わたしは昔誰かの役に立ちたい、感謝されるような生き方がしたい、そう思って頑張っていました。
ですがあるとき急にひらめきがやってきたのです。
それって「ありがとう」をもらうために生きているってことか?と恐ろしいほどの混乱がやってきました。
わたしは、誰かの「ありがとう」を糧にしている生きている可能性があると感じたのです。
それをもらうために、誰かに関与しているとしたら…と思ったのです。
じぶんが欲しい他者からの感謝がないと「わたし、こんなにやっているのに誰もわかってくれない」と不満を感じたり、じぶんが複数人の誰かのためをしていることで、大変な状況になると「わたしばっかり大変でひどい」と急に被害者になる事に気付いたのです。
これは混乱でした。
なんか違う、でした。
この件に関するわたしなりの整理がついたのは、じつはこのもっと後のことでした。
このことを書くとすごく長くなるので、今回は第一弾としてざっくり書きます。
当時のわたしは、自分で自分のことをOKだと認めてあげるためには役立つ行為が必要だったのかな、と思います。
それなくして自分を自分でこれでよし、これでいいんだと言い切ることが、認めることができなかった。
何を軸にそう自分に言っていいのかわからなかった。
良いことをすればOK
それはとてもシンプルでわかりやすかったのだと思います。
あと、やはり誰かの笑顔が見られることは今もとても励みになります!
一緒によかったね、って言いながら笑顔になれることは素敵ですよね。
よかったな、と思いますし(笑)。
わたしはこの経験についてはセラピーをとおして整理ができたと思っています。
本当にすっきりしました
そういうことか、と。
自分で自分のことを認められないと他が必要になり、そのために他者から感謝を引き出せないか行動することがある
だから必要以上に関与することで疲れたり、もうそんなにはできないのに頑張ってしまったりする。
そのため、自分の許容を超えてしまった時には急に被害者になったり他者への不満が出たりするんだと自分のからくりに気付いたのです。
これは、自分のことは自分でやらないといけない。
自分の面倒は自分でみれるようになろう!と心から決意したエピソードかなと今は思います。
いつかもう少し丁寧にこのことは書く気がしますが、今日はここまでです。