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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

社会の問題

2015年03月02日 | 千伝。
今日は、春の運動会プログラムに載せる地域内の「広告掲載」の協力をお願いに行かないとなりません。

町内会の営業活動のようなものです。

ところで、川崎の中学一年生の悲しい事件が、大きく報道されています。

もう30年ほど昔、少し取材仕事で携わった東京中野区の中学校での「葬式ごっこ」で自殺した中学生のいじめ事件を思い起こしています。

あの頃と今は、少年同士の付き合い方も変化もありますが、根本的なことは何も変わっていません。

個対集団という構図が浮かぶのです。

子供の頃のいじめは、百島でも沢山ありました。

高校に進学しても、「いじめ」はありました。

大学生になっても、社会に出ても「いじめ」はありました。

終の棲家となる「老人ホーム」の老人同士でも「いじめ」はあります。

ただ、悲劇的な結末を避けるためには、集団の中の個が孤立しないということです。

少年期の「いじめ」とか、誰かに殴られたとか、そのあとが大事です。

・・誰かが助けてくれる。

・・誰かが寄り添ってくれる。

・・誰かが味方になってくれる。

そんな期待感よりも、そのまえに、自分が誰かを助けるという強い気持ちが持てるかどうかに尽きます。

それによって、人生が大きく変わります。

場合によっては、目には目を!、歯には歯を!

それとも・・個人の自己責任なのでしょうか?

今回は、「いじめ」を通り越した大きな社会問題となるような少年犯罪です。

昨日(三月一日)付け、中日新聞のコラム「中日春秋」・・いいね!

少年の頃を思い出しました。

下記に抜粋させていただきます。


「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「

少年の世界は「暴力」が支配している。過言ではない。大人の男は程度の差はあれ、経験しているはずなのだが、忘れてしまう。たぶん、記憶にとどめたくない経験なのだろう。忘れたがっている。自分はそんなことはなかったという方もいるか。それは運が良かっただけなのだ

▼川崎市の中学一年生の上村遼太君が殺された。上村君が付き合いをやめたがっていたグループの少年三人が逮捕された。事実解明を待たねばならないが、首を刺された揚げ句、寒空に衣服を脱がされ放置されたという新聞記事の文字が目に、胸に突き刺さる

▼現場となった河川敷。被害者とは縁もゆかりもない方も足を運んでいる。大人として救えなかったことが申し訳なく、苦しいのであろう

▼暴力があふれる少年期に、運の悪い子は餌食にされ、孤独な戦いを強いられる。誰にも相談できない。報復も怖い。勇気とは自分で解決することと勘違いもする。親や友人も心配させたくない。優しい子ほど、黙り込んでしまう

▼少年期の野蛮な行為にわれわれは寛容すぎたのではないか。「やんちゃな時期」などというふざけた言葉に免罪符は絶対にやれぬ

▼あらゆる暴力から子どもを守る。大人の責任である。少年期に誰かによって、殺されることなく生き延びた大人は暴力や脅迫に怯(おび)えた日を思い出すべきである。上村君はあの時の私やあなたである。

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