今回の裁判の弁護団を率いる弁護団長は岩淵正明弁護士である。1、2号機差止め訴訟では弁護団事務局長を務め、原発裁判は足かけ24年目となる。
1989年2月10日発行の「能登原発とめよう原告団ニュース」第2号にこんな表現がある。
「・・・弁護士さん自身も、裁判についてはプロですが、原発についてはビギナーです。昨年来、・・・ものすごい勢いで勉強し、行動されています。」
24年前は原発問題のビギナーだったかもしれないが、その後、猛勉強と数多くの公判を重ねる中で、いまでは裁判のプロ兼原発問題のプロである。
法廷内のことは弁護団に「お任せ」ではいけないが、11人の弁護士がこれまで積み重ねてきた知識と経験は、この裁判で十分に生かされることになる。いま、全国各地で原発訴訟が提訴され、あるいは準備されているが、「志賀原発を廃炉に!訴訟」が全国の裁判に与える影響は決して少なくはない。
77ページからなる訴状は、序論から第10の結語まで10本の柱立てになっいる。
紹介すると、
第一 序論
第二 福島第一原発事故
第三 原発に求められる安全性
第四 安全性の立証責任
第五 志賀原発の危険性
第六 志賀原発の耐震性の欠如
第七 志賀原発事故の被害予測
第八 防災対策の不備
第九 電力受給から見た志賀原発の不要性
第十 結語
となってる。
これまでの裁判との違いの1点目として、言うまでもなく福島第一原発事故の経緯や被害状況を詳細に明らかにしていく中で、神話化された安全機能が全く機能しなかったこと、そして事故によるリスクは許容できるものではないことを訴える。福島の悲劇を二度と繰り返してはならないが、志賀原発は果たして大丈夫かとの問いかけとなる。
第三で「原発に求められる安全性」とあるが、これも新しいところである。
従来の原発裁判では、危険性を訴える声は「抽象的な危険性にとどまり想定する必要はない」と退けられ、「安全神話」が喧伝されてきた。
しかし、福島第一原発事故は、
(1)取り返しのつかない甚大な被害(生命、身体、遺伝子、さらには環境汚染も)
(2)事故収束の困難さ
(3)予測可能性の欠如(空間的、時間的にどこまで被害が広がるのか予測できない)
以上の観点から、許容できないリスクを伴うものである。
ところが、従来、原発の安全性は隕石にあたってし死亡する確率と比較するなど根拠のない確率論が幅を利かせてきた。
原発に求められる安全性は「絶対的安全性」であるとする。
立証責任は引き続き被告に求める。差し止めを認めた2号機の一審判決は実質的に被告い立証責任を課している。
志賀原発の危険性については、第五で多岐にわたる問題点を指摘するが、特に今回は第六の耐震性の欠如について重点的に主張していくことになる。ここは、判決の行方を左右する最大の焦点であるが、東日本大震災の教訓はもちろんのこと、2号機訴訟以降の新しい知見がたくさんある。
2号機訴訟で否定された邑知潟南縁断層帯と坪山-八野断層帯の連動がいまでは保安院でさえ認めるところとなり、さらに森本・富樫断層帯との連動まで指摘されている。
志賀原発の目の前を走る富来川南岸断層帯の評価も大きな焦点となる。
電力需給については、昨夏、今冬、そしておそらくは今夏も北電管内は志賀原発なしで電力不足は生じないことになる。論より証拠である。
まだまだ随所に新しい訴えが盛り込まれているが、ここではとても書ききれない。
おそらくは秋以降となる公判にぜひ注目を!
1989年2月10日発行の「能登原発とめよう原告団ニュース」第2号にこんな表現がある。
「・・・弁護士さん自身も、裁判についてはプロですが、原発についてはビギナーです。昨年来、・・・ものすごい勢いで勉強し、行動されています。」
24年前は原発問題のビギナーだったかもしれないが、その後、猛勉強と数多くの公判を重ねる中で、いまでは裁判のプロ兼原発問題のプロである。
法廷内のことは弁護団に「お任せ」ではいけないが、11人の弁護士がこれまで積み重ねてきた知識と経験は、この裁判で十分に生かされることになる。いま、全国各地で原発訴訟が提訴され、あるいは準備されているが、「志賀原発を廃炉に!訴訟」が全国の裁判に与える影響は決して少なくはない。
77ページからなる訴状は、序論から第10の結語まで10本の柱立てになっいる。
紹介すると、
第一 序論
第二 福島第一原発事故
第三 原発に求められる安全性
第四 安全性の立証責任
第五 志賀原発の危険性
第六 志賀原発の耐震性の欠如
第七 志賀原発事故の被害予測
第八 防災対策の不備
第九 電力受給から見た志賀原発の不要性
第十 結語
となってる。
これまでの裁判との違いの1点目として、言うまでもなく福島第一原発事故の経緯や被害状況を詳細に明らかにしていく中で、神話化された安全機能が全く機能しなかったこと、そして事故によるリスクは許容できるものではないことを訴える。福島の悲劇を二度と繰り返してはならないが、志賀原発は果たして大丈夫かとの問いかけとなる。
第三で「原発に求められる安全性」とあるが、これも新しいところである。
従来の原発裁判では、危険性を訴える声は「抽象的な危険性にとどまり想定する必要はない」と退けられ、「安全神話」が喧伝されてきた。
しかし、福島第一原発事故は、
(1)取り返しのつかない甚大な被害(生命、身体、遺伝子、さらには環境汚染も)
(2)事故収束の困難さ
(3)予測可能性の欠如(空間的、時間的にどこまで被害が広がるのか予測できない)
以上の観点から、許容できないリスクを伴うものである。
ところが、従来、原発の安全性は隕石にあたってし死亡する確率と比較するなど根拠のない確率論が幅を利かせてきた。
原発に求められる安全性は「絶対的安全性」であるとする。
立証責任は引き続き被告に求める。差し止めを認めた2号機の一審判決は実質的に被告い立証責任を課している。
志賀原発の危険性については、第五で多岐にわたる問題点を指摘するが、特に今回は第六の耐震性の欠如について重点的に主張していくことになる。ここは、判決の行方を左右する最大の焦点であるが、東日本大震災の教訓はもちろんのこと、2号機訴訟以降の新しい知見がたくさんある。
2号機訴訟で否定された邑知潟南縁断層帯と坪山-八野断層帯の連動がいまでは保安院でさえ認めるところとなり、さらに森本・富樫断層帯との連動まで指摘されている。
志賀原発の目の前を走る富来川南岸断層帯の評価も大きな焦点となる。
電力需給については、昨夏、今冬、そしておそらくは今夏も北電管内は志賀原発なしで電力不足は生じないことになる。論より証拠である。
まだまだ随所に新しい訴えが盛り込まれているが、ここではとても書ききれない。
おそらくは秋以降となる公判にぜひ注目を!
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