NPOな人

NPOの現状や日々の雑感などを徒然なるままにお伝えします。

もしドラと江戸の商人(その3)

2010年12月31日 | 江戸
もしドラの主人公・みなみは、野球部を「感動を与えるための組織」と定義し、「甲子園に行く」ことを目標と決めましたが、次に取り組んだことはマーケティングでした。

ドラッカーのマネジメントには、
企業の目的は顧客の創造である。したがって、企業は二つの、そして二つだけの基本的な機能を持つ、それがマーケティングとイノベーションである。マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす。」

真のマーケティングは顧客からスタートする。「われわれは何を売りたいか」ではなく、「顧客は何を買いたいか」を問う

と述べられていました。

みなみは、野球部の顧客である監督や部員が何を求めているかについてマーケティングすることにしました。

そこで重要な役割を果たしてくれたのは余命3ケ月と宣告され入院中だった宮田夕紀でした。夕紀は、順番に見舞にくる部員からそれぞれの想いを引き出していきました。

では、江戸の商人はマーケティングをどのように考えていたのでしょうか。
現在の三越、そして三井グループの前身である三井越後屋を例にとってご紹介しましょう。

三井越後屋の元祖は三井八郎兵衛高利ですが、その長男である三井宋竺(そうちく)が残した宋竺遺書には、次の言葉が記されています。

商いは的のごとし、手前よく調べるときは、当たらずということなし
(商いは矢の的のようなものだ。こちらがよく研究をしていれば必ず当たるものである。)

市場調査を徹底的にやり、お客様の欲しがっているものは何かをよくわきまえて準備すれば、必ず売れるという教えです。

江戸の商人は、ドラッカーに先駆けること二百数十年前からマーケティングというものを実践していたことがお分かりいただけるものと思います。

(明日に続く。)

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