(例えば北欧のスカンジナビアから南欧の地中海へ)への旅情よりも、遙かに別世界の環境地域に行って帰ってきたような感覚になりました。

瀬戸内海の陽射しは、強く、眩しく・・春のような陽気さで迎えてくれました。

陽射しが明るいぶん目立つのでしょう・・百島に帰省するたびに「髪の毛が薄くなった。無くなった」と身内の方々に言われます。

ともあれ、昨日は、母の誕生日でした。

叔父の菊おっさんの御霊前にも、お供えを持参することも出来ました。

小生が、小学校3年生まで生まれ育った泊の中小路です。



小生は、この中小路のいちばん奥にある家で生まれました。

この狭い道に入ります。



左手の家は、青野のさっちゃんが暮していました。

右手の家は、良ちゃん、ヒデ君が暮して、子供の頃、夏休みは、この家の庭でラジオ体操をしていました。

もっと、奥に入ります。



左手の家は、同級生のタカが暮していました。

右手の家は、つかちゃん、せっちゃんが暮していました。

さらに、奥に入ります。



この石壁の家には、すえちゃん、ちずちゃんが暮らしていました。

どちらかの息子さんなのでしょう。

彼のブログで、この家を事を「脇道の轍 - “日本家屋の解体 in 百島”」というタイトルで詳しく紹介しています。

昔、この家に暮していた生活風景を知る者にとっては、寂しいものです。

さらに奥に入ると、井戸があります。



小生が幼い頃、この井戸から釣瓶で水を汲んで運んだものです。

まだ、水道も冷蔵庫もない時代でした。



中小路の前から見た泊港です。

埋め立てする前の昔は、樹のある所から海でした。

潮が満ちたときの夏の時季には、そこから海に飛び込んで泳いだものです。

船を降りて、陸に上がった頃の菊おっさんが、言ったものです。

「ここは、年金受給者ばかりが集まって来て、ねんきん波止場になってしもうたぁ」

その「ねんきん」も消えて、「ただ」の波止場になってゆくような気がします。

こんな寂寥な気分を、希望の轍に変えたいものです。

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