北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

奥田建さんを悼む

2021-06-23 | 雑感


衆議院議員を4期務めた奥田建さんが昨日の朝、急死された。
私より一つ上の62歳。あまりに早い。

奥田さんの初当選は1998年。
当時、県議だったは私にとって非自民の政治勢力の枠組みの仲間であり、その後、石川県平和運動センターの事務局の仕事をしてる時も様々な行事で顔を合わすことはあった。
と言っても奥田さんの選挙区は石川1区、金沢市であり選挙区の異なる私は特別親しい付き合いがあったわけでもない。

その程度の関係だったが、2010年7月、たまたま小松-羽田便に乗り合わせたことがあった。
羽田について飛行機から降りたところで、奥田さんから「北野さん、時間があったら一緒にスカイツリーの建設現場見にいきませんか」と声をかけられた。
突然の誘いに戸惑いながらも、午後の予定まで少し時間があり、スカイツリーも見たことなかったので「それではぜひ」とご一緒させていただくことにした。
当時、奥田さんは衆議院安全保障委員長。いつもの空港出口ではなく違った通路を通って外に出ると、そこには立派な黒塗りの車が待っていた。衆議院の委員会委員長にはそれぞれ専用の車があるそうだ。
スカイツリーの現場付近に近づくと「もう少し行ったところでよく見えますよ」と写真を撮る場所を教えてくれた。
奥田さん自身は何度も来たことがあるようだった。



午後からは委員会の打ち合わせがあるとのことだったが、現場をぐるりと回って、そのあとお昼までご馳走になった。
車中も、ランチの時も、特段生臭い話をした記憶もない。愚痴を聞いたわけでもないし、誰かの悪口を聞いたわけでもない。ざっくばらんによもやま話をしたような気がする。

今朝の北國新聞で、東京支社時代に奥田さんと付き合いのあった道上宗雅経済部長の追悼記が掲載されてる。議員宿舎で酒を飲みながら、とりとめのない話をし、つらいわけでもない、楽しいわけでもない、なんでもない時間を過ごした思い出が綴られている。なんとなくわかる気がする。

奥田さんはこの2年後の選挙で落選し、翌2013年、政界引退を表明した。
あの日、私の方は「なんで私を誘ったんだろう?」「小松-羽田便だったら見渡せば奥田さんの支持者は何人も乗っていただろうに」と余計なことばかり考えていたような気もする。
今なら、全然違った話ができそうな気がして、それだけがちょっと心残りだ。



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