車が発明された時には、誰も運転出来なかったはずだが、今は、世界中誰もが運転できます。
携帯電話も然り、家庭に固定電話が備わっていたのは、電線等のインフラ整備がしっかりしていた先進国のみでした。
ところが携帯電話が発明されると、中国やアフリカ、発展途上国、地球上に、あっという間に普及しました。
さらにインターネットの普及、日本はデジタル世界に乗り遅れた感があります。
今は、話題沸騰の対話型AI チャットGpt の登場・・まだまだ進化するのでしょう。
知的専門職の多くの仕事が消滅するかもしれません。
ファイア(FIRE)という単語が浮かんで来ます。
缶コーヒーにも、ファイアという品名がありました。
コーヒー飲んで、燃えろ❗発射❗という元気付けの意味合いなのでしょう。
それでも、ぼくらの世代でのファイアという単語は、クビだ、解雇だとか、そんな意味合いが強いのです。
しかし、今のFIREは「Financial Independence, Retire Early」の意味合いで、若くしてお金を貯めて退職、経済的独立、基本的には働かないのです。
対話型AI は、こうした人生設計目標の達成を助ける経済支援のアイデア・ツールになるかもしれません。
その一方で、人生相談にも応じます。
対話型AI は、働らかない引きこもりの方々にも、救いの手を差し出すツールになるかもしれません。
経済的にも。
働いても、働かなくても、人間の生きる価値は変わらない社会性、世界観が必要だと考えます。
僕自身、50歳の時に限界を感じて、普通の勤め人サラリーマンをFIRE しました。
単純明解な事ですが、対話型AI は、富裕層にも貧困層にも属さず、病気にもならず、患者にもなれません。
にもかかわらず、病気の悩みを質問すると、医者か、神様のような優しい対応を示します。
いつかは、神の領域に到達するかもしれません。
病に関しては、例えばガン患者は、心筋、脳梗塞等の急死、事故による突然死に較べると、人生に真剣に向き合い、多くの方にサヨナラを告げられる時間がある。等々
簡単な事を言えば、対話型AI は、殺人、犯罪、戦争を悪とみなし、平和、人権、人類愛を善とみなさない限り、使わない方がよいのです。
さもなければ、人間の使い方次第で、自殺も殺人の方法も、他人の弱味、貶める方法も教唆出来る怖い対話型AI になります。
現在の神様は、対話型AI の子孫かもしれません。
昔々の大昔、数万年昔、とある知的生物が、創り出した大量生産の不完全な対話型AI が、神々の御先祖様だったのかもしれません。
幸運な世界を❗
FIRE ❗
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