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昨日の午後に続き、ふぇみんのシンポに参加。
今日は熊取6人衆の一人、京大原子炉実験所助教の今中哲二さんの講演。
演題は「福島で起きたこと もし 志賀原発なら」。
今中さんは長年チェルノブイリ事故の放射能汚染調査に関わってきた、言うなればチェルノブイリ調査の第一人者。今回の福島第一原発事故でも30km圏外の飯館村の土壌汚染を調査し、その深刻な汚染の実態を明らかにしたことでも注目される。
詳細な、そして継続的な調査を積み重ねる中で、今中さんはチェルノブイリから学んだこととして、以下3点を上げている。
・原発で大事故がおこると、まわりの村や町がなくなり、地域社会が消滅する。
・放射線被曝は健康影響の原因のひとつに過ぎず、健康影響は被害全体の一部に過ぎない。
・「専門家的アプローチ」で明らかにできることは、チェルノブイリ事故という災厄の一側面でしかない。
この教訓を日本は生かすどころか、チェルノブイリ事故のような事故は日本では絶対に起こらないということで、教訓を引き出す努力を完全に怠ってきた。
今中さんにとってはまさに「また起きた最悪の事態」である。
チェルノブイリから学び、福島も自ら調査を重ねている今中さんの話は、両者の共通点と違いを端的に指摘し、私たちの歩むべき方向性を明らかにしてくれる。
以下は、朝日新聞(2011年6月29日)に掲載された今中さんのインタビューをまとめた記事である。
チェルノブイリ、フクシマから、シカも学ばなければならない。
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放射能のリスク 汚染の中で生きる覚悟を
京都大原子炉実験所助教 今中哲二
旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の影響について、長年にわたって現地の調査を続けてきた。その課程で、放射性物質に汚染された地域での被曝線量をソ連がかなり綿密に調べていたことを知った。村ごとに外部被曝による線量や、食品や牛乳などから体内に取り込まれる放射性物質を計算し、基準値と照らし合わせ、居住可能かどうかを判断していた。
福島第一原発事故の被災地でもこのような作業が必要だ。放射性物質の分布は濃淡が激しく、同じ集落でも、場所が違うと線量も異なる。だから、住宅1軒ずつの線量を計算しないと、被曝量も出せない。その土地で摂取されるあらゆる食品の放射能も、住民の内部被曝の度合いも測るべきだ。そして、住民に「あなたがここに住み続けると受ける線量はこのくらいですよ」と示す必要がある。
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線量をはかりにくいストロンチウムやプルトニウムがまき散らされたチェルノブイリに比べ、福島の被災地に残るのはほとんどが放射性セシウムで、計測に大きな困難はない。自治体が責任を持ってその作業を進めるのが望ましい。そのうえでとどまるかどうかは、住民自身が決めることだ。
よく基準値以上なら危険で以下なら大丈夫、と考える人がいる。年間1㍉シーベルトとか、20㍉シーベルトとか、さまざまな基準値が議論されている。しかし、こうした数値は、科学的根拠に基づいて直接導かれたものではない。がんになるリスクのある放射線にどの数値まで我慢するかは、社会的条件との兼ね合いで決まる。
たとえば、1㍉シーベルト以下でも我慢できず、安全な場所に引っ越そうとする人もいるだろう。しかし、引っ越しにはそれなりの経済的、精神的負担が伴う。人によっては「20㍉シーベルトを超えてもまだ故郷に残りたい」「農業を続けたい」という判断もあるに違いない。
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放射能をどこまで我慢するか。この難しい判断を市民一人ひとりが迫られている。それは福島県だけのことではない。東京もそれなりに放射能に汚染されている。少なくとも一時は、外出を控えた方がいいほどのレベルだった。だとすれば、汚染の低いところへ避難すべきだった。そこでも、個人の判断が必要になる。
私たちはもはや、放射能汚染ゼロの世界で暮らすことが不可能になった。これからは、放射能汚染の中で生きていかなければならない。その事実を受け入れたうえで対策を考えなければならない。
(構成・国松憲人)
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