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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

人間なんて、ラララ。

2022年07月22日 | 萬伝。

施設に暮らす95歳の独居高齢者さん、吉田拓郎さんのファンクラブに入っていて、元気な頃は、日本中のライヴコンサートを追っかけしていたとの事。

今でも日々、居室内で吉田拓郎さん歌を聴いています。

年内で芸能活動引退を表明した吉田拓郎さん、昨夜、久しぶりにテレビでお見かけしました。

痩せたなぁ・・終活かなぁ、吉田拓郎さん。

8年程昔、NHK で吉田拓郎さんと沢田研二(ジュリー)さんの対談番組以来かな?

あの時は、歳をとって太ったジュリーに歳月劣化を感じながらも、吉田拓郎さんは若いなぁと印象でしたが、あの頃から癌との闘病生活の日々が続いていたんだ。

吉田拓郎さんのデビュー当時は、東京カレッジフォーク、関西フォークが全盛の時代。

高校生だった頃、吉田拓郎という男が、広島フォーク村から突然全国に飛び出して来た感がありました。

中学生の頃は、戦争を知らない子供たち、あの素晴らしい愛をもう一度等々、関西フォークの北山修さん、杉田二郎さん等々、メッセージ性の強い大阪の深夜ラジオを夢中になって聴いたものでした。 

因みに、吉田拓郎さん、北山修さんの、杉田二郎さん、加藤和彦さん、ビートたけしさん、西郷輝彦さん(鹿児島の同じ小学校1年生まで)は、同級生となるらしい。

🎵僕の髪が肩まで伸びたら結婚しようよ・・高校生になって聴いた吉田拓郎さんの声。

当時、僕の親父は、こんな喧しい歌はどこがいいのか?と訝っていました。

吉田拓郎さん、ライヴコンサートでは、いつも「人間なんて、ラララ~🎵 広島ヘ帰ろう❗」と歌って叫んでいたと聞いたことがあるけど、今度、訊いてみましょう。

地元愛の強かった吉田拓郎さん・・確か、西城秀樹君はねぇ、と呼んでいたなぁ。

歌って踊る広島弁を駆使するPerfume パーフュムの面々。

浜田省吾、世良公則、奥田民生、吉川晃司等々を擁する広島県出身のアーティストたちの面々。

その中でも、矢沢永吉さんは、「拓郎、陽水」を超えたいと考えていたとの事。

演歌、GS、フォーク、ロック、ニューミュージック、J ポップス、Jロック。

この変遷は、多分、多分ね・・大乗仏教から小乗仏教ヘの移り変わり、海外の異教の導入かのような時代の境目だったかもしれません。

人間、皆、アイドル(偶像)になりたいのでしょう。

吉田拓郎さん作曲の歌。

作詞者は、岡本おさみ氏 (1942―2015)、鳥取県米子出身。

🎵旅の宿

🎵襟裳岬。襟裳の春は 何もない春です。

🎵落陽。苫小牧発、仙台行きのフェリー、サイコロ2つ。

個人的に思い出す好きな歌は、大作の「アジアの片隅で」、ネーネーズの「黄金の花」、猫の「地下鉄に乗って」、岸田智の「君の朝」、森山良子の「歌ってよ、夕陽の歌を」。

他にも、岡本おさみ氏の作詞作品は、沢山あります。



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